6 封印された小説②

「尊敬するおじいさまに倣って、杏奈さんも事件の取材をなさったんですか?」

「してない。できるわけない。素人の高校生なんだから」


 Xの友人に心を打たれたのはたしかだが、事件関係者に取材を試みる度胸はなかった。


「ただ、取材は無理でもはかることならできると思った。テレビや新聞、週刊誌の報道を参考にして。いま思えば、クラスメイトたちがドラマの考察をやってるのとじっひゃっだよ。あのときのわたしに、その自覚はなかったけど」


「取材なしだと、考察は不完全なものになるのでは?」


「その自覚はあった。報道された内容がすべて正しいともかぎらない。だからノンフィクションじゃなくて、フィクションの小説にしたんだよ。ちゃんと読める物なのか反応が欲しいと思ったわたしは、小説投稿サイトに全文載せてみた。高校二年の冬休みに。小説のモデルにした事件から一年ほどが経っていた」


 そのころになると、Xの友人にも変化が生じていた。Xの身の潔白を証明することを完全にあきらめたのだ。現場の状況からしてX以外に犯人はありえない。警察がくり返し発表したその見解を信じざるをえなかったらしい。


 第一にXの友人は、Yとの不倫、中絶の強要に関することのみならず、Xが体罰の被害者だった事実も知らなかった。Xの友人が知らないXを知るにつれ、Xが親を恨んで殺しても仕方がないと納得してしまったという。


「小説、評判がよかったということは、面白かったんですね?」


「自分ではわからないけど、たくさんほめてもらった。事件関係者の名前や場所はフィクション化に合わせて変えたんだけど、実在の事件をモチーフにしたからさ、そりゃ細部にリアリティが出るんだよ。おかげで小説に独特の緊張感を持たせられたとは思う」


 そうやって築かれた強固な地盤の上に、実際に報道された内容とはまったく別の〝真相〟を用意した。黒幕Zが出てくるを。


「Xの友人が当初主張していたXの無実。それをすべて鵜呑みにするのは無理でも、ある程度は信じることにした場合、黒幕的存在がいてXをそそのかしたんじゃないのかって想像してみたの。それがZを登場させた理由のひとつ。もちろん最大の理由は読者サービスだったわけだけど。ノンフィクションじゃなくてフィクションだからね。どんでん返し、好きな人多いでしょ。だからだよ。事実、ウケた。ウケたからこそ怖くなった」


「登場人物の名前も事件が起きた場所も変えたのに、元ネタを見抜く人が現れたから、ですね?」

「そこまで聞いてるんだ」

「すみません」

「いいよ、別に。酔っ払って口走ったわたしが悪い」


 投稿サイトには小説にコメントできる機能がついていた。あるとき、ひとりのユーザーが実在の事件をモチーフにした小説だと気がついて、そのことを書きこんできたのだ。


「批判的なコメントでしたか?」


 杏奈はかぶりをふった。


「批判でも中傷でもなかった。不謹慎だとか、そんなことすら言われなかった。実際に起きた事件を参考にして、熱心に調べて、それを小説にしてすごいですね、みたいな感想でさ、ほめてくれたよ。だけどその人、事件が起きた時期や地名まで書きこんじゃって」


「そのせいで他のユーザーにも小説の元ネタがバレた?」


 あのときのことを思い出した杏奈は、そわそわしながら、おもむろにうなずいた。


「宣伝に使ってたツイッターやインスタにも似たようなコメントが来るようになった。そっちのほうでも別に批判されたわけじゃないけど、隠し事がバレたら気まずいでしょ。だんだん怖くなってきて、SNSで小説の宣伝してたのも消しちゃった。個人情報がわかるようなことも呟いてたしさ。ツイッターのほうでとくにね」


「顔写真とか?」


「それもある。ツイッターには、わたしが通ってた高校と塾を特定できそうなのも何枚かあった。そんなに話題になるとは思ってなかったから、小説を書いたことは高校や塾の友だちにも公言しちゃってたし。そのうち学校か塾で直接なんか言ってくる人が出てきたら怖いなって思ったの」


 当時の感覚がよみがえってきて、うなじの内側がざわつく。もぞもぞと上半身が落ちつかない気分にもなってきた。


「お言葉ですが、その程度のことで動揺しているようでは、尊敬するおじいさまのようなノンフィクション作家にはなれないのでは?」


「手厳しいことを言う」

 杏奈は苦笑した。だが、ごもっともな意見だろう。


「おじいちゃんは事件の被害者を救済するために不可解な事件を取材したり、警察が見落としていた真相を見抜いたりして、そのことを本にしていた。わたしの場合は文章修行のために書いた小説だった。遊び半分の考察だった。現実とは異なる真相を用意した、よくも悪くもエンタメだった」


「現実の事件をモチーフにしたエンタメ小説なんて古今東西、山ほどありますけどね」


「そうかもだけど、とにかく怖かったの。そのうち不謹慎だとか言われて炎上するんじゃないかって。そんな心配ばかりするようになって、気が滅入っちゃった。だから、あの小説は封印した。読ませてあげられない。ごめんね」


 若葉からもこれまでに何度も読ませてほしいとお願いされてはその断ってきた。高三の四月に若葉が杏奈の通っていた塾に来て、ほどなく友人になってから何度もだ。


「小説のモデルにした事件のことは、いつかちゃんと調べたいと思ってるんだよね」


「事件は解決したのに? なにか引っかかっているんですか?」


「それ以前の話。遊び半分で考察とかしちゃったのが嫌なんだよ。いまでもときどき思い出す――Xの友だちがテレビの取材で泣いていた顔を。彼女の必死の訴えを。最終的に彼女はXの無実を信じきれずに、警察の発表を受け入れたけど、新聞や週刊誌の取材を受けてテレビで顔出しまでしてるんだよ。ものすごく勇気のいることだったと思う」


 それにくらべて自分はなにをした? あのとき、フィクションの小説だったとはいえ、事実だと思って書いた部分に誤りがあるかもしれない。いつか事件のことをしっかりと調べてみたい。否、みたいではなく、そうしなければならない。軽い気持ちで関わっていい事件ではなかったのだから。


「わたしがプロのノンフィクション作家になれたら必ず取材する。たとえ警察の発表と同じ結果になろうとも。それはそれで、わたしの自己満足なのかもしれないけど」

「気持ちはわかります。わたしも……過去にとらわれているから」


 モナカの言う過去とは、彼女の父と姉を亡くした事件のことだろうか。


「いつか必ずちゃんと取材して調べなおす。その取材が記事か本になったら、そのときに読んでよ。小説じゃなくて、ノンフィクションのほうを」

 杏奈がそこまで言うと、「わかりました」とモナカは素直に引き下がってくれた。

「無理を言って申しわけありませんでした。長居もしてしまいました。帰ります」

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