2 モナカの推理

 吉野りんかの死体が発見されたとき、彼女は赤ずきんの衣装のまま自室の机に突っ伏していたそうだ。手袋は机の上に、鳩マスクは死体の足もとに落ちていた。


「吉野りんかがハロウィンの日に殺されたのは偶然ではありません」

 両手に抱えた不気味な衣装を見下ろしながら、モナカが断言した。

「なんで急に、そんな話……」

「第四女子寮は杏奈さんもご存じのとおり、不人気です」

「立地が悪いうえに八年前の事件が重なったからね」

「しかし事件が起こるまでは、不人気ではあっても寮生はそれなりに集まっていたみたいです。建物自体は立派でオシャレですから」

「全室、どの部屋も広々とした1LDKだし」

「寮だから家賃も格安。これなら立地が悪くても人は集まるでしょう」


 杏奈は眉を寄せた。「モナカはなにが言いたいわけ?」


「八年前、第四女子寮でハロウィン・パーティーが開催されました。寮生の多くが参加していたそうです。全員がきっちりコスプレもしていた」

 質問の答えになっていない。モナカは赤ずきんの衣装をいったん棚に戻した。


「吉野りんかを殺したのは、村木、依田、古坂の三人です。その三人ともが実行犯なのか、それとも三人のうちひとりかふたりが実行犯だったのか。それについては不明なままですが、犯人が被害者の部屋で殺人に手を染めたのは事実です。細心の注意を払い、吉野りんかの部屋に侵入した。しかし、出入りするところを誰かに目撃される恐れは常にあった」


「吉野りんかはパーティーのあと、もしくはパーティーの最中に疲れて部屋に戻ってきたところを襲われたのかな?」

 杏奈はしぶしぶモナカの話に付き合うことにした。


「杏奈さんのおっしゃるとおりでしょう。室内で待ちぶせしていたのか、あとから入室したのか、どちらにせよ、実行犯は髪型も体型もわかりづらい格好を選んだはずです」


 魔法使いのローブめいた衣装で全身をおおい、フードか帽子を目深にかぶり、仮面までつけて正体を隠した犯人の姿を杏奈は想像してみた。これなら髪型も体型もわからない。


「怪しい出で立ちでもハロウィンなら問題なし。部屋に侵入するところを目撃されないのが一番ですが、たとえ見られてもコスプレで全身を隠しているから犯人は特定できない」

 杏奈はうなずいた。


「仮に犯人が吉野りんかの部屋に出入りするところを誰かに目撃されたとします。その場合、犯行現場は密室ではなかったかもしれませんね」

「なんで?」


「犯行現場をわざわざ密室にした理由は、他殺の可能性を排除し、薬物の過剰摂取による事故死なのだと警察に勘違いさせるためです。しかし、りんか以外の人物が部屋に出入りしているところを目撃され、そのことを警察が把握してしまったら、警察は当然、部屋に出入りしていたその人物から話を聞くために名乗り出るように言うはずです。

 やましいことがないのなら、もちろん名乗り出るでしょう。けれども、部屋に出入りしていたのが犯人ならば、名乗り出ることなどできない。名乗り出ない時点で、警察は事故以外の可能性を真剣に検討するはずです。犯人にもその程度のことはわかるはず。

 そのような状況下で部屋を密室にしたら、どうなるか。マスターキーを所持している管理人が当然怪しまれます。ゆえに部屋への出入りを目撃された場合は、犯人は退室の際にあえて施錠しない、という選択を行うと思われます。そうすることで事件当夜、寮内にいた全員が犯人候補となるのだから。管理人が犯人である、そこまでは絞りきれない」


「……そっか。結果論だけど、モナカの話のとおりなら、侵入するところを目撃されていたほうが、むしろ犯人たちにとっては、よかったのかもしれないわけか」

「そもそも部屋への出入りを目撃された時点で計画は中止にする予定だったのかもしれませんね。吉野りんか殺害は、後日、別の方法で実行されていたのかも」


 しかし現実はそうはならずに、犯人は事故に見せかけるために部屋を密室にした。そうしてしまったがために、警察に犯人候補を絞りこませてしまった。


「ところでさ」

 杏奈は苦手な虫に遭遇した直後のように一歩退いて、赤ずきんの衣装と鳩マスクを指さした。「それって……八年前に吉野りんかが実際に身につけていた物なのかな?」

「わかりません。実際に着ていた物なら、わたしとしては助かりますがね」

「えぇ?」おもわず変な声が出て、杏奈の唇がけいれんした。「本物だと気味が悪いよ」

「本物でも気味が悪いとは思いません」


 この子、やっぱり変わってる。会話に疲れてきた杏奈の目線が重力に負けて下降した。モナカの素足と草履が視界のすみに引っかかる。前に、寮生四人で飲んだときにはいていたのと同じ草履か。そのことに気がついた杏奈の目が、ゆるやかに見ひらかれていった。


