3 回想録①

「それはそうと杏奈さん、ちょっと手伝ってくれませんか」


 モナカがちょいちょいと手招きしてくる。またたんそくして、しぶしぶ彼女について行くと、書斎に入るハメになった。入ってすぐに、板張りの床に置きっぱなしのモナカのエコバッグが目に入る。スーパーで買ってきた鶏肉、長ネギ、キノコなど食材の一部が、パンパンにふくれあがったバッグの開口部から顔を出していた。


「学生のひとり暮らしにしては食材が多すぎるのではと思っていますね? 料理の練習用のぶんも買うから、この量なのです。ちなみに今夜はみずきですませる予定です」

 いぶかしげな杏奈の視線に応えたモナカが、部屋の角、北西の位置へと体をひねった。


 モナカが見つめる先に例の引き出しがある。高さはないが、奥行きのある引き出しの天板に台座が四つ。地下展示室にある台座のミニチュアだ。台座にはそれぞれ鳩の彫像が四体くっついており、右側手前の鳩の目だけが赤々と妖しげに光っている。


 その引き出しのそばに窓が設置されていた。そこそこ大きなちがまどが。この窓から外に出ようと思えば出られる。その逆もまたしかりで外から館内に入れる。むろん窓は施錠可能で、二枚のガラスのあいだにじゅちゅうかんまくをはさんだ割れにくいタイプの窓らしい。


 窓の外は防犯カメラの撮影範囲内だ。最上階の切妻屋根に何台も設置されているカメラのレンズが下を向き、真上から地上までを見下ろしている。そうすることによって各階の窓をカメラの撮影範囲内におさめ、外部からの侵入者をけんせいしているのだ。玄関、裏口、非常口、駐車場、駐輪場に設けられた防犯カメラによって、外部から第四女子寮に侵入を試みる者は必ず撮影されるようになっている。


 この死角なしのセキュリティは、八年前の事件がきっかけでそうなった。それまでは最上階の屋根にカメラは設置されていなかったらしい。玄関、裏口、非常口、駐車場、駐輪場は八年前の時点でもカメラの撮影範囲内だったそうだが、各階の窓の外はセキュリティの死角だったという。屋根から見下ろす形のカメラがせつだったのは、だ。


 当時、ここではクスリと学生たちの春が売られていた。客のなかには村木の知人で、社会的地位の高い者たちも混じっていた。客であることがバレたらボヤ騒ぎ程度のスキャンダルではすまされない。事におよぶ場所は厳密かつ慎重を期して選ぶべきだが、学生の部屋ではいとくふけるからこそ激しく興奮すると考える客たちもいた。そのような変態どものためにわざわざカメラの死角が作られたのだ。寮に出入りする姿を映されないための死角が。


「窓の外が防犯カメラの死角ではなくなったのは事件後です」

 窓をいちべつした杏奈の胸中を見透かしたのだろう。モナカも窓を見てそう言った。


「うちの寮はただでさえ立地が悪くて、不届き者に目をつけられかねない。そこに八年前の事件が起きて不人気にはくしゃがかかった。そんな寮でも無償で提供しているわけではありません。誰かに部屋を借りてもらって利益を出さないと。そのためにもセキュリティの穴は埋めますよ。手はじめに死角だった窓の外を撮影できるように屋根に防犯カメラを設置した。それで入寮者が増えたかというと、そんなことはまったくなかったようですがね」


「その話なら知ってる。モナカは、わたしになにを手伝ってほしいの?」

 杏奈は窓からモナカへと視線を戻した。


「氷沼紅子が執筆した本を探しています。探すのを手伝ってください」

「たしか『回想録』だっけ? 本のタイトル」


「さすがは杏奈さん。ノンフィクション作家志望だけあって、よくご存じですね」と微笑んだモナカは、さっそく何列もある書架のひとつに歩みより、細い指先を横にずらしながら目的の本を探しはじめた。「この書斎にあるんだそうです」

「それは知らなかったけど」


 紅子の『回想録』については公にされていないが、ジャーナリズム学科の講師や先輩たちから聞いたことがあった。実際に『回想録』を読んだ人物にお目にかかったことはない。『回想録』が自費出版された本で、発行部数が極端に少ないからだろう。もし読めるなら読んでみたいと前から思っていた。モナカを尾行した手前、こちらには引け目もある。杏奈は本探しを手伝うことにした。

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