第三章 過去――ハロウィンの警告

1 地下倉庫①

 寮生みんなで一緒に食堂で飲んだ日から八日後の十月三十日、土曜日、ハロウィン。この日は土曜日だ。管理員の勤務時間は十五時まで。今日は田中ではなく佐々木加代が当番の日だった。佐々木は愛想のいい親戚のおばさんみたいな人だ。


「おやおや、ハロウィンの衣装合わせですか?」

 一階の階段前でその佐々木に声をかけられた。彼女の退勤と、杏奈が地下フロアに降りるタイミングが重なったのだ。


「ええ、前にみんなで飲んだら楽しくて。明日のハロウィンもコスプレしながら四人で飲もうよって、急にそんな話になって」

 起き抜けですっぴんの杏奈は、あくびまじりに答えた。土曜は講義を入れていない。上下ともに紺色のパジャマはしわだらけ、上着のカーディガンには腕を通さずに肩に羽織っている。使い古しのサンダルに突っかけた足の靴下が色ちがいなのはオシャレではなくて、寝起きの頭がまちがえただけだ。ややもすると休日はこんな感じでしどけない杏奈は、佐々木と別れると大理石の階段を下りて地下に向かった。


 地下フロアには階段かエレベーターで行けるが、後者を利用する寮生は少ない。郵便受けの中身と、管理事務室の裏手の掲示板に連絡事項がないか確認するために、いったん一階へと下りるからだ。それから地下へ行くとなると、たった一階ぶんなら、エレベーターに乗るより運動がてら階段を使いたくもなる。その階段の途中で杏奈は足を止めた。


 踊り場まで差しかかったところで上目づかいになったのは、天井に埋めこまれたライトが点灯していたからだ。踊り場からは階段を下りた先の廊下の一部が見えている。地下フロアの研磨されたコンクリートの廊下にも照明の明かりが跳ね返っていた。


 明かりがつきっぱなしなら誰かいるはずだけど、呼びかけても返事がない。聞こえなかったのかな? それとも、明かりを消し忘れてる……? 


 杏奈は階段を下りて、墓地のように静かな地下フロアにそっと足をつけた。


 同フロアの南側――地上一階にたとえるなら正面玄関のあるほう――に洗濯室と物干し部屋がある。両室とも東西にのびた横長で、地下フロアの南側をせんゆうしていた。地下フロアの南側は巨大なランドリールームというわけだ。どちらの部屋にも廊下から入れるドアが設置されている。ホテルのコネクティングルームのように室内にある内扉を使って行き来することもできる地下ランドリールームは、二十四時間の利用が可能だ。


 寮生がそれなりにいたころのごりで、洗濯機が十台、乾燥機も十台ある。自室の洗濯機や乾燥機が壊れたとき、それらを買うお金がないとき、電気代を節約したいときなどに寮生が利用できるようになっていた。


 そもそも、第四女子寮には景観維持のためのルールがある。高級マンションや海外の集合住宅のように洗濯物は室内で干さなければならない。人里離れた場所にある寮なんだから、人目を気にしなくてもいいんじゃないの、とは思うが、「自然のなかのしょうしゃな洋館」が第四女子寮の数少ない売りのひとつだ。外に干された洗濯物で景観をそこねたくない、という考えは理解はできた。


 乾燥機にもよるが、洗濯物が傷んだり、しわがつきやすかったりするので、そういうのを嫌がる人のために物干し部屋もある。アイロン用のスペースも設けられていた。

 杏奈はいちいち地下まで下りるのが面倒だから、自室で洗濯も乾燥もすませている。


「あのさぁ……ほんとに誰もいないの?」


 洗濯機も乾燥機も稼働していない。一台もだ。となりの物干し部屋にも誰もいなかった。洗濯物もかかっていない。


 なんてことを考えていたら、おりしも、また聞こえた。カツン――と。杏奈が廊下に出ようとしたときに。物干し部屋のドアノブに指先がふれる寸前に廊下からそんな足音が聞こえてきたのだった。体が反射的に動いて、すばやく廊下に躍り出た杏奈は、腕をさすりながら首をかしげた。誰もいない。


 少し歩いて、地下フロアを東西に横断する幅広な廊下の中央付近で立ち止まった。ふと廊下の東側を見てみたが、誰もいない。そのとき杏奈の目に映ったのは、廊下のはしの壁際にある大きなロッカーだった。ロッカーは三つ、どれも用具入れだ。


 廊下の中央にはエレベーターと階段がある。その向こう側――地上一階にたとえるなら裏口や元管理人の住戸などがある北側――の半分ほどを地下展示室が占めていた。


 洗濯室とは南北で対称の位置にある展示室は、ここが別荘だったころ、氷沼紅子の宝石コレクションが収蔵されていたと言われている部屋だ。小学校の教室ふたつぶんぐらいが余裕で入りそうな広さの展示室だが、ただの味気ない物置に成り下がって久しい。


 展示室の扉は閉まっていた。施錠もされている。分厚い木製のドアには小窓がはめこまれており、そこからなかをのぞくと室内は真っ暗だった。ここにも……誰もいないのか?


 展示室のとなり、幅広な中央廊下から分岐した通路をはさんだ場所に、学校のトイレのような、複数の個室を設けた共用のお手洗いがある。個室のドアは全部あいていた。照明も点灯していない。ここにも、誰もいない。

 杏奈は肩に羽織っていたカーディガンのそでに腕を通した。


 さっきの足音は、どこから聞こえてきたんだろう? 

 あの大理石の階段を使って上に行ったのなら、もっと足音が響くはず……。レトロなデザインのエレベーターは一階で止まっている。杏奈が自室のある四階から一階に下りてきたときのままにちがいない。


 足音を響かせた人物が、エレベーターを地上一階から地下に下ろして乗りこむにしても、多少は時間がかかるはずだから……。杏奈は足音が聞こえるや否や廊下に出た。階段を上ったり、エレベーターに乗りこもうとする人物を、タイミング的には目撃できたはずだ。しかし、そんな人はどこにもいなかった。足音を響かせた人物は……じゃあ、まだ地下にいるってこと? いるなら、倉庫かな? 


 残された場所はそこしかない。共用トイレのとなりが倉庫だった。別荘時代はその倉庫に、展示室には飾りきれなかった宝石や絵画などの美術品が押しこめられていたという。杏奈もその地下倉庫に用がある。

 と、そのとき、おくればせながら気がついた。地下倉庫の鍵を借り忘れていたことに。


 ランドリールームと共用トイレ以外の部屋は常に施錠されている。寮生なら鍵は管理事務室で貸してもらえるし、管理員不在の場合は勝手に拝借してもいいが、寝起きの頭は完全にそのことを失念していた。いまさら管理事務室まで鍵を取りに行くのは面倒だなあ……。ダメ元で倉庫の扉のドアノブをひねってみると……あっ、あいた。色の濃い木製ドアの隙間から明かりがのぞいている。人がいるのか。


 杏奈は小さく息を吐いて、ドアの隙間を拡大させていった。すると――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る