7 イタズラ?

 それから五分と経たずに


 モナカが打ち明けた肉親の死、食堂の空気が気まずさでねっとりとよどみかけた直後に、「残りの料理と酒、持ってこようぜ」と佐絵がわざとらしい陽気な口調で提案した。人を動かして妙な感じになりかけた空気をかき消したかったのだろう。


 テーブルにはまだ手つかずの料理が残っていたが、佐絵の意図に賛同した杏奈がそっせんして席を立つと、モナカ以外はみんなどこか気もそぞろな様子で厨房に行き、そこに置いてあったパンのようなお菓子バーンブラックやベイクドハム、カラフルな色合いのスイーツ類などを食堂へ移動させようとした。おりしく、そのときに事件は起こったのだ。


 アイルランド料理のバーンブラックは本来、パンのなかに隠したプレゼント――指輪やコインで未来を占ったりするそうだが、いんしてはいけない、と作ったモナカは考えた。だから本来のバーングラックとはちがって、なかにはそうだ。最初にテーブルに出されたバーンブラックにはたしかに、なにも入っていなかった。


 厨房の残りのバーンブラックも同じだと思っていたら……パンの表面に切れ目がある。ナイフではなく、手で引き裂いたような感じの、雑な切れ目が。


「こんなの、わたしは知りません」

 不格好な切れ目を見下ろしながら、モナカが細い首をひねった。


 本当にモナカの仕業ではないのだとしたら、誰がやったのかはわからないが、お菓子の表面を引き裂いた理由は本来のバーンブラックよろしくパンの内部になにかを入れるためだろう。


 怪訝そうに鼻に小じわを寄せてモナカがバーンブラックの切れ目に指を突っこむと、四重に折りたたまれた紙が出てきた。広げてみるとB5サイズだ。

 B5は、A4よりもひと回りほど小さい。縦に一八二ミリ、横に二五七ミリ。たぶんそれぐらいのサイズの用紙が折りたたまれて押しこまれていた。


〈それ以上はやめろ〉と書かれた用紙が。


 ボールペンで手書き。誰の字? わからない。そもそも「やめろって、なにを?」と呟いた杏奈は、半ば無意識的に自分の両肩を抱いていた。めしたときのような寒気がしたからだ。


 やめろって八年前の事件のこと? それともルビーリング探し? あるいは、その両方だろうか? 他には思い浮かばない。誰かに〈やめろ〉と警告されるようなことなんて。


 今日、調理がはじまってから厨房に出入りしたのは四人の寮生だけだ。紙をバーンブラックに押しこんだ犯人は、この四人のなかの誰か……なのかな? 


 受け入れたくない現実だが、それ以外には考えられない。だが、四人のうち確実にひとりは除外できる。自分――瀬戸杏奈だけは。わたしは犯人ではない。そのことは自分が一番よくわかっている。


 では、他の三人は? 何食わぬ顔で厨房に酒やつまみを取りにいくふりをして、バーンブラックに紙を入れるなんて造作もなかったはずだ。なかでもモナカは料理を作った張本人だから紙を入れるチャンスは一番あったと思うけど……でも、ひとまず犯人捜しはやめよう。そんなことをやっていたら、もっと面倒な空気になりかねない。


「オッケー、イタズラだな。わかるよ。イタズラって楽しいもんな」

 イタズラと決めつけた佐絵が大げさにかぶりをふった。「けどまあ、笑えないね。名乗りづらいよな、イタズラがつまんねえと。おかげで妙な空気だぜ。なあ? ってなわけで、閃いたことがある。そろそろお開きにしちまうか。眠くなってきたしよ」

 佐絵がそう言ってくれて助かった。無言で後片付けをして部屋に戻る。それきり四人で集まって飲んだりはしていない。今後もありえないような気がする。


 若葉とは前と変わらない関係を維持していたが、それは高校からの付き合いだからだ。あの程度のことで悪化するような間柄ではない。

 講義に出るのに忙しい佐絵とは、あまり顔を合わさなくなった。リモート講義中心で前から引きこもり生活のモナカともさっぱりだ。


 あれから一週間、十一月七日の日曜日。この日、杏奈は寝たり起きたりをくり返してまんぜんとすごしていた。


 この一週間で、若葉と共同で行う予定の卒業制作のテーマが正式に八年前の事件から氷沼紅子のルビーリング探しに変わった。モナカのオカルトへの本気っぷりにされて、怪談について考えるのがなんだか嫌になってきたからだ。


 来年の三月末までに第四女子寮からは退去しないといけない。それまでに最低でも一回は本格的な〝お宝探し〟をやる。このお宝探しパートは、ルポルタージュの第三章に持ってこよう。第一章で氷沼紅子のルビーリングについて書く。第二章で、隠し場所の候補を列挙していく。佐絵に教えてもらった謎のアルファベット――村木の手帳に書き記されていたというあれも、この第二章で出そうかな。クライマックスは第四章だ。そこで、ついにお宝探しの結末を……。


 漠然とそんな段取りを頭のなかでかんあんしつつ、杏奈は二十二時すぎに寝間着のまま一階へと下りた。今日はまだ郵便受けの中身を確認していない。どうせチラシだけだろうと思っていたら……ふたつ折りのB5用紙が入っていた。


〈ここから出ていけ〉と、手書きのメッセージが記されたB5用紙が。


 心臓が縮みあがって息を呑んだ杏奈は、不穏なメッセージつきのB5用紙を取り落としそうになった。


 一週間前のハロウィン・パーティーのときとはちがって、今回は杏奈をご指名らしい。用紙に差出人の名前は書かれていなかったけれど、四〇四号室のポストに入っていた。四〇四号室の寮生は杏奈だ。


 一週間前のあれも、わたしに向けられたメッセージだったってこと? 全身の熱が一気に下がるのを自覚しつつ、杏奈はB5用紙を寝間着のポケットに突っこんだ。


 誰の仕業なんだろう? 


 前の警告文の差出人と同じなら、犯人は寮生のなかにいるはずだ。


 最初の警告文はバーンブラックのなかに入っていた。警告文を入れる機会に最も恵まれていたのが、あのお菓子を作った人物であることに議論の余地はないだろう。バーンブラックを作った本人は警告文など知らないと否定していたが、大胆不敵な演技かもしれない。こうしてふたたび警告文をもらったからには、その人物のことを疑いたくなくても疑わざるをえなかった。バーンブラックを作ったのは――武藤モナカだ。


「モナカが……犯人なのかな?」

 郵便受けの前でひとりたたずんだまま、杏奈は自分にしか聞こえない声でそう呟いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る