4 バスに揺られて

 氷沼女子大学から最寄り駅まで徒歩で三十分はかかる。健康のための散歩がてら駅まで歩くのも悪くないが、時短と怠惰をこよなく愛する現代人向けに通学専用バスが用意されていた。街でよく見かける中型の乗合バスと同じ車両が。


 氷沼女子大学の学生および職員、関係者は、このバスにタダで乗車できる。


 バスは大学を出発すると、まずは最寄り駅へと向かい、その次が終点の第四女子寮。行きの場合は、第四女子寮が始発になる。第一と第二女子寮は、大学から徒歩十分圏内の場所にある。第三女子寮は最寄り駅から徒歩五分なのでバスは出ない。


 大学から最寄り駅までバスだと八分前後だ。

 第四女子寮はその最寄り駅から車で北上して、だいたい十分のところにある。大学からも、最寄り駅からも遠いから、第四女子寮の前にだけ通学専用バスが止まってくれる。


 杏奈、若葉ともに、金曜日は三時限目まで。講義がすべて終わると、ふたりは大学の図書館に立ちよった。レポート用の資料探しのために。時間にして一時間弱、それが終わると、十五時四十五分発のバスに杏奈と若葉は乗車した。


 バスが出発する。若葉との会話が途切れるたびに外の景色に目を馳せた。

 朝からずっと空が重たい。暗くて、湿ってもいる。夕方を迎えてもそれは変わらず、外は引きつづき雨だった。バスの四角い窓枠に切り取られた小雨の景色がうっとうしい。緑の多いのどかな風景も、だらだらと雨に打たれっぱなしだとアンニュイだ。

 胸の内側、気持ちの部分までしっとりとぬれてしまったかのような気分にさせられる。そんな物憂い空気にひたされたまま、満席に近いバスに揺られていた。

 にわかに人や建物が増えはじめた。駅前に近づいたからだ。多少はにぎやかになる最寄り駅で、ほぼ全員が降りた。


「吉野りんかも乗っていたのかな、このバスに……」

 呟いた杏奈の声が、「ドアが閉まります」と告げる音声付きドアチャイムのアナウンスと重なった。折り戸の前扉と、引き戸の中扉が閉じられていく。最後に降りた学生の背中から目をそらした杏奈は、「吉野りんかの怨霊か……」と独りごちた。


「八年前、わたしたちと同じ寮に住んでいた人が、嫌な死に方をした」

「その事件に別の真相があるって噂、杏奈は信じてるの? 吉野りんかの幽霊」

 若葉が横目で杏奈を見ていた。

「信じてないよ」杏奈は苦笑する。「しんみりしちゃった。ただそれだけ」

 残った乗客は杏奈と若葉だけだ。秋雨を払うワイパーの味気ない音が聞こえていた。バスがのっそり動きはじめると、のどかな景色がふたたび窓の外の主役になった。


 駅に停車していた時間をふくめて、大学から第四女子寮までかかる時間は二十分前後だ。最寄り駅から北上し、十六時五分に第四女子寮前に着く。時刻表案内板があるだけの小さな停留所で杏奈と若葉を降ろしたバスは、すぐさまUターンした。


「わたしは杏奈とはちがう。ロマンチストじゃない。オバケなんて信じない」

「わたしだって。ロマンチストでもないし」

「杏奈は幽霊好きなくせに。ホラーとかよく観てる。小説も読んでる」

「あれはフィクションだから。フィクションならホラーは好きだよ」

「わたしは幽霊にはときめかない。つまんないよ、死んだあとの存在なんて」

 若葉にしてはめずらしく熱っぽい口調だ。「生きてる人間のほうが怖い。よっぽどね。死んだ者は酸素や水素、炭素、その他もろもろの元素のかたまりでしかない」

「どうせなら、もっとおつなこと言って。オバケが怖くなかったら救いがないと思うな」


 しとしとと、静かに降る雨の音だけが聞こえている。

 このあたりまで来ると、人も車もめっきり減って静かになる。第四女子寮の他にはマンションもアパートもない。最短距離の民家まで、たぶん三百メートルは離れていた。


「理不尽な殺され方をして、怨霊になって、復讐ってパターンの場合は、オバケが怖くなくて弱かったりしたら、気の毒すぎるからさ」

 打ちつけてくる雨が冷たい。女子寮はもう目の前だ。ふたりとも傘は差していなかった。

「目には目を歯には歯を、理不尽には理不尽を。わたしは、リベンジかます幽霊が好き」

 そうつけ足した杏奈の前方、女子寮の背後に、終わりの境目が見えないほど大きな森がずんぐりと巨体を横たえていた。森の奥には小ぶりな山が腰をすえている。

 駅から車で七、八分。たったそれだけの時間で、こんな人里離れた場所に様変わりする。八年前には殺人事件まで発生した。


 そのとき死んだ女子大生の幽霊が寮に取り憑いている? 


 そんな噂まで流されたら、ふつうの学生からは敬遠されても仕方がない。事件から数年はジャーナリズム学科の学生がネタを求めて押しよせてきたらしいが、杏奈のように実際に入居してしまう物好きは、この八年間で十人もいなかったそうだ。


「村木たち三人は吉野りんかの怨霊に呪い殺された。この噂が本当なら、杏奈の好きなリベンジかます幽霊だね。卒業制作には使えないと思うけど」

「使う気ないよ。言ったよね、ホラーはフィクションだから好きなの」

「吉野りんかが怨霊になってどうとかって噂を卒業制作であつかうんでしょ」

「それはさ、なんでそんな怪談が生まれて、噂が広まったのかってのを調べるためにね。ゼミの教授も言ってたじゃん。八年前の事件をいまさら取りあつかうなら、新規性が必要だよ、新規性がねって、口酸っぱく」


 若葉も同じゼミ生だ。来年はたぶん、お互いその教授に卒業制作を指導してもらう。


「先輩たちが与太話だと思って無視してきた。だからこそだよ、例の噂を取りあげる理由は。別に幽霊の話を鵜呑みにしてるわけじゃないから心配しないで」

 雨に打たれて、どこか艶めかしい若葉の顔が、わずかながら杏奈との距離をつめてきた。

「だけどさ……仮にだよ、本当に吉野りんかが怨霊に成り下がっていたとして、彼女の幽霊がうちの寮に取り憑いているんだとしたら、どこらへんに隠れてると思う?」

 幽霊はつまんないとか言っていたくせに、なんでそんなことを訊いてくるんだろう? 嫌いな人のSNSでの言動がいちいち気になって、のぞいてしまうみたいな感じ?


「うちの寮って空き部屋ばっかりだから、いるなら、そのどこかじゃないの」

 杏奈はテキトーに答えた。空き部屋ばかりなのは事実だ。

 第四女子寮の寮生は、杏奈と若葉を入れても、たったの四人しかいなかった。

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