1 モナカの来訪②

「六年前、当時の寮生にAさんという方がいました。Aさんは杏奈さんと同じように四階に住んでいました。彼女は喫煙者でしたが、自分の部屋が煙草臭くなったり、壁がヤニで黄ばむのを嫌がって、いつも外で吸っていたそうです。避難階段のある場所でね」


 避難階段か。杏奈も入寮して間もなかったころ、何度かあそこで漫然とたたずんでいたことがある。四階の避難階段からは鬱蒼と広がる森が見下ろせて悪くない景色なのだ。


「避難階段は女子寮が別荘だったころから設置されていました。別荘が寮になり、あちこちリノベーションされたものの、避難階段は別荘時代のままで老朽化していたのです。見た感じはなんの問題もなさそうなのに、四階の手すりの一部が実は外れそうになっていた。当該箇所にAさんはよく体をあずけて煙草を吸っていたそうです。Aさんは手すりが外れそうになっているとは知らなかったのです。Aさん以外の寮生たちもね。そんな折、吉野りんかの幽霊が四階の避難階段で目撃されるようになりました」


「ストップ」

 杏奈は唇にふれた缶ビールを戻した。「それ、ほんとに目撃されたの?」


「ツイッターやインスタで、わたしは元寮生から話をうかがっています。そのなかに何人か、吉野りんかの幽霊とおぼしき女性を見たと答えてくださった方たちがいます」

「それはさぁ、幽霊じゃなくて、当時の寮生だったんじゃない?」

「赤ずきんのコスプレをしていたそうです。赤いハイヒールのパンプスをはいて、吉野りんかが死んだときの格好ですよ。ちなみに鳩マスクは手に持っていたそうです」

「目撃された日、ハロウィンだったんじゃないの?」

「ハロウィンではありませんでした。誰かのイタズラでもないでしょう。吉野りんかの幽霊が四階の避難階段で目撃されるようになってから、Aさんは怖くなってそこで煙草を吸うのをやめました。外れそうになっていた手すりの一部が本当に外れてしまったのは、それからほどなくです」


「怖っ。吉野りんかの怨霊が誘ってたわけだ、Aさんを」


「……は? 誘う?」モナカがぎゅっと眉をひそめた。「誘うとは?」


「だって、そうでしょ」

 杏奈も眉をひそめる。「わたしはオバケなんて信じてないけど、手すりが外れたのは、吉野りんかの仕業じゃないの? りんかは、そこでAさんが煙草を吸っているのを知っていた。それで、


「あっちの世界とは?」


「あの世」人差し指を天井に向けた。「吉野りんかがAさんを殺して、あの世に――」


「ちがいます」にべもなく、さえぎられた。「わたしは申しあげました。手すりが外れそうになっていたのは老朽化が原因だと。幽霊の仕業ではありません」


「じゃ、なんで幽霊は、わざわざ手すりのところに現れたわけ?」

 モナカはその質問を無視して「こんな話もありますよ」と勝手に話題を変えた。


「元寮生のBさんは美人でした。Bさんには熱狂的なファンがたくさんいました。熱狂的なファンを通りこして、ストーカーまでいたほどです。

 Bさんはそのストーカーに困っていました。ストーカーは別の大学の男子学生でした。彼は最初、氷沼女子大学の近辺をうろついているだけでした。それだけでも迷惑ですが、やがて第四女子寮の周辺にも姿を見せるようになった。で、Bさんもついにふんがいした。

 ある日、Bさんは大学から女子寮に戻ってくると、なかには入らず、玄関前でふり返りました。背後に視線を感じたからです。ああ、あいつだ。あのストーカー野郎だとBさんは思いました。待ちぶせされていたと考えたのです。恨みは買いたくないが、なにか言ってやらねば気がすまない。Bさんはそう思ったようですが、Bさんがふり返った先には誰もいませんでした。

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