2 佐絵の話

「さて、お腹もいっぱいになってきたし、そろそろ本題に入りますか?」


 十八時半、五人目のために用意された皿が空になる。それを確認してから杏奈が切りだした。幽霊が平らげたのではない。ベロベロのくせにまだ飲み足りない佐絵が、おつまみ欲しさに手を出したのだ。


 モナカはそれを見てもなにも言わなかった。モナカだけが素面しらふだ。

「お酒は二十歳になってから。わたしまだ十九歳ですから」

 そう言ってゆずらず、飲酒をすすめる佐絵に舌打ちをさせていた。


 その佐絵が「本題ってなんだよ?」と訊いてくる。とろんとしたはんがんで、いつ寝てもおかしくない。


「八年前の話です」

 杏奈があきれて言った。「佐絵さん、わたしたちよりくわしいから、その話、してくれるって言ったでしょ」

「ああ……言ったな。そういや」

 佐絵がグラスに赤ワインをそそぐ。日本酒は瓶ごと空になっていた。


「じゃあ、なにから話そうか?」

「事件のあらましは、おおむね、わかっているつもりです。わたしも、杏奈も」

 若葉が細めた目でモナカを見た。「モナカもでしょ? 吉野りんかの幽霊が実在するのをたしかめるために、第四女子寮に来たんだから」

「報道された内容など、だいたいのことは知っているつもりです」

 モナカはグラスの水を飲みほした。「でも、その程度です」

「ってことはだ、報道されてねえ話には需要があるってことだよな」

 佐絵は、赤ワインで半分ほど満たしたグラスを唇のほうへと傾けた。

「けどまっ、事件の概略は簡単に説明させてもらうぜ。その合間に報道されていない情報も小出しにしていくよ。そのほうが話しやすいと思うから。異論は?」

 ない。誰からも反対意見は出なかった。


「じゃ、まずは八年前に起きたふたつの事件のうちの、ひとつめだ。

 八年前の十月三十一日、ハロウィンの夜に、第四女子寮の寮生だった吉野りんかが死んだ。そのとき彼女は二十一歳で大学三年生だった。死因は覚醒剤による過剰摂取オーバードーズ

 吉野りんかが亡くなっていた場所は、女子寮の彼女の部屋だ。密室だったらしいぜ。だから警察も当初は不幸な事故死だと結論づけた。覚醒剤の使用量を誤ったことで起きた不幸な事故なのだと。

 ところが真相は、薬物中毒死に見せかけた他殺だ。当時の理事長の村木康志、住みこみの管理人だった依田友子と古坂一郎、こいつら三人による卑劣な殺人事件。

 りんかの部屋が密室だったのは、自殺に見せかけるための偽装工作さ。管理人はマスターキーを使えるから、寮生の部屋には自由に出入りができる。

 吉野りんかが殺された理由は、彼女が第四女子寮の秘密を暴こうとしていたからだと言われている。吉野りんかはジャーナリズム学科の学生だった。杏奈と若葉の先輩だ。報道の力で世の中の不正や腐敗を正したい。そんな考えの、正義感の強い学生だったらしいね。

 当時の第四女子寮には、りんかと同じ学科の学生もいた。りんかと彼女は友だちではなかったそうだが、薬物依存のうえ売春までやらされている――そんな噂があった。その噂の真相をたしかめるために、吉野りんかは第四女子寮まで引っ越してきたんだ。わざわざな。すげえバイタリティだよな。りんかが大学三年生になったばかりのころの出来事さ。

 それから数ヵ月が経った。吉野りんかは第四女子寮の悪い噂がすべて事実であることを突き止めた。探偵としちゃ優秀だったんだ。けど、目立ちすぎた。決定的な証拠を見つけだそうとして、寮に居座りつづけた結果、違法薬物を蔓延させ、クスリを買う金のない学生たちに売春させていた犯人である村木たち三人のげきりんにふれて殺された」

 佐絵はそこまでしゃべると、赤ワインで喉を潤した。


「すみません、質問です」

 モナカが挙手する。小学生みたいにピンと腕を伸ばして。「いつごろからですか? 第四女子寮で違法薬物と売春が蔓延しだしたのは」

「んなもん、最初からだろ。決まってるよ。当時の理事長がもろに関わってんだぜ。管理人ふたりは、理事長の村木と旧知の仲だった」


 その三人の関係性についてさいに書き立てた記事がある。杏奈もその記事のウェブ版をアーカイブで何度も再読していた。


 当該記事によれば、依田と古坂はかつて都内の高級料亭で働いていたようだ。そこでふたりは恋仲となり、客として店に来ていた村木とも知り合った。


 古坂はもともと料理人で、料亭で働く前はホテルやレストランの厨房に在籍していたそうだ。依田は料亭に勤めるまでは横浜市内の総合病院で看護師をしていた。料亭に転職した理由は、医師との不倫が発覚して職を追われたから。不倫相手の医者は病院経営者のひとり娘と結婚したばかりだった。不倫が発覚してからというもの、依田、不倫相手、その妻、その親たちも巻きこんで、地獄絵図のような有り様だったという。


「依田と古坂は。ここが別荘から第四女子寮に看板を変えたころからな。最初から住みこみの管理人として村木に雇われていたのさ。村木たちがどんな思惑で第四女子寮を運営していたのか、明白だろ」


 こつのあたりが薄ら寒くなる。はなから学生相手にクスリを売りつけ、売春させるのが目的だったのだ。


「やつらは、実家とのつながりがはくな子、友だちの少ない子、気弱な子、周りになかなか相談しない子、そんな学生たちに目をつけて、カモが決まったらクスリの味を覚えさせていた。もちろん、その気のない学生をクスリ漬けにするのは難しいから、古坂が作った料理にクスリを混ぜて、じょじょに依存させていくんだ。

 メンタルが弱ってる子を見つけたときには、依田がこう言うのさ。

『ちょっとだけ元気になるサプリメントがあるの。ためしてみる?』ってな。

 そうやって少しずつ確実に、若い女をクスリ漬けにしちまうんだよ。

 料理にクスリを盛られたら防ぎようがないよな。依田は元看護師だ。クスリをサプリメントに偽装して飲ませる際に、その経歴がプラスに働いたんだろ。

 依田も古坂も学生たちには親切だった。できることはなんだってしてあげた。優しさは詐欺師の武器だ。親切にされると、人の目は曇るようにできてる。

 管理人ふたりは、カモになりそうにない学生には、決して手を出さなかった。そのあたりの目配りも抜群だったのさ」

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