3 赤ずきんの正体? ②
布が微かに床をこする音がそのとき聞こえた。様子を窺っていた赤ずきんが二歩、三歩と慎重な足取りで前進してきた音だ。赤ずきんのドレスとマントのすそ自体があたかも意識をもって舌なめずりしているかのように波を打ち、するすると床をこすっている。
杏奈がおののくと、向こうは立ち止まって、またしても直立不動の姿勢を取った。体をまっすぐ伸ばして……なんで? どうしてそんなに姿勢が気になるの?
「その姿勢でもそうなるのなら、わたしの考えはいよいよ正しいということです」
モナカがドレスとマントのすそを指さした。「あの立ち姿。背中と、おそらくは足もちゃんと伸ばして立っているのでしょう。あのような状態であったとしても、ドレスとマントのすそが床に着いている」
「……だから?」
「杏奈さん、思い出してください。わたしが赤ずきんのコスプレをしたときのことを」
モナカがコスプレをしたのはハロウィンだ。
あのとき、モナカは赤ずきんの格好なのに、草履で……。
「あっ――」
あの日、モナカは厚味のない草履をはいていた。ドレスとマントのすそは床に着いていなかった。ドレスとマントのすそは、モナカのくるぶしと草履の中間の位置に……。
「あの赤ずきんの衣装は、わたしがハロウィンのときに着ていた物と同じだと思います」
「それはまちがいないと思う」
同意した杏奈がモナカに教えてあげた。管理事務室のキーボックスをたしかめたとき、展示室と地下倉庫の鍵がなくなっていたことを。若葉と一緒に地下倉庫に入ったとき、そこにはまだ赤ずきんの衣装があったことを。おそらくはそのあとで、前もって借りておいた鍵を使って地下倉庫に忍びこみ、赤ずきんの衣装を身にまとった誰かが杏奈を襲撃しているに相違ないことを。
「展示室と地下倉庫の鍵がなくなっていたことなら実は存じあげています。元管理人の住戸の鍵を借りるために管理事務室にうかがったとき、キーボックスをあけましたから」
杏奈と若葉が管理事務室から出た直後の出来事らしい。
「ついでに打ち明けると、管理事務室にはもっと早くにうかがう予定だったのですが、なかから話し声が聞こえてきました。若葉さんがいる。そのことに気がついたので遠慮したのです。最近の若葉さんはわたしのことを嫌っていますから」
懸命な判断だ。
「ですが、もれ聞こえてくる杏奈さんと若葉さんの会話が実に興味深かった。このモナカ、いくばくかの罪悪感を覚えつつも、ドアに耳をはりつけて盗み聞きしちゃいました」
「……そうなんだ」
杏奈は赤ずきんのほうをちらちら見ながら言った。赤ずきんは直立不動の体勢でこそなくなったが、銅像のように動かない。こちらの話に聞き入っているのか……?
「ですから、杏奈さんたちが防犯カメラの映像を確認していたこと、その結果、部外者が寮内に出入りしていないこと、来訪者リストまでチェックしていたこと、キーボックスから展示室と地下倉庫の鍵がなくなっていたこと、マスターキーは若葉さんが持って管理事務室から出たことなど、実は全部知っています。盗み聞きして、ごめんなさい」
全然気づかなかった。モナカは杏奈たちが管理事務室から出る直前にエレベーターの陰に隠れて上手くやりすごしたそうだ。そのとき、若葉がマスターキーを持っているのも盗み見たという。
「会話を盗み聞きした時点においては、展示室と地下倉庫の鍵を誰がどんな目的で借りたのかはわかりませんでした」とモナカは言うが、本当だろうか?
モナカの立場になって杏奈はふと考えてみた。鍵は寮生が借りた――モナカが盗み聞きしていた時点でそれは明瞭な事実だったはずだ。四人の寮生のうち、モナカ自身は当然、自分が鍵を借りていないことを知っている。会話を盗み聞きしていたのなら、杏奈と若葉が展示室と地下倉庫の鍵を借りていないこともわかっている。よって、残りひとりの寮生、佐絵が鍵を借りた――そのように推理できたのではないか。
杏奈がそう指摘すると、モナカは「いいえ」と首を横にふった。
「杏奈さんと若葉さんのどちらかが実は前もって展示室と地下倉庫の鍵を借りていながら、知らぬ存ぜぬと嘘をついている。そのような可能性もありましたので。あの時点ではね」
なるほど……言われてみればそうかもしれない。
「とにかく、地下倉庫の鍵がなくなっていたのは、倉庫に保管してあった赤ずきんの衣装をこっそり身につけるためでしょう。杏奈さんを襲撃するに際して衣装が必要だったから。
管理事務室とキーボックス。そのどちらも寮生が所持するカードキーで解錠可能です。すなわち、管理員さんか寮生ならば、地下倉庫のドアの鍵をあけて、そこに置いてある赤ずきんの衣装を身につけることができたわけです」
微動だにしない赤ずきんのほうを見ながら、「そうだね」と杏奈は合いの手を入れた。
「本日は十二月二十二日、水曜日、平日です。現在時刻、十九時十分すぎ。管理員さんは十七時までの勤務なので、すでに退勤しています。女子寮にはいません。いま、われわれの目の前にいる赤ずきんは、管理員さんではありえない、ということです。寮生のうちの誰かが、鳩の顔の赤ずきんなのです」
モナカの話に杏奈はうなずく。地下フロアに下りる前に、杏奈は防犯カメラの映像をすべてチェックした。管理員が退勤する姿も録画映像で確認ずみだ。
「あの赤ずきん、展示室のドアを鍵であけたんだよ。キーボックスからなくなっていた展示室の鍵もあいつが持ってるって証拠だよ」
杏奈がモナカに伝える。「直前にバリケードができたから、ついさっきまで侵入されずにすんだけど……」
寮生が鳩の顔の赤ずきん。そこまでは杏奈にもわかる。赤ずきんに追われ、展示室に逃げこんだ直後から気がついていたことだ。
問題はそこから先だった。寮生の誰が鳩の顔の赤ずきんなのか? ずっと犯人を絞りこめないでいたが、モナカは赤ずきんの正体は佐絵だと断言している。
「この状況から推測するに、鳩の顔の赤ずきんは杏奈さんに危害を加えようとしている。杏奈さんを襲撃した人物が、赤ずきんの衣装と鳩マスクを選んだ理由のひとつは、杏奈さんに誰が犯人なのか気づかれないようにするためでしょう。杏奈さんを殺しそこねた場合の保険として全身を衣装で隠しておきたかった」
このモナカの意見には杏奈も同意するが、理由のひとつ? その言い方だと、赤ずきんの衣装を選んだ別の理由があるみたいじゃないか。杏奈がそのことを問うよりも早くモナカが話をつづけた。
「佐絵さんの唾液や毛髪、指紋が赤ずきんの衣装に付着していたとして、そのことを警察に調べられたとしても、今回の件に関係なく前に試着したことがあると言っておけばよいでしょう。佐絵さんはここの寮生です。ありえない話ではないので。ハロウィンのときにわたしが着ていた赤ずきんの衣装を見て、自分もちょっと着てみたくなったとかどうとか、なんとでも言いつくろえますよ」
「そのことも……赤ずきんの衣装が選ばれた理由のひとつなのかな?」
「かもしれませんが、一番の理由は別にあります。それについては、あとで説明します」
「いまじゃダメなの?」
「あとで説明したほうが、わかりやすいんですよ」
「じゃあ……わかった」
杏奈はしぶしぶうなずいた。
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