4 殺人鬼②

 なにがおかしいのか、若葉がけたけたと笑いだした。こんな奇妙な笑い方、杏奈の知っている若葉じゃない。


「拳銃なんて、どうやって手に入れたの……? それ、本物?」

 玩具であってくれ、壮大なドッキリであってくれ――まだ心のどこかでそんな可能性を信じたい気持ちが杏奈にそう言わせていた。


「本物。日本は銃社会じゃないけど、手に入れるつもりがあるなら手に入るよ、簡単にね。ヤクザ、半グレ、海外マフィア、他にもルートは複数ある。わかるでしょ、それくらい。杏奈のおじいさんの本にもそういう話、たまに出てくるじゃん」


 ドッキリの可能性は……ないのか。「ドッキリの可能性はありません」と、モナカが突然口にした。二日酔いのような杏奈の表情を見て、またしても心のなかを読んだのだろう。

 そのモナカが佐絵へと視線をすべらせた。


「佐絵さんは堅気とは言いづらいお方です。それなりに場数も踏んでいることでしょう。弱味をにぎられたからといって、簡単にふくじゅうするとは思えません。そのへんの女子大生に脅しつけられた程度ではね。佐絵さんのような方がくっぷくせざるをえない物を、若葉さんはお持ちだということです」


 モナカは拳銃を指し示した。佐絵が悔しそうに舌打ちする。若葉は笑っている。ふたりのこのコントラスト。モナカの指摘どおりなのだろう。拳銃は本物だ。ドッキリはありえないと嫌でも理解させられた杏奈は、「……なんで?」と同じ言葉をくり返した。


「なんで人殺しなんか? 親や親戚まで殺した? なんで? ほんとに?」

 たとえ拳銃が本物でも、肉親まで殺していたなんて、そこまでは信じられないよ! 

「事実だとしたら、親にぎゃくたいされていただとか――」

「誤解はやめて。そんな悲しい過去はない。うちの親や親戚まで悪人にするな」

 若葉は心外だと言わんばかりの口調で勘違いを正してきた。

「お酒が好きな人がお酒をたくさん飲むのが不自然? セックスが好きな人はするでしょ、いっぱい。ダメって言われてもクスリに手を出すバカは跡を絶たない。それと一緒」


 一緒? と訊いたつもりが、杏奈の声は舌の上にとどまって先に進んでくれなかった。


。だからやめられない。やめようと思ったこともない」

 天気の話でもしているみたいだ。日常会話のように、なんでもないことのように言う。

「子どものころから、いろんな人を殺してきた」


 あらためて異様に感じた。人のふりをしたバケモノで、こいつは若葉じゃない。どうしてもそう思いたい杏奈に、「とくに好きなのは、あれ。信頼してた人に裏切られたときの顔。あれが一番エロいんだよね」と若葉が追い打ちをかけるようにのたまった。


「裏切られて絶望したやつ殺すとさ、癖になるほど気持ちいいの」

 口調は日常会話めいたままだが、目を見ひらいた若葉が杏奈を見すえて舌を突き出した。ねっとりと唇をなめる。

「杏奈、いま超エロいよ。おびえているその顔のまま……殺してあげたい」


 全身が粟立った。後退する。じりじりと杏奈があとずさると、「です。赤ずきんが――佐絵さんがたまに直立不動の姿勢になっていた理由は」とモナカが言った。

 これ……? これって、なんのこと? 杏奈は全然わからない。


「赤ずきんの衣装」

 モナカが佐絵の胸のあたりを指さした。「あのあたりにと思います。肉眼では視認しづらい小さな穴がね。


 杏奈がおどろいたのと、佐絵がふっと笑ったのは、ほぼ同時だった。佐絵がスレッジハンマーを持っていないほうの手を衣装の内側に突っこんだ。ベリベリッとテープを無理やり引きはがしたような音がする。衣装の内側からぬいた佐絵の手には、ガムテープがくっついたボールペンがにぎられていた。


 古坂の死体の胸ポケットにあったボールペン。あれが杏奈の脳裏をかすめていく。ボールペン型の隠しカメラ。八年前に村木から奪った――頭のなかでそんな言葉が弾けたとき、佐絵がいまいましそうにボールペンを床に投げつけた。若葉の目が険しくなる。杏奈の目もだ。目を凝らし、床に転がるボールペンをにらみつけた。


「ボールペン型の隠しカメラにした理由は、木の葉を森に隠すのと同じ理屈でしょう。ボールペンなら寮内にあっても不自然だとは思われない。そう考えた」


 モナカだけはそのボールペン型隠しカメラではなく若葉を見ている。


「展示室の壁面ショーケースと地下倉庫には、元寮生が置いていった物が大量にあります。それらのなかに、このボールペンも混ぜておく。ちがいますか? 若葉さんの本来の計画では、杏奈さんと佐絵さんが死んで、若葉さんは正当防衛が認められて、警察がそれを信じる、というシナリオです。その場合、元寮生が置いていった荷物をひとつひとつ徹底的に調べたりはしないと踏んだのでしょう。事件との関連性を見出せないから」


 モナカが言うのならそうなのかもしれないが、どうして隠しカメラで撮影なんか……。理由がなんであれ、盗撮されていた身としては全身がぞわぞわする思いだ。杏奈の顔面が引きつっていく。若葉は――うっとりとしていた。


「これです。このうれしそうな顔がなによりの証拠」

 モナカが満面の笑みの若葉を指さした。

「怖がる杏奈さんの顔がエロいとか、そんなことをほざいていたじゃないですか。若葉さんは本当に好きなんですよ。。隠し撮りするように佐絵さんに命じた」


 モナカの指摘に、佐絵は苦虫を噛みつぶしたような表情でうなずく。


「佐絵さんがときどき姿です。猫背になるとカメラが下を向いてしまう。それだと、ちゃんと撮影できないと思ったのでしょう。ゆえに、ときどき姿勢を整えていた。


 おびえているときに――? 思い返してみれば……そのとおりだ。赤ずきんが直立不動の姿勢になっていたのは、杏奈がおどろいたり、ひどくおびえたりした直後だ。


「わたしが若葉に屈服しちまったのはな、そりゃ銃にビビったってのもあるけど、こっちだよ、こっち」

 床のボールペンに向かって佐絵があごをしゃくる。「若葉はいままで殺してきたやつを撮ってやがったんだ。何本か無理やり視聴させられた。直視できたもんじゃねえよ。本物の悪魔だ。したがうしかなかった」


 嘘、嘘……と杏奈の心がりずにまだ言っている。若葉本人ですら殺人鬼だと認めたあとなのに。残酷でとっぴょうもない現実を理性だけでは受け止めきれず、杏奈は過呼吸の一歩手前のような状態だ。


「不幸中の幸いかな」そんな杏奈を見て、若葉がくすっと笑った。「ポジティブにそう考えることにするよ」

 スポーツで汗を流したあとのような晴れやかな様子で、「ふう」と若葉は息を吐いた。


「モナカが言ったように、最初の計画だと佐絵さんに杏奈を殺させる予定だったんだけど、不本意だよね、やっぱりさ。一番捕まりにくいプランだから仕方なく採用しただけ。ほんとは自分で殺したいに決まってるじゃん。そのために、わたしは杏奈に近づいたんだから。近づいて、じょじょに距離を縮めていって……


 嫌だ。そんなこと聞きたくなかった。

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