4 八年前の真実
モナカの推理には反論の余地がない――杏奈はそう思わされた。赤ずきんは依然としてなにも言ってこないけど。襲いかかっても来ない。スレッジハンマーの先端を床に当てて杖のようにしており、やはりこちらの会話に聞き入っているのだろうか……?
「訊きたいことがあるんだよね」
引きつづき赤ずきんのほうにも細心の注意を払いながら、杏奈はモナカに質問した。
「モナカも知ってのとおり、あの赤ずきんはときどき直立不動の姿勢になるんだよ。なんでかわかる? 猫背になるのが嫌とかじゃないよね?」
「予断を許さないこの状況下です。そんなわけないと思います」
だよね。じゃあ、なんで?
ふと思いついたのは、赤ずきん自らが自分が誰なのか推理させるためのヒントを与えていたのではないか、というものだった。
「いま思いついたんだけど、モナカよりも背の高い人でも軽く膝を曲げたら、赤ずきんの衣装のすそが床に着くかもしれないじゃん。それだと、さっきのモナカのロジックは成立しなくなる。佐絵さんひとりに限定できず、若葉が赤ずきんの可能性も残っちゃう。だけど、赤ずきんが体をまっすぐ伸ばしたような姿勢を取ることで、モナカの推理に異論を差しはさむ余地はなくなったよね?」
「そうですけど、なぜ赤ずきん自らがそんなことをしなければならないのですか」
まったくだ。モナカの指摘どおりだが、その質問は杏奈が赤ずきんにしてやりたい。
「たとえ、そのような理由があったにせよ、
モナカはまた〝一番の理由〟とか言いだした。言いだしたからには、なぜ赤ずきんが直立不動の姿勢を取っていたのか、モナカにはわかっているということか。
「見当はついています。いまは言いませんけどね」
「それって……さっきと一緒で、あとで説明したほうがわかりやすいから」
「杏奈さんは飲みこみが早くて助かります」
なら、仕方がないか。赤ずきんが全部ぶちまけてくれたら、それが一番手っ取り早いのに、置物のようにずっと黙りこくっている。
「――ちょっと、どういうこと」
突然、隠し部屋の奥のほうから若葉の声がした。天井の出入り口から顔を突き出している。それから、あわてて階段を下りてきた。杏奈のとなりまで走ってくる。
「杏奈、モナカまで……」
若葉の表情が固まった。「ってことは、あの赤ずきんは……佐絵さん」
「ったくよ」
鳩の顔の赤ずきんから舌打ちと、ため息と、佐絵の声がした。
「くそったれ」佐絵はハンマーを持っていないほうの手で鳩マスクを外して床に投げ捨てた。「さすがはモナカちゃん。前から一目置いてたが、参ったね」
「杏奈さんを本気で殺すつもりだったんですか?」
たずねたモナカが隠し部屋から展示室へと出た。すたすた歩きながら佐絵までの距離をつめていく。ふたりのあいだには一メートルもない。ともすれば、スレッジハンマーで脳天をたたかれそうな距離感なのに、モナカは平然としていて、すごい度胸だ。
「なにがどうなってんのか教えてよ」
早口で言いながら、若葉も杏奈のあとを追ってくる。
「そっちこそ教えて」杏奈は若葉に言った。「なんで天井から下りてきたの?」
「それは……電話が終わったあと、管理事務室に立ちよったの。展示室と地下倉庫の鍵、返ってきてるかもしれないって思ったから。そしたらさ、返ってきてないうえに元管理人の住戸の鍵までなくなってる。その鍵を持っていったやつが展示室と倉庫の鍵も持ってるのかなって思った。だから元管理人の住戸まで行ったの。各部屋を回ってる最中に書斎の引き出しが迫りあがってるのを見つけて、床に扉。そんなん見つけたら、あけるでしょ」
で、こうして下りてきたわけか。
「書斎の床の扉、モナカがやったの?」
若葉が説明を求める視線を放ったが、モナカはなにも答えない。若葉のほうをちらりと見ようともしないモナカは、不敵な面持ちの佐絵と対峙しつづけていた。
「佐絵さんがなんで、こんなこと……?」
杏奈はかぶりをふった。「九億円のルビーリングが目的なら、堂々と一緒に探せばよかったのに。それとも、あの古坂の死体――」
「あの死体はな、わたしが寝袋に入れて隠し部屋に放りこんだんだよ。八年前の事件の日に」
佐絵はすんなり白状した。
「……佐絵さんが?」
杏奈は目を見張った。「八年前の事件のとき、佐絵さん、高校生でしょ……?」
「そうだよ。村木と依田が殺された八年前の大晦日、わたしはその日、まだ高校生だった。実は同じ日に古坂も死んでたわけだ」
わけがわからない。八年前に高校生だった佐絵が第四女子寮にいて、逃亡したと思われていた古坂一郎の死体を隠し部屋に放りこんだ?
