【34話】村長の娘(後編)

 そこは森の中の村だった。


 周囲を見渡すと、小さな子供たちが何人か見える。可愛らしい子供達。

 あそこに見える子供など、主様であるジンにそっくりな子供ではないか。


 気が付くと知らない場所にいた。

 これはフローラの夢の中。

 ミカはそれを理解している。


 フローラに憑依受肉して以来、彼女の食欲や睡眠欲といった生理的欲求に影響を受けるようになったミカは、食事もするし夜になれば睡眠もとる。そして夢を見る。


 これは夢の中の世界。

 天使にとって不可思議なこの現象を、ミカはすこし楽しみながら体験していた。


「あんたたち、今日は泉まで遊びに行くわよ!」


 そう言うフローラに、皆は拳を振り上げて同意する。

 その中には、きょとんとした顔をした幼年時代のジンもいた。あの顔立ち、認知を使うまでもない。

 その姿を見て、ミカはほんのりと胸が暖まるのを感じる。この感覚もまた、受肉してから感じるようになったもの。


 夢の中のフローラは、まるで女王様のよう。

 開拓村の村長である彼女の父親は、村の中ではその権力は絶対的。

 それは親から子に伝わり、皆がフローラを上に立つ人間と認めている。

 幼少期からそのように扱われていた彼女は、その待遇があたりまえと信じて疑わない。


 だからか、彼女は時に絶対権力者であり、時に暴君であり、時に慈悲深い存在であった。

 常に子供たちの中に君臨する存在だった。


 しかし、ある日、それが崩れる。


 離れた街まで商売に出かけたフローラの父親エーセックが予定を過ぎても帰ってこない。

 最初は、皆が痛ましい顔をしていた。心配をして、励ましてくれた。

 それが一か月を過ぎるころは、みなエーセックに関心を失い、今後の村について考えていた。

 その頃からか、エーセックが死亡したと言う噂が流れてきた。盗賊に襲われて死んだのだと言う。


 行商人が盗賊に襲われて命を落とすのは、珍しい話ではない。

 村人たちは、まるでそれが既定の事実であるかのように振る舞うようになった。

 それと共に、フローラの立場も激変した。まるで、彼女はもう力を失って、とるに足らない存在になったかのよう。


 フローラは、掌を返すように仲間から冷たくされた――。


 怖かった。

 その時のフローラは、世界が突然壊れてしまったかのように感じた。

 父親が居なくて悲しいのに。不安なのに。怖いのに。

 周囲はむしろ、自分を厄介者のように扱う。泣けば、まるで我儘娘のように言われる。


 物を食べても吐くようになった。

 部屋から外に出るのが怖くなった。

 人の顔を見るのが嫌になった。


 もう、どうして良いか分からない。


「大丈夫?」


 そんな時に、自分を見に、話しにきてくれた唯一の友達がジンだった。

 そんな彼に、フローラは酷いことを言った。


 同情に来たって何もあげられないわよ、帰んなさい!

 他人の顔なんて見たくないわよ! 邪魔だわ!

 本当に余計なことはしないで! 私に構わないで!


 それでもジンは通い続ける。

 励まし続ける。

 フローラの顔色が良くなるまでと、黙って側に座ってくれる。

 家に忍び込んで、一緒にご飯を食べてくれる。


 そんなジンにようやく心を開いたころに、フローラの父エーセックは帰ってきた。

 消息を絶ってから二か月かかって。

 盗賊に襲われ、命からがら逃げて、馬車を失ってしまい帰るに帰れず。

 連絡の手段も失い、伝手を辿り返るまでに、これほど時間がかかってしまったそうだ。


「やあ、フローラちゃん、良かったね、お父さんが帰ってこれて!」

「フローラ、本当に良かったよ! また一緒に遊ぼうね!」

「心配していたよ! でもね、私達もお父さんの無事を祈っていたんだよ!

 ほんと良かったよね!」


 返した掌を戻すように、親し気に振る舞う村人たち。

 こいつら、何を言っているんだ。


 村人たちの顔が灰色に見えた。

 表情を見ているだけで、気持ち悪くなった。


 そんな中、ジンだけは変わらない態度で接してくれる。


 押し寄せる人垣に阻まれ、困ったように引き返すジン。

 まって、会いたいのはジンだけなのに!

 そんな思いを抱き、後から会いに行ってほっとする。


 ――フローラが信頼できるのはジンだけだった。


 ジンが居る世界こそが、安心できる自分の世界なのだ。

 だから、ジンが村人から厄介扱いされたときは陰に陽に助けた。

 ジンが魔術学園に入学する時は自分も頑張って入学し着いて行った。

 辛くても、彼の側に居られれば耐えられた。


 それなのに。


 ジンが学業に悩み、フローラに何かを隠している日が続いたとき。

 急に姿が見えなくなって、胸が締め付けられる程に苦しくなって深夜までジンを待ち続けたあの日。

 あいつは、それを連れて来た。


 人とは思えない美貌、透き通るような白い肌、文字通り仄かに輝くプラチナブロンドの美髪。

 天使を名乗るその女は、当然のようにジンの側に在って、彼の力になった。

 そこは、あたしの居場所なのに。


 最初は、嘘だと思い込もうとした。

 どうやら真実と理解してからは、自分の居場所を取り戻そうとした。


 それでも絶対に敵わない、あの力。その美しさ。


 やがて胸をくような黒い何かが生まれた。

 必死に抑え込もうとするけど、どうしようもなく溢れてくる、何か。

 それはあたしに囁くんだ。

 悔しい。口惜しい。くやしい――!!


***


「……夢、か……」


 ミカーラは目覚める。


 夢を見ていた。

 そう、夢だったんだ。

 フローラがこんな夢を見せてしまったのは、モーリーというこの村の長の娘、その悩みを聞いてしまったせいだろうか。


 生々しいわだかまりが胸に揺蕩たゆたい、目覚めたにも関わらず身体は疲労し、精神は消耗していた。


「わたしは、ジン様を――?」


 主人格はミカであるのに、そのミカに向けられたあからさまな敵意。

 それを追体験した疲労感。


 主と定めたジンの幼馴染フローラ。

 彼女に迷惑をかけているとしたら、自分はどうすべきか?

 身を退くべきだろうか。


 そう考えると、ちくりと胸に痛みが走る。

 これは主人格たるミカの心の痛み。


 主の御使いのために生み出された天使は、余分な機能をあまり持たない。

 天使たるミカに心の痛みが走るとは、これは何らかの不具合バグだろうか――?


 心の痛みと言うマイナスの要素に、何故か切り捨て難いものを感じながら、ミカーラは気怠い身体を起しつつも、ひとまずその想いを心の奥にしまっておくことにしたのだった。

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