【26話】山中の廃都

 既に太陽は天頂を過ぎていた。


 樹々が鬱蒼うっそうと生い茂るこの樹海では、日中も日差しは地面まであまり届かず、僕達は薄暗く湿った空気の中を黙々と歩き続ける。

 幸いと言うべきか、ミカが展開する光のもやに包まれたジンとフローラは周囲がほの明るく照らし出され、また緑の臭いにむせ返るような周囲の空気とは無縁の清涼な風を受けることができた。


「ジン、そろそろ諦めて帰った方がいいんじゃないの?」

「ごめんフローラ。既に帰りたいと思っているのだけど、完全に道を見失った」

「では、私が空から地形を見渡してきましょうか?」

「それは本当に最期の手段だよ、ミカ。

 その光る翼は、かなり遠くからでも人目を引いてしまうからね」

「そうは言っても、早朝から歩き続けて、さすがに疲れたわよ……」

「では、光を最大限に絞った翼で木の上まで行って、周囲を見渡してきますね」


 僕達は迷子になっていた。


 グレコとマイがミンザール修道会に体験入会するために出て行った後、霊峰にあるはずの修道院に潜入する前準備として偵察に森から分け入ってみたのだけど……。

 何故か方向感覚が狂ってしまい、一刻2時間もしないうちに完全に道を見失って、それ以降はひたすら森の中を彷徨っている。


 周囲を見渡しても目印はない。

 このままだと陽が落ちて、周囲を見渡すことも困難になるかも知れない。

 そろそろ、他者から見られる危険リスクを承知で、ミカを使って帰還することを考えないといけないかな――そんなことを考えていたところで、ミカの声が聞こえた。


「主様! どうやら森から抜けられそうです。

 それと、森を出て歩いた先の山肌沿いに、どうやら街があるようですよ」


 それは、まさに天使の導きに他ならなかった。この時の僕には。


***


「なによここ、気持ち悪いわね……」


 ミカが見つけた街に辿り着いた時には既に日は暮れ、辺りは赤く照らし出されていた。

 街は急勾配の崖際に山道を塞ぐように建てられ、その石造りの堅牢な門は全てを拒絶するかのように屹立する。軍隊を相手にしてなお揺るがなさそうな武骨な外壁に囲われており、街と言うよりも山塞という印象を受ける。


 だけど、来るものを拒絶するようなその厳しい外観よりも先に考えなくてはならない問題がある。

 その街は既に捨てられた街。つまり廃都であるようなのだ。


 目の前の門扉は大きく閉ざされ、しかし誰何をする役人も、警護する兵も見当たらない。手入れをしていないであろう外壁は汚れて黒ずみ、蔦性植物に覆われ苔むしている。


 その様子を見て思わず気持ち悪いとフローラが零したが、これから夜を迎えようとしている今、この過去に死んだ街の亡骸のような場所は、確かに見ていて気持ち悪い。


 僕達はできるだけ外から見えない場所を選んで、ミカに壁内へ空から運んでもらう。街の中は閑散としており、街門から続く無人の大通りの両側に廃墟と化した店が軒を連ねる。


 門から見て左手側には街の展望台と思しき石畳が敷かれた広場があり、崖から樹海を見通すような雄大な景色が広がっていた。その奥には今にも地平線に沈もうとしている茜色の夕暮れと真っ赤な太陽が見え、まるで樹海を灼いているかのように赤く抜染め上げていた。


「どこか不気味な場所だけれど、仕方がないから今日はここで野宿しよう。

 明日、宿坊に戻って作戦を練り直して――て、どうしたの、ミカ?」

「いえ、何か……どうもおかしな雰囲気を感じるのです。

 ですが、この霊峰から流れ出る強い霊気のせいか、どうも気配を感じ辛いと申しましょうか。正直を申しまして、何をおかしいと感じているのかが、自分でも良く分からないのです」


 そう言って眉をひそめるミカ。

 珍しいと思ったものの、では今から街を出て帰るのかと言われれば、それは選べないだろう。

 この外壁に囲まれて外から隔絶された場所ならば、害獣なども侵入できない。廃墟の場所を拝借すれば、夜露だって凌げるのだ。


「なら、今晩だけここで野宿して、明日の早朝には宿坊に向けて出発しよう。

 あの展望できる広場から見れば、きっと何かがつかめるはずだよ」


 その僕の言葉に不得要領ながらもうなずくミカ。

 フローラは疲れ切った表情をして、既に寝床を探しに歩き出していた。


***


 夜。


 僕が目を覚ますと、規則正しい寝息が耳に届く。

 近くではフローラの安らいだ寝顔が見えた。


 まだ寒さの残る季節、僕は用を足しに起き上がる。

 入り口に目を向けるとぼんやりと淡く光る人影。


「ミカ、ごめんね、見張りを任せてしまって」

「いえ、お気遣いなく。

 私は休まなくても平気ですし、主様たちには明日のために体力を回復していただく必要がありますから」


 そう言うミカの表情は厳しさを残していた。


「やっぱり変な気配を感じる?」

「はい、どこか……嫌な雰囲気を感じます。

 ですが、やはりこの霊峰では感覚を鋭く保つことが難しく、追い切れません。

 申し訳ございません」


 とんでもないよ、ありがとう、とミカに礼を言いつつ、少し用を足してくると言って部屋を出る。

 さすがについて来てもらっても困るから、ミカから聖火と呼ばれる拳大のふわふわした光のかたまりを受け取って一人で部屋を出た。

 聖火は何かあった場合には僕を守護する働きがあり、かつミカにもその様子が伝わるそうだ。さらに今は光で周囲が見渡せるというありがたい効果もある。


 肌を冷やす空気を感じながら、僕は廊下を進んだ少し先にある小部屋に入る。

 目の前でふわふわと光る聖火を眺めながら、廃墟で一人で居ることに対して急に心細さを感じた。

 そのせいなのか、それともミカの様子に感化されたのか。

 たかも周囲に何かがいて、僕を観察しているような不安な気持ちになってしまい、離れてくれない。


 かさり。


 そんな音がしたような気がする。

 本当に気のせいだろうか?


 急に恐ろしくなり、僕は目的を達してから足早にミカが守護する部屋へと急いだ。


 僕はまだ知らない。


 僕達は遠くから見られ、集まって、そして取り囲まれていることに。

 あれらは息を潜め、機をうかがい、時を待っていることに。

 そして既にどう動いても未来は変わらない状況に陥っていることに。


 僕はまだ、知らなかった。

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