【36話】天使の捕囚

 暗い通路、壁には点々とかすかな灯りが灯る。

 魔術を用いた灯火のようで、光の強さよりも長い時間を光らせられるよう調整されているようだ。


 真暗ではない。

 しかし、この暗闇の中を進むにはとても十分な光源とは言い難い。

 足下の様子も分からないままに進む。


 砂を踏む乾いた音が静寂の洞穴に響く。

 暗闇を見続けている目は馴染んできているはずなのに、その暗さはインク壺を覗き込んでいるかのようだ。


「扉です」


 ミカーラの声。

 普段通りの声量だろうけど、この静寂の中では心臓に響くほどに感じられた。


「開けます」


 ぎぃ、と大きな軋み音を立てて大きく開かれた扉、中から漏れ出す青白い光。

 決して強くない光であるにも関わらず目に沁みる。それでも中に入り目を慣らして見えて来たその光景は。


 それは、小さい頃に探検した洞穴を、何倍も大きく、荘厳にしたような空間。


 地上にあるはずの大きな教会、それと同じくらいの広い空間が広がっていた。

 その空間を囲うように屹立する、鉱石でできた巨大な柱。

 それらが発する青白い仄明かりで空間が満たされていた。


 その中央に座すのは巨大な真白い岩。

 まるで花弁のように円環を成すその岩、その中央に白く輝く何か。


 幻想的とも言えるその様子に圧倒されつつも、その中央の輝きを良く見ようと目を細めたその時。

 花弁状の岩の影が急に膨れたように感じた。


 と。


 ぎぃん!


 澄んだ鋭い音が空間に響き渡る。


「皆さん、後ろへ!」


 ミカーラの緊迫した声が響く。

 僕も慌てて護身の短剣を取り出して構える。


「『認知』が使えない!?」


 突然現れた敵――だろう、きっと――を知ろうと奇跡を使おうとして、何も感じ取れないことを知った。


 ぎん、ぎぃん! ぎぃん!!


 そんな僕の焦燥をよそに、前方ではミカが神賜の剣しんしのつるぎを振るい、相手を退けているのが見える。


 しかし、おかしい。


 ミカーラ、というかミカならば、神賜の剣しんしのつるぎを振るえばそれは敵を倒したのとほぼ同じ。なのに、聞こえるのは剣同士が響き合うような音。

 これは、ミカと打ち合えるような相手の登場を意味していないだろうか?


 普段との違いに動揺している僕に、横から黒い影が近寄る。

 ミカーラが相手にしている敵だけではない、まだ居る!?


 音もなく近寄り、滑らかに斬り上げてくる影。

 僕は『認知』により相手のことを知ることも、その斬撃の軌道を識ることもできないが――


 ぎぃん!


 幸い、自分自身に対する『認知』、すなわち筋肉や体幹の使い方を認知で補い動くことはできた。

 これは、正規の訓練を受けたことがない僕でも、熟練の剣士のような動きを模すトレースすることができる、ということ。


「ミカーラ! 僕は大丈夫!

 マイとグレコを護ってあげてくれ!」


 僕はそれだけ叫び、そのまま影の攻撃を避けることに専念する。


 僅かな光源の下、刹那に銀光が閃き、線を成す。

 暗くて相手の姿が見えない。


 奇跡に頼るな、頭を使え。

 線の軌跡と、人体の構造から、相手の立ち位置を知れ。

 僕は医者の息子だ、骨格なら昔から何度も勉強してきたはずだ。


 左上から右下に仄白い線が走る。

 右手に剣を持っているのならば、その軸は、その重心はどこだ?


 ざりっ


 踏み込みの音が聞こえる。

 半拍遅れて水平に剣の切っ先が滑る。


 今までの歩幅から、踏み込みは僕よりも二歩半分、長い。

 ならば飛び退く距離はこれくらい、そして飛び退いた勢いを利用して力を溜める。

 重心を落として溜めた力を解き放つように膝を伸ばして――


 ギンッ!

 ギギンッ!!


 僕の振るう護身の剣、その軌道が相手の剣筋を捉え、絡め、奪う!

 そのまま肩を預けるように懐に踏み込んで。


(ぐっ!)


