雪溶し、雨曝し

上春かふか

寒いね、

 元カレと会った。飲む約束をしてしまった。

 

 偶然、彼は私の仕事場の最寄り駅に居た。そこから成り行きで、久々に飲もう、と。思えば、あの時なんで私は彼との約束を受け入れたのか、自分でもよく分からない。でも多分、ちょっとした衝動とぽっかり空いている穴がそうさせたんだと、勝手に思う。たぶん、どうしようもない寂しさが叫んでいた所為だ。

 仕事帰り。降る雪とは真逆に活気づいていく、東京の夜。オフィスから見る夕方の東京とは、全く違う顔を見せる。ビル群が立ち並んで放つ鬱陶しい光。もう既に出来上がって頬を赤らめている中年オヤジたち、制服を着て手を結うカップル。それら全部が眩しく見えて、頭がクラクラしちゃうのはもう気の所為なことにした。昼間から降り続いている雪はもう、二、三センチと、かなりの高さが積もっている。

 モノクロのように映る世界にはもう慣れているから、さ、今夜くらいは、楽しくいこう。

 気づけばもう集合場所で、雪は溶けているはずがなく。しんしんと、降り続いていた。

 




「やほ。仕事お疲れさま、唯」

「お、ひさしぶり。将司」

 五分程して、彼が来た。その情報を先に処理するのに、時間がかかった。切れ長で、端正な顔立ち。女の私にも負けないサラサラとした髪の毛。私を見下ろしているその顔に少し見惚れたのは、絶対に認めないようにしよう、と苦笑まじりに心に誓った。

「しっかり会うのってさ、めちゃくちゃ久しぶりだよね、そいえば」

 手に息を吐きながら、彼は私にそう言った。寒い時にするその仕草は前と変わっていない。そんなことを思う。

「最後に会ったの、二年前くらいだったよ」

「……そっか、それ以来か」

 彼は、それじゃ大分会ってないな、と微笑してそう言った。二年前、というと。

 私が彼の家に荷物を取りに行った日だと、どことなく置いてかれる意識の中そう思う。

「……じゃ、行こっか。ここら辺に、バカおすすめのお店があるんだ」

「うん、そだね。お腹すいた」

 切り出してくれるのには、思い出す前。ちょうどいいタイミングでよかった。





 ふと、私は彼のどの部分を好きになったんだろう、と思った。でもその問いは、すぐに無意味なことだと気づく。同じ漫画が好きだったし、好きなスポーツも同じだったり、お互いの好みのコーデのジャンルも似ていたし、朝はどっちもごはん派だった。デートの前日に日を越すまでゲームを一緒にやって、どっちもデートに大遅刻したり、晩ごはんの材料をどっちも同じもの買ってきちゃったり。多分、ここまで価値観が合った人はいなかったんからじゃないかな、と自分の中の問いに瞬間で答えを出した。心の中の、まだ解けていない雪が映し出す貴方はいつも新鮮で、どこか欠けていた。自分とどこか似ていて、全部が愛おしかった。

 彼と色々あって別れたあとも、嫌いになるなんてなく、それどころかたまに会いたいな、と思っていたほどだった。でもそれと同じくらい、私があの時の事に踏ん切りを付けれているか、不安だった。だから、今日のイベントはすごく楽しみで、同時に来たくもなかった。





「最近、仕事はどうなん?」

 ピークもピークな、東京の居酒屋、金曜夜八時。客の活気がどんどん盛んになっていくのを尻目にカシスオレンジをすする私に、彼はそう言った。

「んん。まあ、ぼちぼちかなあ。辛い。とにかくしんどいけど、周りの人が優しくて助かってるかんじ」

「そか、良かったよかった」

「将司はどうなのさ」

「俺?まあ、俺んとこもぼちぼち、って感じかな」

 顔に笑みを浮かべながら、そう言う。ジョッキを置くと、彼は美味しさのあまりか、恍惚の表情を見せた。

 その顔も、以前と変わっている様子は無いことに少し安堵する。

「私のこと捨てて仕事優先したんだから、そりゃ捗ってもらわないと困りますよ」

「待って待って、捨ててなんかないって。語弊語弊」 

「世界一可愛い彼女をねえ…」

 気持ちよさそうにビールを呷る彼を見て、少し意地悪をしたくなった。というか、別れた時の仕返しだ。まだこんなもんじゃ済まないと思うけど。

「ま、もう少しで昇格できるくらいには頑張ってるよ」

 

 嘘つけ。心の中で彼に悪づく。でも、やっぱりだ。やっぱり、ついたその悪態は、どうでもいい最悪な記憶を、酔った頭に持ってきていた。

 

 

 

 

「ねえ、この間あんたの彼氏、女と歩いてたよ」

 友達から、最悪な一言を告げられたその日から、彼のことを疑わないようにしていた。

「交差点で、手繋いでた。疑ってんなら、写真見せよっか?」と不躾にも言う友達を心底憎んだ。嫌いにさえなりかけた。というか私は多分、その子に嫌われてた気がする。まあその子のことはどうでもいいや。

 疑念、というものは怖いものだ。

 私はその日、彼の寝てる隙を見て彼のラインを見てしまった。

 『今度いつ会う?』『ここのお店屋さん美味しいよ』

 そんなライン、ばっかり。私より、その女の子のトーク履歴が上にあって。

 