「んっ……?」目線が草履にピン留めだ。「んんっ?」


「どうかされましたか、杏奈さん?」

 モナカも自分の足もとを見る。「裸足に草履が一番楽ちんですよ」


 廊下で聞こえた足音はだった。カツンと小気味よく響いた足音。? 


「モナカに訊きたいことがあるんだけど」

 杏奈は目線をモナカの顔に戻した。「廊下にいたよね、さっき?」

「いませんでしたよ、一秒たりとも」


 嘘だ。「呼んだのに、なんで返事してくれなかったの?」


「それに関しては失礼しました。ちっとも気づきませんでした」

 モナカは体操服のポケットからスマホを、棚からヘッドフォンをつまみあげた。

「ずっとスマホで音楽を聴いていました。赤ずきんの衣装がなかなか見つからなかったので、ヘッドフォンを外して衣装探しに集中しようとした直後に、杏奈さんが倉庫に入ってきたんです。鳩マスクを見つけたら、ヘッドフォンを外して試着するつもりでしたし」


「廊下には……本当にいなかったってこと?」


「ええ、ずっとこの倉庫にいました。誰かいたんですか、廊下に?」

「いたよ。モナカじゃないなら……佐絵さんかな?」

「あの人は土曜も大学でしょう。いままでサボってきたツケを払うために毎日ぎゅうぎゅうに講義を入れていると言ってました。今日も帰ってくるのは夜じゃないですか」

「ってことは、若葉かな?」

「若葉さんなら、わたしが地下に下りる前に一階ですれ違いました。夕飯の買い出しに行くとおっしゃっていましたよ。ついさっきです。まだ帰ってきていないと思います」


 となると、。杏奈は笑うしかない。ぎこちない笑顔だ。


「杏奈さん。わたし、前に言いましたよね。。われわれ四人と……吉野りんか。みんなで五人です」

 そんなの信じられない。


「八年前、吉野りんかは赤ずきんの衣装に赤いパンプスを合わせていたそうです」

 モナカはもったいをつけるように言葉を重ねた。「ハイヒールのパンプスです」


 知っている。何日か前に大学で、杏奈、若葉、佐絵の三人でランチをしたときに似たような話になった。先週の土曜の夜には、若葉も地下フロアで足音を聞いたそうだ。カツンというハイヒールの音を。空耳だろう、杏奈はそう思った。若葉も否定はしなかったけれど……そういえば若葉は、モナカのドッキリではないかと疑っていたっけ。


 杏奈がさっき聞いた足音は空耳だろうか。いな――断じてちがう。はっきりと聞こえたあの足音が空耳ではないとすると、若葉が疑っていたようにモナカのイタズラってこと?


「杏奈さんはわたしの草履を見てなにか言いたげでしたね」

 抑揚に乏しいモナカの声に、杏奈は一瞬ドキリとさせられた。


「さっき廊下にいたのか、そんなことも訊いてきた。推測するに、杏奈さんは足音を耳にしたのでしょう。そのとき、杏奈さんはランドリールームか展示室かトイレにいて、廊下にはいなかった。したがって、誰の足音なのかまではわからなかった。わたしが倉庫にいたため、ああ、さっきの足音はモナカの足音だったのか、と勘違いした。ところが、わたしは草履をはいている。やわらかくて底の浅い草履を。杏奈さんが耳にした足音は、草履をはいていては出せないような足音だったんですね?」


 胸がそわそわして、とっさには答えられない。

 草履をはいていて……あんな足音が出る? 出ない。無理だ。


「くり返します。八年前、吉野りんかは赤ずきんの衣装に赤いハイヒールのパンプスを合わせていました。ハイヒールなら、カツンとか、カツカツって音になるでしょうね。杏奈さんが耳にした足音も、そんな感じの足音だったのでは?」

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