弓張月に一矢報いる



「のばら、こっち!」


 みゆ莉は枯れ木に登り、戸惑うのばらに手を伸ばす。

 いつの間にやら辺りは薄暗くなり、光を求めて空を見上げる。頭上では上弦の月だけが変わらずに2人を見下ろしていた。



「ま、まさか本当に熊がいるなんて⋯⋯」


 木の枝に引き上げたのばらの身体は恐怖でブルブルと震えている。まさか本当に熊と遭遇するとは思ってもみなかったのだろう。


 冬眠し損ねた熊は非常に獰猛どうもうだ。その原因は栄養状態の良し悪しによるものが殆どで、冬眠しない熊は『穴持たず』と呼ばれる事もある。




(きっとあたし達を食べる為に探してるんだ。でも怖気付いちゃダメ、あたしにはのばらをここまで引っ張ってきた責任がある。それに、あんなに焦がれた肉が目の前にあるんだから)


 落ち着きを取り戻したみゆ莉は当初の目的を思い出し、自らを奮い立たせる為に強く両頬を叩いた。


「⋯⋯のばら、あたしたちで倒そう」


 みゆ莉は真剣な顔でのばらを見据える。


「えっ⋯⋯?」

「このままじゃ埒があかないよ。今はまだあたし達に気付いてないけど、気付かれたら一巻の終わりだ。熊は木登りも上手いからね」

「そっ、そんな⋯⋯」


 のばらの表情は絶望に染まる。


「でも、大丈夫。あたしとのばらならやれる! あたしに良い作戦があるから任せてっ!」


 みゆ莉はのばらを安心させる為に、ニカッと笑って見せた。


「⋯⋯分かりましたわ。みゆ莉さんを信じます」


 のばらは目を見張った後、観念したように深く息を吐く。その紫の瞳には涙の膜が張っていた。




✳︎




「みゆ莉さん、絶対に、変なところを触らないで下さいね!?」


 すっかり調子を取り戻したのばらは、ムッと頬を膨らませてみゆ莉を見やる。

 一方、みゆ莉はというと、後ろからのばらの身体をきつく抱きしめていた。真白なセーラー服からチラリと覗く腹部に手を這わせると、想像したよりも固い感触に思わず率直な感想が口をついて出る。


「あ~はいはい、触らない触らない⋯⋯んン~? のばらって意外と筋肉ついてるんだね」

「もうっ、言ったそばからっ!」


 のばらは顔を真っ赤にして声を荒げた。




 ——茶番はさておき、みゆ莉の思い付いた作戦はこうだ。先ず初めにのばらが弓で熊を狙い打つ。しかし、弓では熊を仕留めるには些か威力が劣る為、みゆ莉が猟銃でトドメを刺すといった手筈だ。

 初めからみゆ莉の猟銃で仕留められるのならば最善なのだが、実践経験の無いみゆ莉では至近距離にまで近付かなければ当たる可能性はグッと低くなる。そのためにのばらの力が必要不可欠なのである。


「い、いきますわよ」


 のばらは脱ぎ去った厚手のコートを枝にかけ、ゴクリと唾を呑み背負っていた弓袋から和弓を取り出す。

 みゆ莉は不安定な足場で矢を放つのばらがバランスを崩さないようにと、更に腕に力を込めた。


 のばらは片膝を立て、右手を弦にかけ左手を整えてから熊に照準を合わせた。そして、拳を同じ高さに持ち上げグッと力を込めて引分ける。

 発射準備が整ったのばらは深く息を吐き、数十メートル先で鼻を地面に擦り付けて匂いをたどる熊目掛けて矢を放つ。


 矢は一直線に飛び、熊の身体を貫いた。


「グオォォォォオ!!」


 耳をつんざく程の雄叫びがシンとした森の中に響き渡る。見れば、真白な雪を汚しながら痛みにのたうつ熊。



「ナイスッのばら! 後はあたしとモモタローに任せてっ!」


 みゆ莉は木から飛び降り、銃を構えた。








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る