「そのお店、私と行こうね、って言ったお店だよね、」

 

 そこからはお察しの通り、それが頭から離れなくて。べっとりとへばりついたガムのように、こびりついて取れなかった。

 その後の毎日は、思い出すだけでしんどかった。好きだから、私の前のあなたは愛おしかったから、それが壊れて欲しくなかった。だから勿論、言い出すことも出来なかったし、もやもやを晴らすことも出来なかった。

 でも、そんなこんなで、私は何となくで彼と別れた。詳しく言えば、彼の転勤、での遠距離が辛いからという理由で別れを切り出され、それを受け入れたのが事の顛末。

 何となく、別れた方がいい気がして、なんとなく。

 最後まで、問い詰めるのなんて、私にはできなかった。綺麗なまま。終わらせたかったんだ。

 

 

 

 

 でも、さ。そんなこと、出来ないのが普通じゃん。だってあなたはさ、

「あのまま付き合ってたら私たち、どうなったんだろうね」

 少しめんどくさい質問をしてみる。結婚とか、してたかな、って意地悪に笑いながら。

「どーなったかな」

 彼はどこか遠くを見ながら、そう軽く流した。そんな薄い反応にムッとしたのも束の間。そのまま、言葉を紡ぎ始める。

「でもさ、俺は今でも結構唯のこと思い出すし。嫌いになろうとしても無理だったよ」

 息を少し吐いて、こう続けた。

 

「多分まだ、好きなんだろうな」

 それは、まだ私が彼に抱いていた不思議な感情に、好きという名前をつけた瞬間。

 

 

 

 

 頭が回らなくなったから、その後の記憶は曖昧で。好意か嫌悪か分からない感情が頭の中に横たわったまま、ふわふわした気持ちで居酒屋を出た。それでも夜はまだ盛り。雪はまだ、依然として溶けていない銀世界。

 電車もうないね、どうしよっか、ってお決まりのような、聞きなれたまであるフレーズを交わす。理性が言うことを訊こうとしないのは、ぼんやりとした頭のせいにした。それで、雰囲気に漂ったまま、近くにある彼の家に向かった。

 

 

 

 

 純白の、壁が周りを囲んでいる。

 体を許してしまった。前の彼の体つきとは全く思えない体に跨って、私はそんなふうに思った。

 こんな体じゃ、なかったのに。もっとヒョロヒョロだったじゃん。

 彼の吐息が漏れて、えもいえぬ優越感が、私を満たす。それでも、私の心はすぐに空っぽになる。

 心に横たわったままの気持ちを認められない。認めたくない。自分がやるせなくて、どうしようもな歯痒さが、嫌で嫌でたまらない。

 頬を、冷たい雫が伝って、滴り落ちた。

「……唯?」

 うるさい。全部、あなたが悪い。

「…何も言わないでよ。…きらい。だいっきらい、ホント」 

 ごめんね、めんどくさいよね。

 

 行為を終えた。私は窓の外を見たまま。

 やっぱり私って、チョロくて馬鹿なんだな。あの頃からなんにも変わってないんだな、って思った。何でもかんでも苦しみっぱなしの、あの頃の女の子のまま。

 それに比べて彼は、見えないところで結構変わっていたらしい。一通り終えたあと吸う、煙草の銘柄。部屋に使う芳香剤、テレビの大きさ、枕に、布団のブランド。部屋に、あのころの匂いがしないのが、きつくて、安心できなくて。

 窓の外を見て、彼はいつの間にか煙草を食わえていた。

 火をつける。たちまち、紫煙が漂い昇っていく。沈黙、静寂。どの言葉でも、言い表しがたい空虚。

「…あのさ。」

「ん?」

「将司って、こんなことするの、誰とでも?」

 私が待っていた答えは、『うん、そうだよ』だった。それならそれで、最低じゃん、って笑って済ませれるから。

 でも、そんな答えは返ってくるはずがない。ましてや将司はそんなこと、言うはずがない。

「…んなわけないだろ、」

 律儀で鬱陶しいその返答に、私は調子に乗った。

 その彼は変わってないことに安心したから、だから多分、口走ったんだ。 

 

「じゃあさ?、」

 

「もっかい、やりなお_」 

 

 そう言おうとしたのと同時。ほぼ同刻。ベッドの上に置かれたままの彼のスマホに、ラインの通知がやかましい音と一緒に表示された。

 

「どした?」

 見えてしまったラインの通知元は、二年前のあの子。

 やっぱり貴方は、どこまでも律儀で、鬱陶しい。私の喉元まで出かかった言葉は、紡がれず捨てられていく。窓を見やると、いつの間にか降っていた雪が、雨になっている。積りに積もった雪は、ひどく冷たい雨に溶かされしまいそうだった。

 

 期待したのは私で、離れようとしたのも私。都合のいい女でもいい、って思ってしまったのも、ホントのこと。

 でもあなたは、私が思う以上に、最高で最悪な一途なやつで。

 そんなあなたを私は嫌っていた。

 

 それでも、忘れられなかったのは。

 『貴方なんか、大っ嫌いよ』

 貴方のことが、どうしようもなく、大好きから。

 

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雪溶し、雨曝し 上春かふか @Kafka_lissele

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