5 Zの罠

「報復の対象は両親だけですか? 元恋人Yのことも恨むようになったんでしょ?」


「YはXの妊娠が発覚すると、塾の仕事をクビになった。Yは妻にも見放されて離婚。すげない態度を取ったYのことをXは恨みつづけていたけれど、一度は愛した人なんだよ。両親とちがって暴力をふるわれたこともない。Yは元妻から『子どもと会うのは遠慮して』と言い渡されていた。もうじゅうぶん罰は受けたって思ったのかもね。Yはまだ若くて容姿端麗だったから、離婚後は歌舞伎町でホストになった」


 このYにまつわる一連の出来事も創作ではない。事実だ。XがYに対して、じゅうぶん罰を受けたと思ったのかも、というのは杏奈の感想なので事実とは異なるかもしれないが。


「週刊誌の報道によると、Yは妻への慰謝料が原因で金欠に陥ってた。ホストになったのもきんさくのため。ホストだからって華やかな生活を送っていたわけじゃない。離婚後は節約の日々でオートロックも防犯カメラもない古いアパートで暮らしていたんだって」


 杏奈は小説にするとき、この事実に目をつけた。


「ここからまた、わたしの創作の話に戻るね。

 わたしの小説だと、Yを憎悪していたXは彼のことも殺せるなら殺したいと考えるようになった。そんなXに、友人で後輩のZはこう吹きこんだ。殺す以外の地獄もあるよ、Yにそれを経験させてやろうよって。

 ZがXに持ちかけた計画はこう。Yのアリバイがない時間帯にXが両親を殺す。Xはこのとき、アリバイ作りのため、Zの家に泊まっていたことにする。本当は泊まってなどいないけど、ZがXのためにしょうすると約束した。そして――」


「すみません、質問です」

 メガネの奥の目を細めてモナカが挙手した。「Zがどうごまかそうとも、Zの家族が犯行時刻にXはわが家にいなかったと証言する恐れがあるのでは?」


「その心配はない。Zは一戸建てでひとり暮らしって設定にしたから。これについてはあとで説明する。いい?」

「了解しました。つづきをどうぞ」


「Yがホストの仕事が終わって帰宅した時刻に、Xが彼女の両親を殺害する。Yのアパートには防犯カメラがない。Yが犯行時刻、自分の部屋にいたことを証明することはできない。犯行現場にはYを特定できる〝ぶっしょう〟を残しておく。Yがうっかり落としたみたいに工夫して。この〝物証〟はZが用意するとXに約束した。

 Xは犯行後、警察にこう証言するつもりだった。Yは本音では子どもを産んでほしかったのにXの両親に反対されて、塾講師の地位まで奪われ、YはYでXの両親のことを恨んでいたと。これにより、YがXの両親を殺したとしてもおかしくない、警察にそう思わせることができる――そうやってYを犯人に仕立てあげるつもりだった。無実が証明されなければYは生き地獄を味わう。Zは言葉巧みにXにそうきょうした。怨念と絶望に呑まれ、まともな判断力を失っていたXを犯罪に駆り立てた」


 ところが、この計画自体がZの罠だった――というのが杏奈の小説のきもだ。


「事件当日の深夜、ホストの仕事を終えたYは、客と一緒に別の店で飲んでいた。Yのことを気に入っているふときゃくと一緒にね。その太客が来る日は決まっていて、必ずアフターで別の店に行くことをZは調査ずみだった。

 。そうとも知らず、XはZの指示どおり両親を殺害して、積年の恨みを晴らした。

 同時刻、ZもXの自宅を訪問。『手に入れたYの私物を現場に残すために』という口実でね。しかし、これはZがXについた嘘。事件当夜、ZはYの私物など持ち合わせていなかった。なぜなら、から。

 Zがその夜、現場に残した物は、Yの私物ではなくて〝遺書〟だった。〝〟」


 事件後に本当に〝遺書〟が発見されたそうだ。Xによる手書きの〝遺書〟が。


〈殺してやる。恨んでやる。わたしも自殺してやる。もう全部、ぐちゃぐちゃだ〉


 週刊誌が掲載していた記事によると、そんな内容だったらしい。


「わたしの小説の場合、発見された〝遺書〟は本物の遺書ではなくて、ってことにした」


 Yから別れを切り出されたときに逆上したXが、勢いで書き殴ったY宛ての手紙。それが〝遺書〟の正体だ。


「手紙の内容が内容なだけに、Xも手紙を書き終えると多少は冷静になって、結局、Yに手紙は出さなかった。でも、こんこんとあふれ出る恨みの炎は燃えつづけた。手紙を捨て去るまでにはいたらず、自室の引き出しのなかにしまってあった――という話にしたの。

 ZはXから事前にその話を聞かされていた。Zは手紙を〝Xの遺書〟にできると考えた。ZはXを自殺に偽装して殺したあと、手紙をXの死体のそばに置いた。そうすることで警察はXが両親を殺した犯人だと決めつけるはずだ。Zはそう確信していた」


「Zはなぜ、そこまでやったのですか?」

 モナカがメガネをかけなおした。「えらく計画的な犯行ですけど、ZはXがよほど憎かったのでしょうか?」


「って思うよね。実はそうじゃなくて……」

 杏奈は渋い顔になって言いよどんだ。「わかりやすく言うなら、Zはりょう殺人鬼。快楽殺人のためにXをもてあそんで殺した。Zの犯行はこれが最初じゃない。彼女は自分の身内ですら、事故や自殺に見せかけて殺してる。Zは両親や祖父母に恨みはなかった。快楽のために殺しただけだから。だからZは、一戸建てでひとり暮らしって設定なの」


「ということは、ZはXに対しても恨みを抱いていなかった?」


「むしろ、。快楽のためだけに。ZはXをもてあそぶのが楽しくて楽しくて仕方なかった。Zのキャラ設定は荒唐無稽かもしれないけど、実はこのZって、おじいちゃんのルポルタージュに出てくる犯人がモデルなんだよね。おじいちゃんが出した四冊目の本に出てくる犯人がそんなやつなんだよ。わたし、はじめて読んだとき、怖くて怖くて。インパクがすさまじかったから、よく憶えてる。それで……」


 現代風にアレンジして小説の登場人物にしたのだ。


「荒唐無稽とは思いません。現実に快楽殺人鬼はいますから、世界中にね。むろん、そのへんにゴロゴロいるわけではないでしょう。ですが、有名な殺人鬼はこれまでにさんざんメディアで取りあげられてきました。杏奈さんのおじいさまだって本で取りあげた。運悪くそんな恐ろしい殺人鬼に目をつけられてしまう人もいる」


「そうなったら怖いよねってお話なんだよ、わたしが書いた小説は」


「ZがわざわざYを生かした理由は、次のターゲットにするためですか?」


「さすがはモナカ、鋭いね。Zは次に、Yを自殺に見せかけて殺すつもりだった。YはXの件で負い目を感じていたから自殺してもおかしくないだろうって警察も世間も考えてくれる。次の殺しのターゲットにはもってこい。Zはそう考えたってことにしたんだよ。

 以上、これがわたしが過去に執筆した小説の内容でした」

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