【27話】堕人
廃墟の窓から差し込んできた曙光が僕のまぶたに掛かる。
窓からは涼やかな風が吹き込み、意識が夢の世界から引き戻される。
上体を起すと、身体の節々の痛みが感じられる。
ひとつ頭を振り、横に視線を移動すると、未だ寝たままの幼馴染の気持ちよさそうな寝顔がそこにある。
朝だ。
昨晩、何か言い様もない恐怖に囚われて部屋で丸くなっていたのが嘘のように気持ちが軽かった。
ミカの方に目を向けると、その白い横顔を朝日に照らされながら廃墟に似合わない微笑みで僕を見返してくれる。
「主様、良くお休みになれたようで何よりです。
何事もなく夜を明かすことができました」
良かった、変なことは起こらずに朝を迎えることができたようだ。
フローラを起して、簡単な朝食をとって、帰る方角を確認して。
宿坊に戻ってから、また仕切り直せばいい。
そうしたら、この廃都のことは、笑い話だ。
僕はそう考えると、昨晩は何か大したことないものに怯えていたように思えてきて、思わずクスリと笑ってしまった。
***
「わあー! なんて広いの!?
空と森が遠くで霞んで交じり合って……あの先はどうなっているのかしら!?」
昨晩は疲労で暗い表情だったフローラも、この景色を前にして普段は勝気な眉を緩め目を輝かせ、とても喜んでくれた。
景色を良く見せるために人の腰高くらいまで低くなっている壁から乗り出すようにして遠くを見ようとしているのは、見ていて危なっかしいけれど。
展望広場、とでも言えばいいのだろうか。
崖から遠く景色を臨める石畳敷きの広場から、僕達は街の外を遠く見渡していた。
「フローラ、あの先もずっと同じように地表が続いている。
天と地が交わることはない、目の錯覚だ」
「なによー。いいじゃない、そう見えるのだから。
じゃあさ、あの先でさ、どれくらい空と丘が近づくのかな?
やっぱり虹が橋みたいになって、そこを昇って行くのかなぁ?」
「いや、天と地は近づかず、離れたままだ。
そして虹は光の屈曲に伴う幻想だ、決して触ることすらもできない」
「えー? あれって幻なの?
じゃあさ……」
この雄大な景色を前に、二人で楽しそうに会話が弾んでいた。
どこかミカに対して厳しい対応を取るフローラにしては珍しい。
フローラが満足するまで、もう少しここで景色を楽しんでから出発すればいいかな。
二人の様子を見て自然と頬が緩んだ僕は、広場から街側を見渡して――
あれ?
一瞬、何かと目が合った気がした。
いやいやいや、そんなことはあるはずがない。
待てよ、でも壁を伝える獣類なら居る可能性はあるのか。
それくらいなら、姿さえ見えれば『使役』を使って危険性を排除することも可能だろう。
二人の少女の楽し気な声を背に、僕は少し街の方へ向かい歩いてみる。
どんな獣かも分からないので、慎重に、ゆっくりと。
あの建物の陰に、目だけ見えた気がしたんだ。
少し黄色がかった、大きな目――!?
物陰から再び見えるその目、そして近づくことでようやく見えるその
建物の影に隠れていたせいで黒く見えたと思っていたが、違う。
人の形をしたそれは、青黒い肌に覆われていて――
「鬼人!?」
驚きのあまりに、思わず僕は叫んでしまった。
その姿は、あの伯爵の城館で見た、あの全身鎧の中に入っていた、あの。
僕の叫び声に、目の前にいた鬼人のような存在は金切声を上げた。
金属に爪を立てて擦るような、耳障りな甲高い叫び声。
聞いただけで頭の芯が痺れたようになり、ふらつきながら耳を塞いでかばう。
その鬼人のような存在は立ち上がり、僕と正対する。
背中を少し丸め、首を前に出して両手をだらりと下げたその様子は、鬼人というよりも大型の猿のようだ。
そうだ、
キイイィィィエエエェェェ!!
