【第3章】教会の闇

【25話】霊峰の麓にて

 霊峰ハルカドゥーサは、リタハール帝国のほぼ中央にあって、近辺の山々よりも一際高くそびえ立つ。

 その姿は他の山々と異なり青白く、その周辺の霊気は強く、霊感の乏しい凡人でも神聖な雰囲気を感じると言われている。

 それ故の霊峰と呼ばれているのだ。


 今では周辺諸国を併呑し帝国を名乗っているリタハールも、古くはこのハルカドゥーサの周辺にあった一王国であったとされる。同時に、帝国の国教であるガーナエデン教会も、このハルカドゥーサの山麓が発祥の地である。


 霊峰ハルカドゥーサ、その麓を囲むように覆う樹林は力強い生命力に満ち満ちて、その中を通る林道を進む僕達にむせるような濃密な緑の空気を振る舞ってくれた。


「ああ、気持ち良いですね!」


 珍しくミカが嬉しそうに言った。


「やはり、霊峰ハルカドゥーサと言われるだけあって、神様の恩恵にあずかっているのかなぁ?」

「いえ、神とは関係ありませんよ。

 ここは霊脈の出口になりまして、地下から霊気が噴き上げて来るのです。

 これほど濃密な霊気、浴びているととても気持ちが満たされます!」


 教会関係者が聞いたら目を剝きそうなことをさらりと言う天使。


「に、しても……ここも、やっぱり封鎖されているのね。

 地図も曖昧なものしか入手できないし、読み解いてもどこも入山できないなんて、いったい何を隠しているのかしら」


 険しい顔をしたフローラが、少し先で分岐し登り方向に向かう林道のその先にそびえる堅牢な白い石造りの砦を見て溜息をつく。


 季節は春。


 クファール村を出ておよそ四か月、厳しい冬を抜け辿り着いた霊峰ハルカドゥーサ。しかし、僕達が入山することを拒むようにあちらこちらで封じられていた。


「これで概ね一周したけれど、入山するための道はたぶん全部閉ざされていることを確認できたのが唯一の収穫、ということか。

 数日かけてこの成果は、分かってはいたけどやっぱり徒労感があるなあ」

「ですから、私が上空から見てくれば良かったのですよ」

「いや、ミカが空を飛んでいたら目立つから禁止しよう、と決めたでしょ?

 そうでなくともミカの光輝く翼は人目を引くのだから」


 天使の象徴とも言える翼の使用を禁じられ、いたく不満なミカは、頬をぷぅと膨らませている。


「ちょうど一周したのだから、もうじき戻れるよ。

 暖かくなってきたとは言えこう野宿が続くのも疲れるし、今日はゆっくりしよう」


 そんなミカに笑いかけながら、僕達三人は林道の先を急いだ。


***


「やあ、おかえり。どうだった?」


 霊峰ハルカドゥーサからほど近い小さな街ヤオトゥにある小さな教会。

 その裏手にある宿坊に僕達が戻ると、魔術学園時代の旧友がのんびりとした声で僕達を迎えてくれた。


「ただいま、グレコ、マイ。君達が教えてくれた通りだったよ。

 ハルカドゥーサへ入山する経路ルートは全て封鎖されている。

 やっぱり普通の手段では『天の階あまのきざはし』に辿り着けそうもないや」

「そりゃ、そうだよ。

 天の階あまのきざはしは、聖女メフェをはじめ昔から教会の人たちが神に祈りを捧げてきた場所なんだから、ジン君やフローラちゃんが入れるような場所じゃないんだよ?」


 僕の呟きに、マイが答えてくれた。


「わかっているわよ、マイ。

 神官見習いのグレコとマイでも場所すら分からないところに、あたしたちが行けるはずがない。それでもジンが神様と話をしたいといって、一番現実的な場所がそこしか思いつかないのだから、仕方ないのよ」

「うん、それはわかっている。

 ボクもね、ツテを使っていろいろ聞いてみたんだけどね、天の階あまのきざはしがどこにあるか、とか、どうしたら使用できるのか、そういった情報は今のところ得られていない」