 鳩尾へ柄尻の一撃、相手の肺腑から空気が漏れ出る音が耳に届く。

 鋭い痛みに上体をかがめる相手、目の前にはその後頭部。


 ごめんね。


 僕は、死なない程度に鞘ごと剣を振り下ろした。


***


「ジン様! ご無事ですの?」


 残り四人を倒してきたミカーラが駆け寄ってきてくれた。


「うん、なんとか。

 さすが、僕がやっと一人を相手にしている間に、四人を倒して拘束するとは、ミカーラは頼りになるなぁ」


 僕はそう言って笑いかけたけど、ミカーラは悔しそうだ。


「申し訳ございませんわ、ジン様の手を……

 こいつら……どうしてくれましょう……!

 拘束するだけなんて生ぬるいような気がふつふつとしてきましたわ……!」

「ミカーラ、さん?

 あの、大丈夫だから落ち着いて? ね?」


 心底悔しそうにするミカーラ。

 なんかミカっぽくない。

 どちらかと言うと、この感情豊かな感じはフローラを感じてしまう。


 そう考えると、確かにフローラが側に居てくれるのを感じられて、僕は少し嬉しくなってしまった。


「ジン、ちょっと来てくれ!

 こちらに人が寝ているみたいなんだ」


 空間の中央、花弁のような白い岩の内側から、グレコの声が響く。

 慌てて駆け寄る僕とミカーラ。


 そして、見た。

 僕らは、その中央に、巨大な白透石でできた椅子に座った女性を。


 ミカと比べても劣らぬほどに白く美しい肌。

 生まれてから見た中でも最も美しい空の色にも劣らない、嵐の翌日の雲一つない蒼空のような透き通る髪。

 ミカと同じ神官服を纏う彼女は、微睡むように椅子に撓垂しなだれかかっていた。


「ラーファ……」


 ミカーラの口からその天使の名前が零れ落ちる。


 ラーファ。

 『治癒』の奇跡を授けられた天使。

 僕達が探していた存在ひと


「ラーファ!?

 貴女は、何故このような場所に居るのですの?」


 ミカーラが、その極上の織物で飾られ、居心地よく整えられた巨大な椅子に近づきながら、その名を呼んだ。

 それに応じるように、微睡んでいるような彼女の目蓋が少し動いて。


「……あなた、だぁれ?」


 その天使から、ゆるやかに質問者を問う声が流れ出る。


 ……そう言えば、いまはミカーラのようになっているのだから、ミカのつもりで問いかけても相手も混乱するか。


「わたしは……ミカですわ。

 いま、致命傷を負った娘に降臨し、受肉していますの。

 だから、今だけ、ミカーラと名乗ってますわ」

「あの、あたまの固いミカが受肉……?

 なんの冗談かしら……?」


 そう言って目をしばたかせるラーファ。


「それで、ラーファは何故こんな場所に拘束されているのかしら?」


 ミカーラの改めての問いに、ラーファはその透き通るような蒼髪に覆われた頭を無造作にかきながら、夢見がちに答えた。


「えぇと……。

 わたしは、百年と少し前に、主の指示によって調査のため地上に降臨して……。

 地上の協力者に恩恵として『治癒』を授けたりしながら行動していたの。

 そのうちに騙されてここに連れて来られて、椅子に縛り付けられて。

 何をやっているのかなぁ、と思って見ていたの」


 とても百年以上の長い時間を捕らえられていたとは思えない、のんびりした内容。


「それでは、この拘束はあまり拘束になっていないのですか?」

「いやぁ、けっこう強いよ? これ。

 本気で力を入れないと破れそうにないし、やったら疲れるし?

 それに周囲も大惨事になるだろうから、どうしようかなぁ、と思って」


 それで百年。人間とは全く異なる時間の感覚。

 とは言え、そののんびりとした口調に、ミカーラも頭を押さえている。

 その気持ちはとても良くわかる。


「そうでした、貴女はそういう方でしたね。

 今からこの戒めを外しますので、そうしたら――」

「そうはさせん!」


 横手から強い力を伴う声が空間に響き渡る。

 その声だけで、僕の肌は軽く痺れたように感じられ、心臓が跳ねた。


 一つしかない入り口から、武装した男達が次々に入って来る。

 先頭に立つ男、さほど背も高くないが、がっしりとした体格の男が、白を基調とした鎧を纏い、無造作にこちらへ歩み寄る。


 それを見ている僕らの後ろから、緊張感に欠けたラーファの声が届く。


「気を付けてね。

 あの人、この村の村長さんなんだけど、教皇から『聖別』された神の戦士になっているわよぉ。

 言ってみれば、戦士として生まれ変わったような存在ナチュラル・ボーン・ファイターなの。

 強いわよ?」

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