第二章 過去――謎のアルファベット

1 食堂で女子会

 女子寮の一階、北東に造られたひときわ大きな角部屋が食堂だ。ご多分にもれず氷沼紅子の趣味が全開で、古めかしくて威厳のある内装に仕上がっていた。オックスフォード大学のクライスト・チャーチカレッジ内のザ・グレート・ホールを参考にして造ったそうだ。


 杏奈の記憶が正しければ、ザ・グレート・ホールは『ハリー・ポッター』の映画版で組み分けや、大勢で食事をするシーンに登場した広間のモデルだったはず、第四女子寮の食堂はその縮小版だと思えばイメージしやすいかもしれない。


 料理を受け取ったり、食器を返却する横長のカウンター窓口ですら、女子寮の内装に合わせたデザインだから優雅でオシャレだ。


 食堂のとなり、南側に隣接しているのが厨房で、さすがにここだけは見た目の華々しさよりも実利的なレイアウトを採用していた。厨房と接する食堂専用の倉庫には古い食器類が置きっぱなしになっている。平面図で見た場合、北側から南側に向かって、食堂、厨房、食堂専用倉庫の並びになるわけだが、管理人と料理人を兼務していた古坂一郎が八年前の事件で行方不明になって以来、どこもまともに使われなくなって久しい。


 事件以後、たまに誰かの誕生会だったり、歓迎パーティーが催されることはあっても、せいぜいその程度だ。寮生が年々減ってゆき、総数が十人以下になると、どちらも開催されなくなった。


「わたしと若葉が入寮した年の歓迎パーティー以来じゃない?」

 杏奈はビールをグラスにそそいだ。「あの年以降、寮生が二桁になったことないし」

「そうだよ。超久々」

 若葉も感慨深げだ。しばらく食堂内を見回していたが、佐絵はそうでもない。

「わたしは、けっこう飲んでるぜ、ここで、ひとりで。さびしいよ」

 へらへら陽気に、全然さびしくなさそうに言う。


 カウンター窓口に一番近い横長の木製テーブルのはしっこに杏奈が、そのとなりが若葉だ。杏奈の対面には、豪快に一升瓶を傾けて直接口をつける佐絵。佐絵の横には、さっきまでモナカが座っていたけれど、彼女はいま重要な任務のために席を外している。


「よっしゃ! どんどん飲むぞ、吐くまで飲むんだ」

 十六時五十八分。飲みはじめるにはちと早いが、佐絵はすでにへべれけだ。

「朝まで飲む!」酒豪が机をバンバンたたく。よく言えばワイルド、よくない言い方をするなら下品だろう。「お、からげが来たぜ! 枝豆もあるの、超うれしいんだが!」

 モナカが持ってきたトレイを杏奈が受け取る。モナカは、きびすを返そうとした。

「モナカも食べなよ」と、若葉が気づかった。

「お心づかいに感謝します」

 モナカは軽くメガネを持ちあげた。「ですが、作りかけの料理がありますので」

 この子の特技が料理だったなんて、今日はじめて知った。


 幽霊の実在をもうしんし、それを公言して恥じない本物の変人が武藤モナカだ。食の趣味もまともとは思えない。作ってくれるのはありがたいけれど、妙な物を出されても困る。「せっかくだから、なにか作りますよ」とモナカが言いだした瞬間、杏奈は猛烈に警戒した。若葉と佐絵も同じ反応を示したので、ためしに一品だけ作ってくれとお願いしたら、とりかわのカリカリ揚げと、鶏油チーユで炒めたチャーハンが出てきた。一品だけでなく、二品も。そしたら、どっちも信じがたいほどおいしい! お米がほどよくパラパラのチャーハンにはモナカ独自のタレを加えたそうだ。


「うめえぇ! さっきの鶏皮のカリカリも、チャーハンもうまかったけど、この唐揚げもマジでうめぇ。おまえ、プロかよ!」

 佐絵はかんるいしている。あっという間に自分のぶんの唐揚げを平らげていた。

「モナカちゃん、人生の先輩からアドバイスだ」上から目線で忠告もはじめる。「いるわけもねえ幽霊の尻なんか追いかけてないで、料理人を目指しなさい。天下取れるから」

「ご忠告に感謝。しかし、わたしはそれを拒絶します。幽霊の実在。わたしはそれを証明したいと思っています」

 モナカは大真面目にそう答えた。はたには笑えないコントにしか見えないが、幽霊か……。モナカ以外のみんながかんきつけいの果物を口にふくんだみたいなっぱそうな顔になる。


「料理が気に入ってもらえてよかったです。唐揚げの下味に使ったタレは、わが家秘伝のオリジナル。今晩たまたま唐揚げにする予定だったので、鶏のもも肉を朝から秘伝のタレにつけこんでおいたのです。まだまだ作ります。お待ちあれ」


 ちなみに長らく使われていなかった厨房は、なんの支障もなく使用できた。管理員が掃除と点検を毎日欠かさずやってくれているからだ。

 その管理員、田中和夫がひょっこり食堂に顔を見せた。

「お楽しみのところ、失礼。わたしはこれで、もう帰りますので」


 杏奈は壁掛けの時計を見た。あと少しで十七時五分か。管理員の勤務時間は、平日が朝九時から夕方の十七時まで。土日祝日は朝九時から夕方の十五時までだ。

 モナカも厨房から顔を出す。みんなで「お疲れさまです」と挨拶した。それからほどなくして「へい、お待ち!」と、モナカがいっせいに仕上げた料理を持ってきた。


「フライドポテト、ムール貝の白ワイン蒸し、オニオンリング、だし巻き玉子、牛肉の赤ワイン煮込み!」

 全部、おいしい! 舌だけでなく、頬までけ落ちそうだ! 

 想像していた八十倍はうまい。これからはなにを口にしても今夜の料理が比較対象になるのか……。本当にそうなったら最悪、モナカ以外の料理がすべてタイヤの味に思えてくるだろう。タイヤ食べたことないけど、たぶんそう。それほどまでの美味を知ったがゆえの激烈な幸福感のなか、「あれ……?」と杏奈はだしぬけに気がついた。


 食堂にはいま四人しかいない。これで寮生全員だ。それなのに……料理が五人ぶんある。皿が、ひとりぶん多い。

「モナカちゃん……皿の数、まちがってねえか?」

 佐絵もひと通り味見したあとでうっとりしながら手つかずの皿を見て気がついたようだ。


「いいえ、まちがってはいません」

 大好評の唐揚げをさらに持ってくると、モナカもやっと着座した。「この第四女子寮にはから」

「管理員さんなら、もう帰ったよ。モナカもさっき挨拶したでしょ」

 若葉が眉をひそめた。

「五人目は管理員さんのことではありません」

 モナカの人形じみた端整な顔にわざとらしい薄笑いが浮かんだ。「わたしたち四人と、八年前に死んだ吉野りんかの幽霊。です」

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