 グレコはそう言って、一息ついて目の前のお茶を一口すする。

 何かを考えるようにして視線を落とし、そのままおもむろに口を開いた。


「実はね、いろいろ調べているうちに気になる話を聞いたんだ。

 旧世代の教会の施設や所領は、ミンザール派が管理している、という話だ」

「ミンザール派?」

「ジンやフローラは知らないだろうね。

 正しくは″ミンザール修道会派″と呼ばれる教会内部の派閥だよ。

 今の教会は、大きく分けて″大衆啓蒙派″と″ミンザール派″の二つに分けられると言ってもいいんだ」


 そう前置きしてから、グレコは教会内のこの二大派閥について教えてくれた。


 まず、教会の主流派は、「大衆啓蒙派」と呼ばれている。

 教会は人の間に在って大衆を導くべし、という思想の下、司教区という区分をつくり教会組織を構築している。


 対して、個人の祈りと神への献身を旨としているのがミンザール修道会と呼ばれる一派だ。こちらに所属する信者は、厳格な宗教的生活を求められ、喜捨と祈り、そして修身と呼ばれる修行に明け暮れているとされ、やや排他的とも言われている。


 大衆啓蒙派とミンザール派は互いに嫌い合っていると言うのがもっぱらの話で、二派は同席せず、などと揶揄されていた。

 では大多数を占める大衆派がミンザール派を力づくで排除しない理由は何かと言うと、ミンザール派は純粋な祈りを捧げることにより治癒の秘蹟を行えると言われているためらしい。それも、実際に結果を伴う秘蹟が。


 大衆啓蒙派は、だからミンザール派から治癒の秘蹟を行える神官を派遣してもらい、派閥を隠し神の奇跡として大衆に施術を行う。

 ミンザール派はその対価として存続に口を出さない事と、運営費を受け取っていると言うのだ。

 故に「二派は同席せず」と言われつつも、協業しなくてはならないという互いに屈辱の互恵関係が育まれているわけだ。


「そんなわけで、神への祈りを活動の中心に据えているミンザール派は、この霊峰ハルカドゥーサを活動の拠点としている。

 大衆啓蒙派は大都市が活動拠点だから、うまく棲み分けができているわけだね。


 ――とすると、このミンザール派が活動している拠点ホームであるミンザール修道会こそが、『天の階あまのきざはし』が在る場所なのではないかと思うんだ」


 そう言ってグレコは再びお茶を飲む。


 なるほど、理屈は分かった。

 けど、そんな修道会に設備を使用させて欲しいと交渉するなんて非現実的に思える。

 困惑している僕を見ながら、何故か目を輝かせるグレコ。


「そんな面白い場所があるなんてしらなかったよ。

 だからボクがミンザール修道会にちょっと行って、移籍してみようかと思うんだ」


 とてもいい笑顔でグレコがそう言うと同時に、何か固いものが割れる音がした。

 振り向くと、持っていた茶器を落としその砕け散った破片が床に散らばるのをそのままに、泣きそうに悲しそうに佇んでいるマイがそこにいた。


***


「それで、どうするの?

 グレコ達がミンザール修道会とやらに参加して情報を持ってくるのを大人しく待つの?」


 その夜、ミカとフローラと相談のため三人でお茶を入れてテーブルにつくと、まずフローラが僕に聞いて来た。


「いや、グレコは好奇心でミンザール派に入ると言っているだけで、そもそも入れる保証もない。

 ミンザール派は排他的と言っていたし、仮に入れたとしても情報をすんなり開示してくれるとも思いずらい。

 だから、グレコとマイがミンザールに潜入するのはそれとして、僕達もミンザールに忍び込む必要があると思うんだ」

「主様、グレコと一緒にマイも行くのですか?

 あんなに悲しそうにしていたのに」

「マイは、グレコの付き人になるよう父親に言われていて、逆らえないからね。少し可哀想だけど」

「マイはあれで望んでやっているからいいのよ。馬鹿な男は、近くの女の気持ちなんか気にもしないんだから」


 何故かフローラまで一緒に怒っている。


「で、結局、どうするの?

 どうせ、あんたのことだから、もう決めているんでしょ?」


 フローラが半眼で睨み付けてくる。


 なんだ、もうバレているなら、話は早い。

 僕はニヤリと笑いながら、二人に話し始める。


「ミカの話だと、天の階あまのきざはしを無断で使っても神罰は下りそうもないし。

 ちょっとした冒険をしてみるのも悪くはないよね、きっと?」

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