ふたたび目の前のソレが金切声を上げる。
それと同時に目の前の建物がひとまわり大きくなった。
いや、違う、屋根から、窓から、裏手から。
次々とそれらが出て来た。
目の前の建物だけじゃない。
そこらの建物の陰から、屋根から、扉から、次々に湧いて出る。
一体、何体いるんだ、こいつらは!?
そして僕の目の前にいたソレは、金切声を上げながら走り出す。
僕は呆然とそれを眺めて――
次の瞬間、目の前が真っ白に染まった。
頭が追い付かない。何が起こったと言うのか。
突然の視界の消失に
その場から逃げようと足を動かすが、強張りうまく動かせずに転んでしまう。
慌てて顔を上げた僕の視界はようやく光を取り戻し、そこには光の翼を開き一人で数多のソレらと戦うミカの姿があった。
「ミカ! こいつらは一体なんなんだ!?」
「分かりません! この間、遭遇した鬼人と呼ばれた存在に近い物を感じますが、あれらよりはかなり劣ります。
しかし頑丈であるのと、そしてこの数が……!」
ソレらは、完全に人間というより獣のような動きをする。
姿勢を低くし、両手を地につけ四つ足に近い姿勢を取る。
それにも関わらず、中には
その浅黒い肌、理性が抜けた表情に濁った黄色い目。
そんなのが金切声を上げながら、物凄い数で襲ってくるのだ。おそらく百では効かない。二百以上は居るのではないか。
あんな数……どうしろと言うのか。
僕は奇跡を授かったからまだしもだけど……奇跡……奇跡?
はっとしてフローラの方を見る。
怯え、顔を青くしたフローラは、先ほどの展望の壁に寄りかかり、動けずにいた。
近寄ろうとするソレらは的確にミカが斬っているのだが、しかし一度気絶してもしばらくすると起き上がって来る。
「フローラ!」
僕は叫び、護身の短剣を抜きながらフローラの側へ駆け寄った。
青い顔をしたフローラを背に隠す。
向こう側ではミカが
霊体への直接攻撃に耐性があるようで、ミカは止む無く手近な個体に対して直接切断で対抗し、周辺がどす黒い地で染められていた。
それでもソレらは減らない。
いや、より多く集まってきているようにも感じる。
僕は、人間を遥かに超える身体能力を持ち襲い来るソレらを捌きながら、その本質の認知を試みた。
衝動。情動。食欲。破壊。憎悪。独占。排撃。殺意。
ろくなイメージがつかめない。
つまり、これらは自然から生まれたものではなく、歪な生まれであるため僕の理解の範疇を越えていると言うこと。人間に本質は理解できない。
ただ、それでも引っ張れた情報として、これらは『
元は人間で、なんらかの外的な力により今の姿になってしまったこと。
そして、魂が既に変質しており、二度と元に戻すことはできないこと。
言いたくはないが、もう殺すしか、堕人を止める方法がない。
だけど、これらを斬りつけるには抵抗がある。
とにかく、今はフローラを護らなくては……!
堕人達の猛攻撃を捌く。
認知の力で動きを見切り最小限の動きで対応できるが、とにかく数が多い。
身体が疲労し、汗が流れ落ちる。
そして、その一粒の汗が、僕の目に入った。
目に沁みて咄嗟に庇う。
その隙をついて襲って来る堕人、その手に持つ錆びたナイフを振り下ろし、僕はかろうじてそれを撥ね退けた。しかしバランスを崩してふらつく。
奇声を上げながら堕人は体当たりをかけ、防ぎながらも僕はよろける。
体勢を崩した僕を目掛けて堕人はナイフを振り上げた。
更に別の堕人たちが僕の周囲を囲む。
腰を落としながら僕は認知で攻撃の軌跡を読み、逃げようとするが――疲労で重くなった体はうまく動かない。
身体を丸め、受けて立とうとした次の瞬間、大きな光の刃が斜めに振り下ろされ、堕人達が弾かれた。もちろん、ミカの刃だ。
そうしてようやく僕は周囲の視界を取り戻して――
――その僕の視界に、胸部を錆びた
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