3 モナカの家族②

 無理やりロープで首を……悪霊とはいえ、そんなことができるのだろうか? ついつい話に聞き入ってしまいそうになるが、ツッコミどころだと思ったので杏奈は質問してみた。


「できます。ただし先に断っておきますが、悪霊が父と姉にひょうして体を乗っ取り、本人たちの意志に反して自殺してみせた、という可能性はゼロです。完全にゼロ。ホラー映画などで生者に憑依して他人の体をほしいままに操る悪霊が出てきますが、あれはフィクションです。どんなに強力な悪霊でもそんなことは不可能だそうです。祖母や父いわく」


 幽霊の存在自体がフィクションだと思うんだけどなあ……。


「ですから、たとえばですよ。吉野りんかの幽霊が寮生に憑依して自由を奪い、勝手に一連の警告文を送りつけた、という可能性もゼロなのです」


「……そうなんだ。あれ、でも前にモナカ言ってなかった? 赤ずきんの衣装がりんか本人の物だったら、知り合いの霊能力者に口寄せしてもらうつもりだったとかどうとか」


「あれは物に宿るざんりゅうねんを口寄せしてもらう、という意味で言ったのです。幽霊自らが人間に憑依するのとは全然ちがうんですよ」

 全然ちがうらしい。


「死んだ人間はれいたいの一部をこの世に残していくことがあります。それが残留思念です。吹けば飛ぶホコリのごとく弱々しい存在。それが残留思念。出くわしたところで害はありませんが、近くに強い霊がいると、その霊に共鳴して死んでいった者たちの想いが、残留思念がされることがあります。それを見て、オバケだと思う人もいるでしょうね。

 しかし厳密には、幽霊と残留思念は異なります。以前、わたしは幽霊化するには条件があると申しあげました。生前に霊能力を持ち合わせていること。なおかつ強い感情を抱いて死んでいること。このふたつの条件を満たせば幽霊になれる、と。

 他方、ぜいじゃくな存在たる残留思念は、強い感情を抱いて死ねばこの世に残すことができます。霊能力の有無は関係なし。父と姉を殺した悪霊はむろん残留思念ではありません。残留思念ごときが父と姉を自殺に見せかけて殺すなど不可能です。では、悪霊はどのようにして、父と姉を無理やりロープによる首吊り自殺に見せかけたのか」


 ようやく話が元に戻ってきた。あまり聞きたい話でもないが。


「それは単純にちからわざです。悪霊が父を持ちあげてロープに首を引っかける。このとき、父は無理やり首吊りさせられたのだから、ふつうは両手で必死にロープを外そうとするはずです。実際そうしようとしたはずですが、その痕跡が見つかると自殺に見せかけた他殺を疑われてしまう。そこで悪霊は、父の両手首をうしろに回して手錠で結び、両手の自由を奪いました。手錠は父と姉が亡くなった依頼先の館にもともと置いてあった物です」


 手錠で両手首を……むしろ積極的に自殺の偽装を疑ってしかるべき状況なのでは。


「姉の遺体も同様でした。うしにした両手首を手錠で結ばれていたそうです」


「その状態でロープで首吊りって難しいよね? 警察は本当に自殺で処理したの?」


「はい。首を吊った死体の足もとには椅子が転がっていました。このことから警察は次のように考えました。――父と姉は椅子に上ってロープの輪に首を通すと、片方の手に手錠をかけ、うしろに回し、もう片方の手にも手錠をしたのだと。ふたつの手錠は鎖でつながれている。鍵穴つきのよくあるタイプの手錠です。鎖の長さにやや余裕があったため、自力で後ろ手のまま手錠をロックすることが可能だったようです。その後、椅子を蹴った。それが警察の見立てのようです。遺体発見時、手錠の鍵は床に落ちていたそうです」


 たしかにこの方法なら背後に回した手に手錠をかけたまま自殺できそうだ。そんな面倒くさいやり方で自殺するだろうか、という疑問は生じるが。


「それに先ほど申しあげたように現場は密室でした。推理小説めいたトリックが使われた形跡はなかったと判断され、それが自殺処理の決め手となりました。手錠の件も、自殺を途中でやめてしまわないように前もって両手首の自由を奪っておいてから自殺に臨んだのだろう、と警察は考えました。悪霊はほくそ笑んだはずです。本当のところはそうではないのだから。片手で父を持ちあげた悪霊が抵抗する父の首をロープの輪に通した。もう片方の手は父の死を止めようとする姉を押さえつけていた。おそらくは、それが真相です」


 自殺とは認めがたい不自然さには理解を示せるものの、それはそれ、モナカの言う〝真相〟とやらも信じがたい。真相じゃなくて妄想じゃないの? と心のなかだけで反論しつつ、「大人ふたりを押さえこむのって、よっぽどだよね? プロレスラーとか、そういう感じの悪霊だったの」と杏奈は話に付き合ってあげた。


「そうとはかぎりません。杏奈さん、。それに幽霊にも多様性があります。幽霊のなかには、かなり強力な者たちもいるのです。超人的な身体能力を有した幽霊などがそうです。生前もしくは死の直前に抱いていた意志や感情が強ければ強い人ほど強力な幽霊になるのです。

 したがって、恨みこつずいに徹して死んだ怨霊は往々にして強力なのです。その怨霊の見た目がきんこつりゅうりゅうの格闘家じみた体型とはかぎりません。幽霊の強さは霊力の強さ。きゃしゃな幽霊だったとしても、尋常ならざる怪力の持ち主だったりすることがままあります」


 引きつづきさっぱり信じられないが、杏奈はひとまずうなずいておいた。


「幽霊は見えたり見えなかったりします。幽霊は基本的には自らのの状態を自在にコントロールできるからです。ちがう言い方をするなら、んですよ。祖母も父も姉もそう言っていました。

 自由自在に透明になれるということは、父と姉を殺した悪霊はということです。。だから外から密室が破られて、なかに人が入ってきたとき、室内には父と姉の死体しかないように見えた。本当は、というのに。

 悪霊は透明なまま、あけはなたれたドアから堂々と出ていったのです。これが密室の謎の答えです。あまりにも単純なトリックです。しかし幽霊の実在と、幽霊が透明化できるというげんぜんたる事実を知っていなければ思いつきません。わたしがなにを訴えたところで警察は取り合ってくれませんでした。わたしは無力です。わたしは……!」


 モナカの語る速度が速くなる。声も大きくなって、熱量を増していく。めずらしいことだった。いつも冷静で、そこがとっつきにくい印象のモナカなのに、感情を抑えきれていない。「おばあちゃんが生きていたら……」と、モナカはくちしそうにつけ足した。

「悪霊になど負けるわけがなかった」


 モナカは痙攣したように下唇を噛んだ。


「でも、祖母はもういない。いない人には頼れない。わたしがどうにかするしかない。仇を討つ。このモナカが。そのためにも、幽霊の存在をこの目で確認するのです」

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