2 杏奈の疑問②

「佐絵さん」とモナカが優しく呼びかけた。「古坂のスマホが壊れて動画が視聴できなくなったり、データごと吹き飛んでしまった場合に備えて動画のコピーがあるのでは? クラウドだったりUSBメモリだったりに保存しているんじゃないですか?」


 佐絵は答えない。ぶっちょうづらのままだ。


「……もくですか。いいでしょう。では、話を戻します。若葉さんに弱味をにぎられた佐絵さんは、杏奈さん殺害に手を貸さざるをえなくなった。杏奈さん殺害の決行日を今夜にした理由は、杏奈さんが明日には寮から出ていくからです」


 モナカにはまだ退寮のことは伝えていないが、管理事務室内で若葉とそんな話をした。モナカは会話を盗み聞きしていたそうだから、それで知っているのだろう。


「杏奈さんには昨日、寮から出ろと注意しましたからね、わたしが口酸っぱく」

 モナカはそのことを後悔しているような面持ちだ。「警告文が吉野りんかの仕業なら、杏奈さんに危険が迫っていることを教えようとしているのかもしれない、だから気をつけてと。この助言が効いた。杏奈さんは女子寮から出ていくことにした」


 若葉がこっちを見ていた。モナカに助言された? 受け入れたの、それを? と言外に語る渋面で、杏奈の顔をねめつけている。


「あの時点ではそれがベストな助言だと思いました。しかし、現実はこのザマです。すみませんでした。杏奈さんを危険な目に遭わせてしまって」

 モナカが謝罪してくれた。いつもどおりの淡々とした調子ではあったが。


「ところで、杏奈さんは女子寮が解体される直前の春休みまでは寮に戻ってこない、戻ってくるときは両親や引っ越し業者の人たちと一緒で云々、そんな話も友人の若葉さんにしたのでは? わたしの助言を聞き入れたうえで退寮を決めた杏奈さんが取りそうな行動パターンだと思うのですが、どうでしょう?」


「……当たってる。今朝、大学に向かうバスのなかで若葉にそんな話をした」

 モナカの推理力は本当にすさまじい。なにもかも見透かされているような気分になる。


「若葉さんはさぞかし動揺したでしょうね。いずれは杏奈さんを殺すつもりだったにせよ、たぶん今日ではなかったはずです。おそらくは、もう少し先だった。今夜の犯罪計画もなかなか手がこんでいますが、より入念に考えぬかれた殺人プランを用いて杏奈さんを亡き者にしようと企てていたのでは? その予定を急遽変更せざるをえなくなった。その理由は〝環境〟ですよね? 環境に恵まれているうちに殺したかった。ね?」


 若葉は返事をしない。モナカを視線でころすように鋭くにらみつけたままだ。


「第四女子寮は人里離れた場所にある。寮生はたったの四人です。管理員さんも住みこみではありません。ここ以外の場所で杏奈さんを殺害するとなると、殺人の難易度は格段に増すでしょう。言い換えるなら、第四女子寮は人を殺すのに適った環境なのです」


「それは……どうだろう?」

 モナカのこの意見には納得しかねて、杏奈は疑問を呈した。「うちの寮には防犯カメラの死角がない。寮内で人を殺せば高確率で内部犯に限定されちゃうよ」


「そんなことは問題になりません」

「そうなの?」

「殺すと言ってもバリエーションがありますから。自殺か事故に見せかけて殺す方法が採用されていたかもしれません。八年前、吉野りんかが薬物中毒死に見せかけて殺されたようにね」


 そうなった自分を想像して、杏奈は気分が悪くなった。


「内部犯に限定されてもいいんですよ。真相がバレなければね。その程度の小細工、知的な若葉さんにとっては比較的たやすいことでしょう。抜かりのない計画をりつあんするはずです。そこまで頭が回る人だからこそ、人を殺すうえで第四女子寮という環境が手放しがたいこともよくわかる。まだまだ再考の余地がある不完全な計画のままでもいい。他の場所で殺すことになるよりはマシだ。若葉さんはそう考えた」


 信じられない。信じたくない。若葉は友だちだ。そんなことするはずが……考えているはずが……ない――そう思いたいのに、なんで? 若葉がいま、どんな表情なのか怖くて見えないのは、なんでなの? 


「とにかく若葉さんは大至急、杏奈さん殺害を実行に移そうとしたのです。杏奈さんは今朝、バスのなかで寮から出ていく旨を若葉さんに伝えた。若葉さんはそのときに杏奈さん殺害計画の前倒しを決断したのでしょう。この時点ではまだ、佐絵さんは大学にいたのかもしれませんね。いたとしたら、若葉さんからの連絡で呼び戻されたのです」


 防犯カメラの映像はすべてチェックしたが、それは十七時十五分ごろからさかのぼること三時間、十四時十五分ごろまでだ。それ以前の時間帯はノーチェック。佐絵が寮から出入りしていたとしても確認できていない。三時間という区切りにした理由は……たしか、だった。


 倍速に頼ったところで、すべての映像を際限なく確認するのは時間的に無理だ。三時間という区切りには妥当性があると思った、あのときは。

 でも本当は、佐絵が帰宅していることを知られたくなくて、共犯者の若葉がそう言いだしたんだとしたら……? 


「くり返します。わたしは管理事務室での会話を盗み聞きしています」

 モナカがふくみのある微笑を浮かべた。杏奈さんのお考えはわかりますよ――そう言いたげな表情だ。


「録画を三時間ぶんだけチェックしようと言いだしたのは若葉さんですよね。若葉さんは佐絵さんが大学から帰宅ずみであることを知られたくなかったのでしょう」

 やっぱりだ。モナカは杏奈と同じことを考えている。


 ――あくまでも仮に、あのとき、もっと録画をさかのぼって、佐絵が大学から帰ってきたところをおさめた映像を観たとしよう。


 杏奈はその佐絵の行動を奇妙に感じたかもしれない。佐絵は講義をつめこんでいると言っていた。そんな人が早く帰ってきた? 体調の悪化や午後からの講義が休講になって帰宅した可能性をまずは考えるにせよ、警告文のせいで杏奈はしんあんになっている。大学のサイトで休講情報をチェックするぐらいのことはやっただろう。


 休講はない、とわかったら、杏奈は佐絵のことを警戒するはずだ。体調が悪くて早退していたり、たんに講義をサボっただけの可能性もあるものの、そうではない恐れだってある。警告文を送りつけられた被害者で、さいしんのかたまりになっている状態では、嫌でも後者を意識せざるをえない。


 その場合、今夜のルビーリング探しは中止にしていたかもしれない。中止にするだけではなく、実家に帰るのを一日前倒しにしていたかも。そうなっていた可能性は大いにありうる。若葉と佐絵の殺人計画はおじゃんだ。だから若葉は、佐絵が実は大学から帰ってきていることを知られたくなかった……?


 考えたくもないことを考えてしまい、杏奈の手が震えた。つづけて唇まで震えだしたのは、杏奈がいまそうやってもっこうした内容とほぼ同様の発言をモナカがしたからだ。賢いモナカが……。たんなる妄想では終わってくれそうにないのが嫌だった。嫌だ、嫌だ。内心にそう嘆いた直後、「ちょっと待ってよ」と若葉がぜっぽう鋭くモナカに言い返した。

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