【30話】隠された村

 くん、くん、くん。


 快晴と言うべき澄んだ青い空がどこまでも広がるような空の下。

 僕とミカーラで並んで町を歩いていると、隣でミカーラが鼻を鳴らし始めた。


「ジン様、この周囲に何やら濃厚な香り成分が漂っているようですわ。

 何でしょう、この香り成分――こう――腹部に鋭い痛みが走るような。

 好ましい匂いと思いましたが――なんらかの毒でしょうか!?」


 そう言って、さっと顔を青くして周囲を見回し始める。

 そんなミカーラの様子を少し呆れながら僕は眺めて、その警戒がいかに見当はずれなのかを指摘した。


「違うよ、ミカーラ。これは料理の香りだよ。

 食欲をそそられるよね、この香りは――あ、お腹すいているのかな?」


 僕がそう言うと同時に、ミカーラのお腹がぐぅと鳴った。


 恥ずかしがるでもなく、そんな音が出る自分のお腹を不思議そうに眺めながらなでている。


「何でしょう、腹部から変な音がでています――身体が異常をきたしているのでなければ良いのですが。

 ちょっと『認知』で診断を……あれ、「空腹」と出てきました?」


 無駄に奇跡を行使する受肉天使様。

 ひょっとして。


「ミカーラって、ひょっとしてミカである間、お腹って空いたことなかったの?」

「はい、わたしは食事を必要としないので。

 そうですか、これが空腹という感覚なのですね。新鮮です」


 しきりに感心しながら自分のお腹をなでている。

 ちょっとした奇行に周囲の視線が気になった僕は、ちょっと好奇心を持ってミカーラに提案をしてみた。


「それなら、ちょうど昼時だし、食事にしようか。

 そう言えば偵察に出ていたから、ミカーラは朝から何も食べていなかったね。ごめん、気づくのが遅くなってしまって。

 ここは町の中央広場で、いろんな屋台が出ているからさ、適当にいくつか買って食べてみようよ。空腹が初めてなら、こういった料理だって初めてなんじゃないの?」


 ミカーラの同意を得た後で、彼女と一緒に屋台を巡る。

 彼女が目を丸くして驚いたり、興味を持ったりするのが楽しくて、ついつい買いすぎてしまった。


 捌いたばかりのホロホロという鳥の串焼き、香草を添えて。

 淡水に棲むなまずを入念に泥抜きし淡泊な身を団子にして黄金色のスープで煮込んだものを、柑橘系のフルーツをくり抜いた器に入れた汁物。

 粉を練って板状にした皮を畳んで捻り、ミルクで煮込んでから卵とチーズのソースに絡めたもの。

 様々な果物をカットし、天然大葉の上に彩り良く綺麗に並べた果実盛り合わせ。


 気が付くととても二人で食べきれる量とは思えない料理を買ってしまい、さてどうしたもんかと思いつつ近くの石に腰かけて目の前に料理を広げた。


「ちょっと買いすぎちゃったよ。

 でも、ミカーラが受肉してからは簡単な料理しか食べていなかったから、こういった手の込んだ料理は初めてでしょ。

 さ、食べてみて」


 最初は不思議そうな顔をしてあれこれ料理をつついていたミカーラ。

 まずはひとくち、鳥の串焼きをぱくり。

 最初は不思議そうに。そして、目を見開きながら、驚きの表情に。


 それからは……早かった。

 何がって。

 目の前の料理が全部なくなるのが。


 優に四人前はあったはずなんだけれど……。


「なるほど、これが食事というものですか!

 活力エネルギーを摂取するのに何が楽しいのかと思っていましたが、これはちょっと楽しいですわ!?」

「き、気に入ってくれてなにより。

 ところで、僕はほとんど食べられなかったから、自分の分を少し買って来るね……」

「それであれば、わたしも行きますわ!

 違う屋台の料理が気になります!」


 え?


