5 足音
「五人目だと……? おまえ、まだそんなこと言ってんのか?」
若葉の顔から笑みが消えた。「モナカ、おまえのことは評価しているんだよ。料理の腕はプロ級、頭の出来も尋常じゃあない。おまえがこれまで述べ立てた推理の大部分は、前もってじっくり考えたものではないよな?」
ああ……言われてみれば、若葉の指摘どおりだと杏奈は思った。
たとえば赤ずきんの正体が佐絵なのだと見抜いたモナカの推理。そのための手がかりのうち、寮生の身長はだいぶ前から知ることはできた。けれども、赤ずきんの衣装を着た佐絵を目の前にしなければ、あのモナカの推理は論理的に完成しない。モナカは書斎から隠し部屋へと下りてきて、そのときはまだ正体不明だった赤ずきんを見て、すぐさま例の推理を導きだしたのだ。
当てずっぽうではなく、論理的に推理してみせた。他のいくつかの推理に関しても、おそらくはほぼ同様だろう。こんな生死の境目みたいな状況でなければ拍手していたかもしれない。杏奈はそう思ったし、若葉も似たようなことを口にする。
「おまえはバケモノだ」と、若葉はモナカに言った。
「心外ですね。若葉さんにだけは言われたくありません」
「認めるよ、わたしはバケモノだ。だがモナカ、おまえもそうだろ。ほめ言葉だよ、これは。貴様は知的バケモノだ。世辞でも揶揄でもない。またたく間にあれだけのロジックを形成できるのは才能だろうに。わたしは手放しでほめている」
「では、素直に受け取っておきます。ほめられるのは好きですから」
「そんな貴様にも
「幽霊の実在は事実です。五人目が、吉野りんか先輩の幽霊が、この第四女子寮にはいる。事実です」
「事実じゃない!」若葉が怒り狂った。「幽霊などいるか」
「います」
モナカは冷静だ。こんな状況なのに冷静すぎる。まさか勝算があるのか……。「若葉さんは、なんでそんなにムキになっているのですか。そんなにオバケが怖いんですか」
「存在しないものを恐れる理由などない」
「若葉さん、殺人鬼ですもんね。いっぱい殺しています。幽霊が実在するってわかったら、気が気じゃないでしょう。そりゃ怖いはずです」
「幽霊などいない。一番怖いのは人間だ。わたしを見ても、それがわからないのか!」
怒りと
「一番怖いのは幽霊です。ふつうの人間と幽霊とでは、さっぱり勝負になりません。絶対に幽霊が勝ちます。霊能力者は例外ですけど」
「せっかくほめてやったのに前言撤回だ。全面的に撤回。わたしは、おまえみたいな天然を装っているオタクのホラ吹きが一番嫌いなんだよ。そんなにオバケが好きなら、キモい連中に囲まれてサークルの姫でもやってりゃよかったんだ。わたしの目の前で愚にもつかぬことをほざきつづけた罪は重い!」
「それは誤解です。わたしは天然を装っているオタクのホラ吹きではありません」
「ならばクソッタレだ! おまえだろ、あの一連の警告文の犯人は?」
「いいえ、あれこそ五人目、吉野りんか先輩の仕業です」
「それだよ、それ! それッ!」
若葉が確信めいた口ぶりで言う。「モナカはみんなにそう思わせたかった。だから、警告文を送りつけるなんてアホなことをした。わざわざ内部犯に限定されるような方法で。寮生四人のなかに犯人がいないのなら、五人目が犯人。吉野りんかの怨霊が犯人。そういうロジックに持っていくつもりだったんだろ?」
モナカはかぶりをふっている。若葉のこの様子からして本気でモナカが犯人だと思っているのか? つまり、あの警告文の犯人は若葉ではない? 杏奈が佐絵を見た。
「わたしでもないぜ」杏奈と目を合わせた佐絵が、たずねる前に答えてくれた。「あの警告文とは無関係だ、わたしはな」
だとすると、警告文の犯人は、本当にモナカなのか……?
「わたしは警告文を送りつけた犯人ではありません」
モナカはそう言うと、「嘘つけ、おまえも嘘つきだ」とののしる若葉に視線を戻した。
「またしても心外な発言ですが、若葉さんがそう思うのも無理はないでしょう。なにせ若葉さんは幽霊を信じていませんからね。したがって、若葉さんは警告文の犯人を寮生四人のなかに求めた。若葉さんご自身は警告文の犯人ではないとわかっている。ご友人の杏奈さんは被害者。これで寮生四人からふたりが消えた。若葉さんはおそらく佐絵さんにも確認したのでしょう。警告文を送りつけたのは佐絵さんかと」
「ああ、訊かれたな」佐絵が認める。「こっそりと」
「でしょうね。すでにその時点で若葉さんと佐絵さんは秘密の共犯関係にあった。いずれ殺人を実行に移そうと
それで若葉はモナカが犯人だと決めつけていたのか。論理的根拠に乏しいと指摘した杏奈に、若葉は不服そうだった。実は論理的根拠ならあったのだ。その説明をしようとすると、佐絵との関係を上手く説明できないと思ったから言えなかっただけで。
「そうだよ、モナカ、いま貴様が言ったとおりだ」
若葉は我が意を得たりの面持ちになる。「モナカが警告文の犯人。それが論理的帰結」
「ちがいます。それはあくまでも幽霊が存在しないことを前提にした場合です。幽霊は存在するので――」
「もういい」
若葉の声と顔から感情らしきものが消えていく。「話が通じない。殺す」
「話が通じても殺すくせに。――でもまあ、そういうことらしいですよ、りんか先輩!」
モナカがいきなり声を張りあげた。
「わたしたちは極悪人の快楽殺人鬼に殺される寸前です。りんか先輩、あなたは正義感が強くて優しい人なんでしょ? だから八年前、第四女子寮の闇を暴こうとした。だから幽霊になったあとも、ここの寮生を助けようとした」
昨夜、モナカが教えてくれた話が杏奈の脳裏をよぎった。
避難階段の手すりが老朽化して外れそうになっていたところに幽霊が現れた話。そこで煙草を吸う寮生がかつていて、りんかの幽霊を目撃してからは手すりに近寄らなくなった話が脳裏をよぎる。おかげで、手すりが外れて地上に落下する悲劇をまぬがれたらしい。
他にもある。ストーカー被害に遭っていた寮生がいた。その寮生は、吉野りんかの幽霊を見かけたことがきっかけで、よりセキュリティの強固なマンションに引っ越したそうだ。引っ越し先でストーカーは通報され、逮捕された。そんな話が脳裏をよぎる。
もしも本当に、八年前に死んだはずの彼女が実在するのなら――吉野りんかは悪い幽霊ではない。モナカもそう言っていた。
「りんか先輩、助けてください。あなただけなんです。わたしたちを助けられるのは」
「それが遺言か?」
嘲った若葉は、すばやく動こうとした佐絵をにらみつけた。「おまえからだ」
舌打ちに次いで佐絵の動きが止まる。スレッジハンマーも拳銃が相手では
音が聞こえた。隠し部屋の階段のほうから。
カツン、カツンッ……と階段を下りてくる音が、ハイヒールのパンプスめいた足音が、まちがいなく聞こえてくる。
「管理員か……?」若葉が眉をひそめた。「帰ったはずだが」
階段を下りてくる甲高い足音が、確実に響いていた。
それなのに……階段のところには誰もいなかった。
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