【28話】天使の受肉

 え?


 その衝撃的な情景を、僕は現実として受け止められない。


 あれは、なんだ?

 なんでフローラの背中から金属が生えているんだ?

 なんでフローラの目の前に変な男がいるんだ?

 なんでフローラはあんなに赤い服を着ているんだ?


「うわああああああ!!」


 僕は喚き声を上げながら、フローラの周囲に群がる堕人たちに跳びかかった。


 何がなんだかわからない。

 堕人を切り払い、伸びてくる腕を掻い潜り、蹴とばしてフローラから遠ざける。

 とにかく、フローラの側から、変な奴を追い払わないと。

 なんなんだ、こいつらは。


「主様!」


 光の刃を縦横無尽に走らせながら、ミカが近寄って来る。

 元々ミカが居た場所は辺り一面黒く染まり、そこかしこに堕人が倒れていた。

 それでも堕人は多数残っている。

 いやむしろ、最初よりも増えていないか?

 次々に集まってきているように見える。


 ミカが壁になってくれたお陰で、フローラの様子を見る余裕ができた。


 真っ青な顔をしたフローラは、苦し気に口を動かしているが、上手く呼吸ができていなさそうだ。

 胸元を見ると、右胸に小剣ショートソードが突き立っており、背中まで貫通している。抜いたら失血死確実なので、動かすこともできない。

 場所的に心臓を直接貫いたわけではなさそうだが、肺近くの気道を傷つけているようで、呼吸のたびに口の端から血が零れる。


 なにもできない。


 顔から血が引くのが感じられる。

 視野が狭まり、周囲が良く見えない。

 己の無力感に、喪失感に、呼吸もうまくできない。


 肩に手を置いて、何かが僕を引っ張る。

 邪魔だろう、何をするんだ。

 目の前に割り込んで来ようとする奴もいた。

 それらは、次の瞬間には光の刃で斬られ、あるいは吹き飛ばされていた。


 顔を上げると、ミカが僕とフローラを護りながら、その圧倒的力で堕人を退けるのが見える。

 しかし、いかんせん素早い動きと想定外の行動、なにより数の多さから、それらの接近を完全に阻むのは難しいようだ。


 うるさい。

 このままでは、フローラの様子を見ることすらもできないではないか。


『堕人どもぉぉぉ!!』


 なんで邪魔をするのか。

 なんでフローラを傷つけようとするのか。


『僕の言葉が聞こえる堕人は、ここから崖に向かって跳びおりろ!

 今すぐだ!』


 全霊を言霊に籠め、『使役』の奇跡を発動する。


 その言葉を受けた堕人達は、ぴくりと動きを一瞬止めて、我先にと走り始める。

 それはさながら伝承にある集団で海に飛び込む鼠のように、次々と崖に向かい飛び込んで行った。


***


 瞳に力を失ったフローラは、それでも僕の方を見た。

 苦し気に呼吸をしようとして、力なく咳をする。

 ミカが治癒の力を使い光のまゆに包んでくれているが、それでもあまり楽になったようには見えない。


「主様、申し訳ございませんでした。

 私がついて居ながら、このような……」


 悄然としてミカが謝罪する。

 あれだけの数の敵、それも遮蔽物の多い地形に人間離れした動き。ミカの行動を縛る要素は他にもあり、数え上げたらきりがない。

 だから、ミカの責任ではない事は、頭ではわかっている。


 それでも、傷心のミカの心を癒すような言葉が出てこない。

 つい、ミカがもっと頑張ってくれれば、などと考えてしまう。

 違うのに。頭では分かっているのに。


 そもそも、僕は自分の身の安全などに気を配り過ぎていた。

 もっと、身を捨ててフローラを護りに行かなければならなかった。

 責任を問うならば、僕自身に対して問うべきなのに。


 ――悔しい。


 光のまゆに包まれながらも、刻一刻と弱っているのが分かるフローラを見て、僕はぼろぼろと涙を流す。


「――ミカ。

 ミカの治癒の力で、フローラを治すことはできないの……?」


 わかってる。

 できるなら、とっくにやってくれている。


「……申し訳ございません、主様。

 これほどの傷となると、私では力不足です……。

 まして、血が流れ過ぎました。これを癒すならば、奇跡としての『治癒』が必要となります……」


 奇跡。僕が授かったのは、『認知』と『使役』の奇跡。

 どう間違っても、治癒には適さない。


 悄然とうなだれるミカ。

 僕はフローラに視線を戻して、涙を流し続けるしかなかった。


「……治すには『治癒』の奇跡が必要となりますが、延命であれば……あるいは、手がないこともございません」


 ミカが、非常に言いづらそうに話し始めた。


「どういうこと!?