「あの日からわたしが大学生になって第四女子寮に入るまで三ヵ月だ」
大学の入学式は四月の頭。寮に入る場合、その前に入寮を決める新入生は多い。
「八年前の大晦日の日から三ヵ月後の三月下旬に入寮して、こっそり隠し部屋に入って、久々に再会した古坂の死体はすっかり腐ってた。そうなるのはわかりきっていたから、死体を放りこんですぐに隠し部屋の換気扇を回しておいたんだ。稼働させたまま放置した。四ヵ月後に再会した死体には殺虫スプレーも吹きかけたし、こまめに消臭もした」
「換気は隠し部屋と展示室のあいだの壁に穴ができたり、ひびが入ったりして、死臭が外にもれ出たときのための対策ですね?」
モナカが問うと、「ああ」と佐絵は素直に答える。
「絶え間なく換気しておけば、死臭が隠し部屋から展示室にもれ出たとしても、最小限ですむと思った。それに、うちの寮は排気ダクトに脱臭装置を設置してる。そう聞いてた。外に排出された臭いのせいで死体の存在に勘づかれる恐れはないと思った」
脱臭装置が設置された最大の理由は、臭いの強い大麻や一部の脱法ドラッグの臭気対策として、だったはずだ。そんなことが書かれた記事を読んだことがあるが、八年前に高校生だった佐絵が事件当夜の時点で脱臭装置のことをなぜ知っていたんだろう?
「殺したんですか、佐絵さんが古坂を?」
わからないことだらけのなか、せめてそれだけは真っ先に知りたい衝動に駆られて、杏奈は訊いてみた。
「わたしは村木の愛人だった」
愛人!? 質問の答えとはちがっていたが、衝撃的だ。杏奈は耳を疑った。本気で聞きまちがいを疑って首をかしげようとした杏奈に、「おかしいか?」と佐絵は苦笑いだ。
「村木は女子大生相手にシャブを売りつけたり、売春させるようなやつだぜ。女子高生を愛人にしてても不思議じゃないだろ。脱臭装置のことも村木から聞かされていたんだよ。臭気対策はばっちりだから寮内なら臭いの強い違法薬物もやりたい放題だぞってね」
「でも……でも、佐絵さんは、お金持ちなのに……」
杏奈の声が細くなる。「どうして?」
「金持ちだが、わたしは嘘つきだ。わたしに親はいない。小遣いほしさに村木の愛人になったのが高二のときさ。それなりに
薄笑いの佐絵が、隠し部屋に向かって、くいっとあごをしゃくった。
「八年前、古坂の死体を隠したときに、ショーケースにあった宝石を頂戴した。床にも現金で三億は積んであった。へそくりか、脱税した金かは知らないけどな。その現金も頂戴して、わたしは裕福になった。豪遊する
「ルビーリングは――」
「そう、それだ。ルビーリング、ピジョン・ブラッド。それだけがないんだよ」
杏奈の声に佐絵の言葉が押しかぶさった。「なんでだよ?」
矢のように鋭い佐絵の視線が全員に飛来する。
「だから、おまえらにも教えてやったんだ。村木が手帳に書き記していた暗号をな」
「暗号は」杏奈が首をひねる。「当時の寮生が警察から聞いたんじゃ……?」
「わたしは嘘つきだと言っただろ」
佐絵が嘲笑する。「村木の手帳は事件の夜、わたしが死体から回収した。警察は知らねえよ、手帳の中身なんぞ」
杏奈は頭を抱えそうになる。
なんで? またしても、わけがわからない。自分もモナカも、佐絵に教えてもらった暗号を解いて隠し部屋を発見した。杏奈にいたっては古坂の死体まで見つけたのだ。
佐絵が隠した死体を見つけてよかったの?
「佐絵さんは、古坂を殺していませんからね」
混乱するばかりの杏奈の顔を見て、モナカが唐突に言った。
「え……」杏奈もモナカの顔を見た。「殺してないの?」
「さっきの推理といい、
佐絵が笑う。警戒するような、ぎこちない笑顔だ。
「わたしは、ありえそうな理屈を述べ立てているだけです」
「佐絵さんが古坂を殺してないってほんと? ほんとなら、誰が……?」
杏奈が訊くと、モナカは佐絵にあごをしゃくった。あんたがしゃべるのが一番早い。モナカの冷めた顔が言外にそううながしていたが、「当ててみろ」と佐絵は挑発してきた。
モナカのため息が聞こえる。
「……いいでしょう。では、わたしの考えを述べます」
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