4 X Y Z

 杏奈にとって嫌な思い出に分類されてしまった自作小説のことも、その小説のモデルになった事件のことも、いまここで語って聞かせてあげる義理も義務もないが、モナカの過去を知りすぎた。うさん臭さまんさいだった幽霊の話はともかく、モナカの口ぶりからして、彼女の父と姉が奇妙で不幸な最期を迎えたのは事実のような気がする。


 事実かもしれないと思ったら、きりきりと胃が重たくなってきた。杏奈は不意に心のバランスを取りたくなった。自分のこともなにか話してあげようかな……ふとそう思ってしまったのだ。


「事件はね、わたしが高校一年生のころに起こったの。裕福な四十代の夫婦が殺された。現場は都内のかんせいな住宅街にたたずむ一軒家。わたしの実家からもそんなに遠くなくてさ、ニュースで事件のことを知ったときに興味を持っちゃった」


 事件の詳細がわかると、祖父に憧れてノンフィクション作家になりたいとそうしていた少女は、ルポルタージュのネタにできると安易に考えてしまったのだ。


「犯人は被害者夫婦のひとり娘だった。仮にその子のことをXって呼ぼうか? もう何年も前の話だから、関係者で名前を忘れちゃった人たちもいるから」


「呼称は杏奈さんにおまかせします。事件の内容がわかるなら、それでいいです」


「じゃあ、Xで。Xは事件当時、高校三年生の女の子だったの。Xの両親はふたりとも医者だった。ひとり娘のXのことも医者にしようと思ってた。医学部に合格させるために教育熱心だった。でも、Xは医者にはなりたくなかった。Xはエンタメ関係の仕事、映画とかドラマとかの作り手になりたかったみたい。役者志望じゃなくて裏方の仕事がしたかった。医者にしたい親は猛反対。ままならない人生のなかでXは魔が差したんだと思う」


 Xは通っていた進学塾の男性講師とになった。


「相手の講師のことはYって呼ぼうか。相手の講師Yは二十代半ばのイケメンで、彼は大学を卒業するまで芸能事務所に所属していたんだって。売れなかったらしいけど、ドラマにやくで出演した経験が何度かあった」


 将来就職したい業界に関わっていた過去を持つYに、Xがだんだんと惹かれていったのは自然なことだったのかもしれない。


「Yは優しくて聞き上手で、Xの夢にも理解を示してくれた。Xの両親とちがってね。XにとってYは心のだった。だけどYには、妻と子どもがいた。しかも当時、Xは高校三年生だったとはいえ、三月生まれだったらまだ十七歳。十八歳未満だから……」


 いんこうだ。杏奈はソファから腰を上げて、冷蔵庫の前に移動した。


「誰にも言えない秘密の関係。それでも、ふたりの交際は順調だった。XがYの子どもを妊娠するまでは。XもYが妻子持ちだと知ってて付き合ってた。産めば面倒なことになる。それは百も承知で、それでも好きな人の子どもだったからXは産みたいと言った。Yは猛反対。そりゃそうだ。不倫も淫行もバレるからね。YはXに中絶を強要した」


 杏奈は二本目の缶ビールを持ってソファに戻った。


「子どもを産みたかったXは、悩みに悩んだ末に両親に相談したの。さすがにこの件に関しては、娘の考えを尊重してくれるだろう、自分の味方になってくれるだろうと信じて。ところが、Xは両親からも激しく責め立てられ、Yと同じように中絶を迫られた。

 不倫など言語道断だ、Yが離婚してXと一緒になると言いだしても、そんな男はダメだ、妊娠に関係なくダメ、子どもはろせ、中絶しないのならぜつえんする、家から出ていけ、経済援助はいっさい行わない、ひとりで子どもを産んでとうに迷え、それが嫌なら堕ろせ、苦労するとわかっている子どもを産んでやるな……ってね」


 洗脳するように親からそう言われつづけたXは、泣く泣く中絶を受け入れた。でも、この出来事をきっかけに、Xはこれまで以上に親のことを憎むようになる。肝心なときに味方になってくれなかったYのことも。


「それが動機ですか、Xが両親を殺害した?」


「事件後の報道によると、そうみたい。あくまでも動機のひとつでしかなかったみたいだけど。Xが親を恨む理由は他にもあった。Xは幼いころから体罰の被害者だったの。両親は本気で教育だと思いこんでいたようだけど、いまどき体罰だなんて……」


「恨まれても仕方ありませんね」

「わたしもそう思っちゃった。Xは両親を殺したあと、自殺した」


「……自殺」モナカは深く考えこむように床を見つめて呟いた。「そうですか」


 Xが怨霊になった可能性を考えているのだろうか? 

 幽霊化の条件は、霊能力の持ち主かつ強い感情を抱いて死んだ者。Xは後者には当てはまるかもしれないが、前者はどうだろう? 


「Xと彼女の両親が暮らしていた一戸建ては事件後に空き家になった。買い手がつかない状態で、いまでもそうかも。オバケが出たなんて話は全然聞かないけどね」


「Xが幽霊化していなくても不思議ではありません。霊能力を保持していない人のほうが圧倒的に多いのですから。しかし、残留思念ぐらいなら……見つかるかな」


 まさか、見つけにいくつもりなのか? ようようと空き家に押しかけるモナカを想像して、乾いた笑みがもれそうになる。


「杏奈さんはその事件をどう料理したんですか、小説にするにあたって」


 杏奈はビールに口をつけた。「わたしが創造したその〝黒幕〟をZって呼ぼうか。ここからは、わたしの小説の話だから、事実じゃないことも混ざってくる。いい?」


「構いません。そのZとは何者ですか?」


「Xの女友だちって設定にした。ジムで仲よくなった別の学校の後輩がZ。同じ学校や塾の友だちにしちゃうと、ありがちなキャラ設定でしょ。差別化のためにジムで知り合った他校の後輩ってことにしたの」


 ただし、Xのジム通いは本当だ。長期間の受験勉強においては体力も必要不可欠になってくる。学校の運動部に所属させたら、そっちにかまけて勉強がおろそかになるかもしれない、という考えの両親に命じられ、Xは体力作りのためにジムに通わされていた。


 ジムのみならず、民間のテニススクールにも通っていたらしい。こちらは両親の趣味に付き合わされた結果だ。なにもかも親の言いなりだったのだろう。


「後輩で友人のZは、Xを気づかうふりをしながら、少しずつXの心の隙間に入りこんでいった。そうやって、じょじょに相手からの信頼を勝ち得ていく。じんしんしょうあくけていたZは、怒りのあまり正常な精神状態ではなかったXに、折をみて彼女の両親殺害計画を持ちかけた。恨みを晴らそうよ、あなたばかり傷つくなんてまちがってる――傷心のXに優しくそう語りかけた。

 もちろん、Xはおどろいた。ひどく戸惑った。最初はZのきつい冗談だと思った。だけど、理不尽を強制された怒りがおさまらない。もうそのころには、XにとってZは新しい心の寄る辺になっていた。そんなZが決して冗談を言っているのではないとわかると……Xもとうとう決断した」

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