3 ふたつの事件②

 第二の事件はその二ヵ月後、十二月三十一日の大晦日に起きた。


 時期的に大学は冬休みだ。寮生の大半が実家に帰省していた。


 帰省しなかった残りの寮生たちも、忘年会や年越しパーティーにくり出していたらしい。事件当夜、第四女子寮にいた学生たちは片手で数えるほどだった。寮に残っていた者同士で集まって飲んだりもしていない。

 第二の事件が起きた夜、寮に残っていた学生全員が部屋にひとりでいたと証言している。


 この第二の事件でも人が亡くなった。

 亡くなったのは、理事長の村木康志と、管理人のひとり依田友子だ。


 当時、第四女子寮には管理人が住みこみで常駐しており、一階に住戸が宛がわれていた。第二の事件の現場は、管理人が暮らしていた住戸のリビングダイニングだったと言われている。


 依田と古坂は結婚こそしていなかったが、長年の恋人同士で、実質的には夫婦だったらしい。理事長の村木と管理人ふたりは二十年来の友人だと思われていたが、それは建前で、本当のところは違法薬物売買や売春斡旋を行う犯罪者グループのメンバーだった。ボスが村木で、依田と古坂はその部下だ。これらの事実は事件後、警察が村木たちの過去や身辺を洗ったことで判明した。


 もっとも、村木は筋金入りの秘密主義者だったらしい。情報管理には細心の注意を払っていたそうだ。したがって未だに、事件のことでわかっていないことも多い。


 ロマンスグレーの紳士を表の顔にしていた村木という男は、氷沼女子大学の創設者、氷沼紅子の孫でもある。大学創設者の祖母、政界と財界にも顔が利く実業家の両親。村木の親類には東大出身の高級官僚も多い。


 村木自身も東大法学部出身で、もともとは大手銀行に勤めるエリートだったそうだ。大学時代のよしみ、親類、元勤め先で得たエリート同士のつながりは強固で、特権的で、警察の捜査情報すら入手できたという。いわゆるキャリア組を中心に警察関係者の友人知人がそれなりにいた。なかには村木たちの〝客〟も混じっていて、主にその客から警察の捜査情報を聞き出していたと言われている。


 だから村木たちは、のだ。


 当初、吉野りんかは自ら覚醒剤を摂取して死んだと考えられていた。そう思ってもらえるように、村木たちが現場を偽装した。りんかは寮の彼女の部屋で死んでおり、ドアには鍵がかかっていた。密室だったらしい。密室で死んだのなら事故か自殺に相違ない――と結論づけてもらえるように現場を偽装したわけだが、小細工には限界がある。


 捜査員たちが吉野りんかの死を疑いはじめた。死体の肩や腕、足に、微かにだがあざが残っていたからだ。

 痣は、りんかが暴れないように、押さえつけられたためにできた物ではないのか? もしそうなら、誰に、なぜ押さえつけられたのか? 

 りんかが薬物中毒で死んだとわかるや、彼女の友人たちは一様におどろいていた。りんかが薬物に手を出していたなんて信じられない、ありえないと、みんなが証言したのだ。

 正義の人。ちょっとお節介がすぎるぐらい行動力のある人。学生たちが抱いていた吉野りんかに対するイメージがそれだ。


 吉野りんかは本当に薬物中毒者なのだろうか? 無理やり覚醒剤を摂取させられ、殺されたのではないのか? その際に手足を押さえつけられて、微かにだが、痣ができたのではないのか……? そんなふうに考える捜査員たちが増えはじめた。


 痣自体はめずらしい物ではない。頻繁に体をぶつけて、痣ができやすい人もいる。死体に痣があるからといって、さほど深刻には考えられないだろう――村木たちはそんなふうに高をくくっていたのかもしれない。


 おまけに現場は密室だ。密室から他殺やトリックを連想するのは、推理小説オタクなど一部の物好きだけだろう、密室なら他殺の可能性は除外されるのが常識だ――安易にそう考えていたのだろうが、現場が密室だからこそ、マスターキーで自由に出入りできる管理人ふたりが疑われた。村木もだ。依田と古坂、村木の三人は、友人関係を公言している。それを口実にして、村木は足しげく第四女子寮の管理人住戸を訪ねていた。


 密かに捜査情報を知りうる立場にあった村木だが、殺人をもみ消してもらえるほどの強力なコネまでは持ち合わせていなかったようだ。遅かれ早かれ、吉野りんかの件は他殺だとバレる。だから、都合のいい犯人が必要だ。罪を背負ってもらう犯人が。


 かくして、一計を案じた村木は、その犯人役に古坂を指名した。古坂本人には内緒で。


 なにも知らない古坂を殺害し、行方不明あつかいにする。これで古坂は逃亡犯だ。吉野りんか殺害の逃亡犯。古坂のパートナー、依田友子も、村木のこの計画に加担した。依田は古坂の目を盗んで村木と通じていたらしい。


 古坂を殺害する日は年末に決めた。その理由は、寮生たちの大半が外に出かけており、寮内での偽装工作が比較的容易になるためだろう。

 古坂を行方不明に見せかけて殺さないといけない。古坂の所持品のなかに、彼が吉野りんかを殺害した証拠を隠しておく。やるべきことがたくさんある。なにかと忙しい事件当日の夜、騒ぎたい年ごろの寮生たちが少ないにこしたことはないのだ。


 他方、古坂はというと、村木と依田の計画を事前に見抜いていた。古坂は自分を裏切った村木と依田を殺害することにしたようだ。

 凶器として使われた台所の包丁には古坂の指紋がべったりと付着していた。古坂も無傷とはいかず、犯行現場のリビングの床から古坂の血液が検出されたという。


 事件後、古坂一郎は村木たちの計画どおり行方不明になった。悲劇の夜、「古坂とおぼしき人物」が大きなトロリーバッグ――キャスターをゴロゴロと転がして移動させる鞄――を引きずりながら寮から出ていくところを、防犯カメラがとらえていた。

 当然、古坂は指名手配される。彼の外見的特徴を列記したポスターも作成された。身長一六〇センチから一六三センチ、小柄で華奢。そんな特徴が書き記されたポスターが。

 それから八年が経った。指名手配され、ポスターまで作成されたのに、いまのいままで、古坂の行方はようとして知れない。

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