6 宮野若葉②

 カツン、カツンと甲高い足音がつづけざまに聞こえてきたのは、若葉が地下展示室の分厚い木製ドアの鍵を解錠して、わずかに扉をあけたときだった。


 誰――? 足音は背後から聞こえた。廊下にふり返ってみたが、誰もいない。

 空耳? それとも……幽霊? 


 まさか、と若葉はわらった。幽霊がいるのなら、両親や祖父母とまた会ってみたい。


 若葉の両親はすでに亡くなっている。父方と母方、両方の祖父母も。遠縁の親戚とは葬儀のときぐらいにしか顔を合わせないし、ようするに孤独だった。別にそれが嫌なわけじゃない。若葉には杏奈のような友人もいる。杏奈には若葉の両親や祖父母がすでに亡く、孤独な身の上であることも伝えていた。杏奈はなにも言ってこない。変に気づかったり、世話を焼こうともしてこない。若葉はそんな杏奈が大好きだ。


 展示室に入った若葉が、部屋の中央にあるへと向かって歩を進めようとしたら、カツンッとまた足音が聞こえた。背後の廊下から、ハイヒールの音……? 


 ドアの外まで戻って目を凝らしつつ「誰?」と呼びかけてみたけれど、返事はない。


 寮の地下には展示室の他にも部屋がある。若葉はランドリールームのなかをのぞいてみた。洗濯機や乾燥機のある部屋だ。洗濯機と乾燥機が稼働する音は聞こえない。誰もいない。地下の他の部屋にも、誰も……。


 空耳にしては、足音があまりにもはっきりと聞こえた気がしたけど……。


 まあ、いいか。空耳だったのだろう。そんなことよりもだ。

 展示室に戻ると、広い室内の中央にある台座の前に若葉は立った。


 台座は灰色の石造りで合計四つ。三メートル四方の四隅に四つだ。高さはどれも一メートル前後で、すべて床に固定されていて動かすことができない。


 四つの台座の柱の正面には時計が組みこまれている。時計の意匠は四つとも共通していて古めかしいデザインだ。時計の文字盤はすべて円形で、ローマ数字が使われていた。長針と短針はあるが、秒針がない。長針と短針はどの時計も例外なくⅫを――つまり十二時示したまま停止していた。


 台座の天板には精巧に作りこまれた本物そっくりの鳩の彫像がある。台座と同じで数は四体。石造りなのも台座と同じだ。だから本物の鳩にそっくりではあるが、色は石材の灰色だった。彫像は台座とくっついていて、四体のうち


 赤い鳩の目。まるでルビーのような……。だからといって、この赤い目の部分が実は例のピジョン・ブラッドだと思っているわけではない。彫像は紅子の娘ふたりがとっくに調査ずみのはずだ。この赤い目の部分が超高級ルビーなら抜き取られていないとおかしいはずだが……それにつけても気にはなる。なぜこんな物が地下展示室にあるのか? ここの寮生になると、みな一様に不思議に思うことのひとつが、それだった。


 実はが一階にもある。鳩の彫像つきの四つの台座のが、一階の元管理人の住戸にあった。元管理人の住戸は3LDKで、別荘時代は紅子の私室だった三部屋のうちのひとつが書斎だ。そこだけ女子寮に変わってからも、孫の村木の意向で紅子が存命だったころのまま。極悪人の村木にも祖母への敬愛の念が残っていたらしい――なんて人情味のあるエピソードが伝わっているが、事実はそうではなく、書斎を保存しておきたい別の理由があったのだとしたら? 


 地下展示室も別荘時代からその姿を変えていない。宝石用のショーケースが学生たちの荷物のつめこみ場所に成り下がってはいるが、少しも改築はされていないのだ。書斎と展示室だけ別荘時代のまま、先輩たちからはそう教えられた。


 一階の書斎と地下展示室で共通しているのは、鳩の彫像と時計つきの四つの台座だ。それらがただのインテリアではないとしたら……若葉がそこまで考えたときだった。カツンという足音がまた聞こえた。ぷつりと思考が中断を余儀なくされる。


「ねえ……」イライラした若葉が展示室の外へと飛びだした。「さっきから、誰!?」

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