3 回想録②

「モナカはさ、誰に教えてもらったの、『回想録』のこと。意外とレア情報でしょ」


 氷沼女子大学のジャーナリズム学科は多数の著名人を輩出してきた名門だから、全国から本気でジャーナリストやノンフィクション作家志望の学生が入学してくる。そのぶんしゅじゅざっな情報が集まってきやすいので、紅子の『回想録』について知っている学生や講師がいてもなんら不思議ではないが、モナカの所属は人文科学だ。ずっと引きこもっているから、ジャーナリズム学科に親しい友人がいるとも思えない。


「前にも申しあげましたが、わたしは受験前に吉野りんかのことを可能なかぎり調べました。その際に、りんか先輩以外のこともたくさん知ることになったのです」

 モナカは本を探しながら答えてくれた。「SNSで元寮生に話しかけたりもしました」

 元寮生か。それなら知っていてもおかしくない。ここは紅子の別荘だったわけだし、元寮生のなかにはジャーナリズム学科の卒業生だっていたことだろう。


「そっか。そうだとしても、よく教えてくれたね」


「幽霊を信じているだなんて話はしてませんからね。〈氷沼女子大に合格したら第四女子寮に入りたいんです、どんなところですか?〉って、そんな質問をSNSのダイレクトメッセージに送りつけて、元寮生の先輩方に接近を試みました。みなさん、親切にあれこれ教えてくれましたよ。『回想録』のことを知っている方もいました。氷沼紅子の『回想録』は私家版です。表紙がカタツムリの絵、裏表紙は鳩の絵です」


「カタツムリと……鳩」

 杏奈の視線が手もとに落ちた。眉と口角がピクピクつり上がる。さっき手に取ったばかりの本が、まさしくそれっぽいんだけど……。「嘘でしょ」


「あ、それだ!」

 モナカの大きな瞳に輝きが灯った。「やりましたね。わたしが何日探しても見つからなかった物を、杏奈さんときたら、いともたやすく見つけだすなんて!」


「言い方が大げさだから。偶然だよ、偶然」

 杏奈はモナカのとなりの本棚を探していた。書架はどれも大きい。蔵書の数もかなりのものだと思うが、明日か、遅くとも明後日にはモナカも自力で見つけだしていただろう。


「事件ルポルタージュを書くノンフィクション作家志望なら、引きの強さは武器ですよ」

「本当にそうならいいけどね。モナカだって、もっと時間をかけて探していたら、とっくに見つけてたと思うな。一日十分ぐらいしか書斎にいなかったよね? そんな短い時間だと簡単には見つからないよ」


「おっしゃるとおりですが、わたしは意図的にそうしていたのです」


「意図的に? 書斎に長居しなかったことを言ってるんだよね?」


「はい。先ほど申しあげたように杏奈さんは尾行が下手です。おそらくですが、尾行初日の段階で、わたしは気づいていました。しかし、こちらの思いちがいの可能性もある。よって、たしかめたのです」

「なにを?」


「わたしが書斎にこもれば、杏奈さんは別の部屋からその様子を監視するだろうと思いました。ですが、それにしたって、たまたま杏奈さんが書斎の近くの部屋に用事があっただけかもしれない。なにせ杏奈さんはノンフィクション作家志望ですから。来年度の卒業制作で八年前の事件だったり、氷沼紅子のルビーリング探しを題材にするようなお方です。卒業制作のことで寮内をうろついていても、ちっとも不思議ではありません」


「まあ……そうかもね」


「そこで、わたしは書斎にこもって、杏奈さんが追いかけてくるかどうかを確認することにしました。長時間こもりすぎると、杏奈さんも辛抱ができなくなって途中で尾行をやめてしまうかもしれない――その場合、わたしの視点からだと、杏奈さんが実は尾行などしておらず、卒業制作の件で寮内をうろちょろしていた場合との区別がつきません」


「まあ……そうかもね」と、杏奈はさっきと同じことを言ってうなずいた。


「そこで、あえて短時間、数日間連続で書斎にこもることにしました。そうすれば、杏奈さんも苦ではないだろうと推測したのですが、その結果、はたして杏奈さんは、わたしが書斎にこもるたびに別室にひそんで、こちらを監視していることがわかった。

 杏奈さんは武藤モナカを尾行している。その事実が確定すると、次は尾行の動機を突き止めたいと思いました。なぜ杏奈さんは、尾行などはじめたのか? 思い当たる節はあります。警告文の件で、わたしモナカのことを疑っているのだろうと推測しました」


 杏奈は苦笑いだ。最初の飲み会で少し親しくなって以来、うすうす勘づいてはいた。この子はずいぶん頭が切れるらしいと。幽霊の実在を信じているような相当にぶっ飛んだキャラクターなので、まともな理屈が通じないタイプだと勘違いしそうになるが、彼女はむしろその反対、モナカは徹底して理詰めのようだ。いまの話にしてもそう、基本的にはロジカルに思考して行動している。


「尾行か、そうではないのか。動機のこともふくめて、『回想録』を探すついでに杏奈さんに直接その確認をしたまでです。尾行の件が片付いたら、いま少し時間をかけて『回想録』を探すつもりでした。杏奈さんがあっさり見つけてくださって感謝していますよ」


「いえいえ、どういたしまして」

 作り笑いを浮かべた杏奈は、おずおずと氷沼紅子の『回想録』をモナカに手渡した。

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