 ぎょっとした僕を尻目に、屋台の制覇を目論むミカーラ。

 人間業とも思えない量を食べきる美少女に、最初は広場の面々は驚いて見守り、次いで野次で囃し立て、最後には拍手喝采が贈られていた……。


***


「ずいぶんと、目立っていたね?」


 場所を変えて、お茶などを飲みながらにこやかに話してくるグレコ。

 おそるおそるお茶を舐めて、次いで顔を輝かせるミカーラを横目に、僕はグレコと話を進めた。


「ごめん、ミカーラがあんまり嬉しそうなんで、止められなかった。

 せっかくクネシア村について調査してもらっていたのに、まるで僕らだけ楽しんでしまったようで」

「ああ、それは構わないよ。

 僕は僕で、不思議な村について調べることができて楽しかったからさ」


 そう言って悠然と茶器を傾けてお茶を喫する友人がとても頼もしく見える。

 その隣では、グレコといつも一緒にいるマイが、ミカーラにお茶の注ぎ方などを甲斐甲斐しく教えてくれていた。


「で、この町の教会関係施設で、クネシア村にまつわる有力な情報はあったのか?

 前に聞いた話では、グレコでも聞いたことすらない、と言っていたけれど」

「ああ、その不審人物――女性の声で不思議な訛りをしていた、のだっけ? その人の言っていたクネシア村。確かに存在はするようだよ。

 なにせ、軽く聞いただけで、どこでそれを聞いたのかとすごい剣幕で問い詰められたくらいだ」


 やっぱり、普通の村ではないようだ。


「そんな風だからさ、なんか俄然やる気がでちゃって、いろいろ調べたんだ。

 それでやっと拾えた単語が、”聖なる村”という名称。

 どうも、知っている人達は、クネシア村ではなく聖なる村、と呼んでいるらしい」


 グレコはそう言ってから、珍しく少し困った顔をする。


「ただ、どうしてもそれ以上の事が出てこないんだ。

 いくら文献を漁っても、クネシア村の何が特別なのかは分からず。

 とはいえ人にこれ以上を聞いたら、間違いなく疑われるだろうからね。

 下手を打ったら、これだよ」


 そう言って自分の首を手刀でトンと打つ。


「いやまさか、神に仕える教会がそんなことする!?」

「そ、そうだよ。グレコ君、それは言い過ぎだよ」


 驚く僕に続いて、両手でカップを持って控えめにお茶を飲んでいたマイまでが、グレコのあんまりな言いようにたしなめる。


「いやぁ、教会と言ったって、人間の集まりだからね?聞いて欲しくないこと、知って欲しくないことを知られたら、どうなるか分からないよ?

 そういった事は、隠していても調べていれば出てくるものだよ」


 そう言って悠然と微笑んでいるわが友。

 この男に興味を持たれる事だけは、本当に避けなくてはならない。


「わかった。いろいろ調べてくれてありがとう。

 しかし、場所も分からないとなると、行き詰まってしまうな。

 どうしようかな」

「あ、それなら大丈夫。

 僕も、いちおう仕掛けはしておいたから」


 状況を聞く限り、そんな仕掛けをするなんて無理じゃないの?

 少なからずびっくりしてしまった。


「村なんだからさ、人がいるはずじゃない? 隠された場所でも、教会の領地である以上、交流が全くないはずがない。場所もこの辺のはずだしね。

 特に物資は、村単体で全てを賄うことはできない。必ず、物資の集積するこの町を起点にして定期的に卸しているはず。それもとても安価でか、もしくは無料で。

 だから物資とお金の流れ、あとは行き先と地図。

 教会にある資料を調べて照らし合わせ、なんとなく場所の目星はついたんだ」


 さすが、教会の経理を一手に管理している父親を持つ男。

 おそらく普通では見られない資料を見させてもらったのだろう。


「この町から徒歩で五、六日くらいの辺鄙な場所にある村。

 おそらくそこが、目的のクネシア村と見たね」

「ありがとう、助かるよ!

 それじゃあ、僕とミカーラでそこに行って……」

「ちょっと待って、ジン。何があるかも分からない場所にいきなり乗り込んでも、大した成果を得ることはできないよ。

 まあ待ちなよ。ここまで来たら、僕だって興味は津々さ。

 ちゃんと潜入する方法だって考えてあるよ」


 そういって、悪戯っぽく笑うグレコ。

 でもなんだろうちょっと怖い……とか思ってしまった。


「そ、れはありがとう。

 で、どうやって潜入するの?」


 そう問う僕に、その悪そうな笑顔を深めたグレコ。

 あろうことか、こう言ったのだ。


「うん。それなんだけどさ。

 じつは、マイにちょっと体験入村してきてもらおうと思って、手続きをしておいたんだよ。

 よろしくね、マイ」

「ひゃいっ!?」


 普段から大人しいマイにしては珍しく、悲鳴に似た大きな声が店に響き渡った。

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