3 図らずも当ててしまったもの①

「……はい?」杏奈はまだ、ちんぷんかんぷんだ。「どういうこと?」


「だから、さっきから言ってるじゃないですか」

 肩をすくめたモナカは、幽霊の話をするときと同じで真剣そのものだ。「


 呆然とモナカの言葉を聞きながら、杏奈は首を回して若葉を見た。


 若葉の表情は依然として険しい。険しいが、いま口もとで、一瞬だけ笑ったような……。見まちがい? 杏奈が訝しむあいだに、「殺人鬼なんですよ、あの人は」とモナカが若葉に冷然と言い放った。


「若葉さんは殺人鬼。杏奈さんの小説に出てくる黒幕Zも殺人鬼。ほら、杏奈さんが書いた小説のとおりでしょ」

「いや……だってそれは、小説の話だから!」


 若葉が殺人鬼!? そんなの、絶対に信じたくない。「若葉は、わたしの友だちで――」


「いずれ杏奈さんを殺すために、若葉さんはあなたの友だちになったのです」

 モナカの口調は冷たくて断定的だ。嘘だ。嘘だよ、絶対……。


「杏奈さんの例の小説。あれって、ネットの小説投稿サイトに掲載していたんでしょ。評判もよかったらしいじゃないですか。当時の杏奈さんはツイッターとインスタで小説の宣伝もしていた。しかし、実在の事件をモチーフにしているとバレてからは、怖くなって宣伝をやめてしまった。とくにツイッターには個人情報を特定できるような写真も載せていたから。どこの高校の生徒で、。そんな情報まで載せていた。杏奈さん、そう言っていましたよね。――そんなことも」


 そのとおりだ。杏奈が通っていた塾に、若葉があとから入って来て……。


。実在の事件を題材にしたことを見抜いた読者がいて、話題になった。そして、ネットの情報は世界中のみんなが閲覧できる。善人も悪人も関係なく……。

 若葉さんは黒幕Zです。自分が起こした事件をネットで検索していたとしても不思議ではありません。若葉さんはアマチュアが執筆した小説にたどり着いた。読んでみると、自分がやった犯罪そのものが書いてある。誰が書いたのか、たしかめたいと思うのが人情です。したがって、杏奈さんに近づいた」


 若葉の口もとは否定できないほどはっきりと笑みの形になっている。本人も気づいていないのだろう。ピエロが笑ったみたいなグロテスクな微笑だ。


「杏奈さんは別に黒幕Zのことを、小説を通じて示唆してやろうだなんて夢にも思っていなかった。不幸な偶然があったとしたら、そこです。さっきも言ったように、杏奈さんはフィクションのエンタメだと思って書いたんですから」


 でも、でも、でも、そんなことって――。どう言われても信じきれない杏奈に、「尊敬するおじいさまと同じことをしていたんですよ、あなたは」とモナカが告げた。


「面識はありませんが、わたしも杏奈さんのおじいさまのことは存じあげています。著名なノンフィクション作家で、事件ルポルタージュを多数執筆されておられた」


 その祖父と同じことをしていた? わたしが? 困惑顔で杏奈が訊くと、「意識してやったのではなく、結果的にそうなっていたわけです」とモナカは答えた。


「杏奈さんのおじいさまは、事件の被害者や関係者の訴えにしんに耳を傾け、独自に調査することで、警察が見逃した真犯人を突き止めたことが何度もあった。杏奈さんが小説のモデルにした事件もと同じです」


 同じ? 


「杏奈さん、言っていたじゃないですか。Xと友人のインタビュー記事を読んで心を打たれたと。Xが親を殺すわけがない、自殺するわけがない――涙ながらに訴えかけるXの友人の主張に胸をえぐられたと。杏奈さんのおじいさまが生きていたら、この子のために事件を調査するかもしれない。でも、おじいさまはすでに亡くなっている。だったら孫のわたしが――そう思ったんでしょう?」


「思ったよ。思った。思ったけど……」


「当時、杏奈さんは素人の高校生でした。プロのノンフィクション作家のように取材などできない。できるのは、せいぜい考察ぐらいです。そうおっしゃっていた。だから、その考察を小説にした」


「そうだよ! あれは小説なんだよ。Zなんて、実際には――」


「いたんですよ! 杏奈さんはこんなふうにも言っていたじゃないですか。

 Xの友人が主張していたXの無実。その全部を鵜呑みにするのは無理でも、ある程度は信じることにした場合、黒幕的存在がいてXをそそのかしたのではないか。そんなふうに想像してみた、と。それがZを登場させた理由なのだ、と。

 杏奈さんは賢い人です。名探偵のような活躍をされていたおじいさまゆずりの観察力と論理的思考能力を持ち合わせているのです。杏奈さん本人が気づいていないだけでね」


 杏奈は目頭に涙をためてモナカを見た。モナカは真剣だ。大真面目だ。あたりまえだ。こんなときに冗談など言えるわけがない。だけど、そうだとしたら、本当に本当なの……? あの小説が、フィクションのはずが、そうじゃなかっただなんて――。


「……よくしゃべる。証拠はあるのか?」

 若葉が久々に声を発した。グロテスクな笑顔のまま、低くて重たい声だ。

 はじめて見る、こんな若葉……。


「展示室の固定電話のコード」モナカが若葉のロングコートのポケットを指さした。「そこにありますよね? それとも、パーカーのポケットのほうですか?」


 若葉はなにも言い返さない。微笑みだけが口裂け女さながら横に広がっていく。


「佐絵さんを使って杏奈さんを殺すこと。それが若葉さんの考えた計画でした。しかし、事件の幕引きには警察に差しだす〝犯人〟が必要です。いくら脅されているからといっても、佐絵さんは自首しないでしょう。そこで若葉さんは、佐絵さんにこんな提案をした。

 モナカも殺そう、と。なんらかのトラブルの果てにモナカが杏奈さんを襲い、そのとき相打ちになったように偽装しよう、と。八年前、村木と依田が古坂にすべての罪をなすりつけようとしたように、モナカに全部押しつけよう、と。そんな提案をした。ね?」


 若葉は無言だ。全然動じてはいない。だけど、佐絵は一瞬だけ表情を曇らせた。


「死んだモナカの服に電話機のコードを忍ばせておけば、杏奈さんを殺した犯人に見せかけられる。〝犯人の武藤モナカ〟は、杏奈さんに展示室の固定電話を使わせないために事前にコードを引き抜いておいたのだ――警察はそう考えてくれる。佐絵さんは若葉さんから、そんなふうに言われたのでしょう?」


 佐絵の瞳と口もとが微かに揺れていた。動揺しているのは明らかだ。


「佐絵さん、ここがターニングポイントですよ。わたしたちの味方になってください」

 いけると確信したのか、モナカが声量を増して畳みかけていく。「裏切るなら、いまです。このときです。どだい、なんだから」

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