 フローラを生き延びさせることができるの!?」

「……私は精霊体で、これは仮初の身体です。

 私が彼女自身に降霊して彼女の霊魂を保護し、受肉して肉体を維持することで、効率的に肉体の保持が可能です。

 いずれは本格的に治癒を受ける必要がございますが、時間稼ぎならば……」

「なら、なんでそれをやってくれなかったの?

 何か問題があるの!?」


 その僕の切迫した視線を受けて、ミカは目を伏せた。

 しかし、言い淀みながらも、ミカは話を続けてくれた。


「本来、天使は人間への降霊を固く禁じられております。

 なぜ禁じられているのか、その理由までは存じませんが、かなり強い禁忌タブーとされているのです」


 だからこれほどまでに、言い辛そうにしていたのか。

 知り得ない弊害リスクを覚悟で禁忌を破る必要がある。本来なら、絶対に取らないであろう選択肢。


 だけど。いまは。


「頼む! ミカ、頼みます!

 フローラを、フローラを生かして欲しい!

 希望を繋いでくれないだろうか! お願いします!」


 僕は地面に頭をつけて懇願する。

 冷静に考えれば、涙で地面を濡らしながら頭を下げ続ける僕を見てミカが断れるはずもない。強要しているのと同じだ。

 しかし、今の僕は完全に冷静さを失っており、必死に縋るしかなった。


 諦めたように一息ついて、ミカは吹っ切ったような明るい声で僕に言った。


「……そうですね。承知いたしました。

 それでは、これから人体降臨と受肉を開始致します。

 ご主人様には、少し下がってお待ちいただきたく、お願い申し上げます」


 僕は頭を上げ、数歩だけ後ずさる。


 ミカは目を閉じて集中し、全身から光が漏れ出て、身体の輪郭がぼやける。

 まるで体内に納めていた光の粒が弾けたように漏れ出てきて、それと一緒にフローラを包む光の繭の輝きが増した。


 そのふたつの光が柔らかくつながり、やがて一つの光の球になる。


 表面が淡い虹色に煌めき、強く輝いて目を空けていられなくなり閉じるけれど、それでも目蓋を透過して光が届くかのよう。

 腕で目を隠して庇い――唐突に明るさが落ち着いた。


 徐々に人型に収束して行く光。


 それが落ち着くと、なかから出てきたのは――


 ふわり、と身体を覆う長い髪がなびく。

 自身の光を反射し、淡く煌めくその髪の色は、フローラの赤褐色でも、ミカのプラチナブロンドでもない。

 薄く輝くような赤みがかった金色――ストロベリーブロンド、と言う色だったか。

 直毛ストレートのミカでも、ウェーブのかかったフローラでもなく、緩やかに波打つ。


 顔も、理知的な美貌のミカとも、勝気な中に可愛らしさを含んだフローラとも違う、しかし両者の面影を持つような、少し吊り上がり気味の目に整った顔立ちの美しい少女がいた。


 肌は白く滑らかで、その身体は女性として成熟していて――て、あれ?

 何も身に纏っていない!?


「ミカ、服! 服を着てくれ!」


 あわてて目を抑えて叫ぶ。


「ミカ……ミカ? わたしは……ミカ……フロー…ラ……?

 わたしは……誰?」

「いいから、服! 服を着て!」


 まるで起き抜けで寝惚けているかのような彼女の語り口調とその様子に、フローラの命の危険を感じて動揺した僕の心は徐々に落ち着いて行った。


***


「……記憶の整理がうまくつかないわよ……ですが、なんとか落ち着いて……くるわけないじゃない……です」


 いつもの神官服をどこからともなく取り出したミカ(仮)は素早くそれを着て、近くにあった汚れていない石に座って話始めた。


「その……ミカは受肉に成功したの?

 禁じられていた、と言っていたけど、おかしなところはない?」

「わたしは……ミカなのかしら……ピンと来ないけど、受肉は成功した……わよ。

 ただ……記憶が混濁して……うまく喋れない」

「そう、少し休まないとね。

 でも、ここで休むわけにはいかないしなあ。

 ごめんだけど、いったん外にでて、山の中で野宿する、でいいかな?」


 寝起きのようなとろんとした表情でこちらを見てから、ゆっくりとうなずいた。


「ただ……わたしは、ミカでも、フローラでもなくなった……

 どうしましょう……」

「名前の話? うーん、何て呼べば良いかなあ」


 正直、今は呼び名の事はどうでもいいから、ここを出て落ち着こうと言いたい。

 でも彼女にとって呼び方は重要らしく、顎に手を当てて、眠そうに一生懸命考えている。


「わかった……。

 わたしの……ことは、ミカーラ、と呼んで……ちょうだい……ください。

 いい……ね?」


 ミカーラ。二人の名前を無理やりくっつけたような折衷案のような名前はどうかと思ったが、彼女としてはもうそれに決まっているようだ。


「わたし……は、ミカーラ。

 これから……よろしく……ね? ジン!」


 



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