【16話】帰郷の途中で(後編)

 当たり前だけど、生まれて初めて空を飛んだ。


 物凄い勢いで、前方にあった景色が後方に流れて行く。

 それほど高速で飛んでいるのに、風の当たりが柔らかい。

 心地好い程度の爽やかな空気が、身体を通り過ぎて行くのを感じる。


 ――ただ、下を見ると全てが豆粒のように小さくて、この高さを意識してしまうと全身が痺れたような恐怖を感じる。

 しかし、背中に感じられる天使の膨らみが僕の心を天界へと誘う。


 前方の地獄、後方の天国。

 僕の精神は果たして持つだろうか。


「主様、どうかなされましたか?」


 耳元でミカが囁く。

 僕の真後ろで囁やくから生暖かい吐息が耳の後ろにかかり、背筋に何かが走ったような感覚を覚える。


 いけない、いけない。


 改めて前方を見据える。

 空中を高速で移動しているのにも関わらず、ほとんど風を感じない。

 前方を視えない壁のようなもので護っているのだろうか? おかげでミカの囁きも邪魔されずに肌で――いや、だから駄目って。余計なことに思いが行かないように他のことを考えようとしたのに。


「いや、何でもないよ。初めて空を飛んだから、ちょっと怖いだけだよ」

「そうですか?」


 そう言うと、ミカは少しだけ速度を落としてくれ、少しだけ風が柔らかくなる。


 そして、やがて。


「主様――目的の城館が見えてまいりました」


 前方には大きく堅牢な石造りの建築物。

 あんなに堅そうな館をどうこうできるものなのか――少し気が遠くなる。


 とても目立つ光翼を広げたミカと抱きかかえられている僕を見て、入り口前に人が集まり始めた。

 こちらを指さしながら、困惑と警戒の表情で、とりあえず正面玄関前に陣取る。


「私が人を退かし、扉を開けます。

 主様は後々騒ぎにならないように、人々の記憶操作をお願いします」


 え?


 突然の依頼に頭が追い付かない。

 しかしそんな僕の困惑などに関係なく、ミカは飛翔速度スピードをほとんど落とすことなく扉に近づいて――


『そこな者達よ、危ないから至急扉の前から退け!

 扉よ、我々を迎え入れるために急ぎ開け!』


 ミカの力ある言霊ことばに、弾かれたように扉の前の人達は左右に飛び退く。

 と同時に、扉が音を立てて開き始めた。

 ――これは無生物とびらに対する『使役』の行使!?


 あれ?

 僕は通過するこの一瞬の間に記憶操作のために必要な文言を考えて、『奇跡』の力を籠めて叫ばなくてはならないのか?


『うわぁ!?

 この声が聞こえる皆、今見聞きした出来事を忘れなさい!?』


 なんとか僕が言霊ちからを放ち終わると同時に、ミカは開いた正面玄関扉に突っ込んだ。


「お見事です、主様!」

「ちょっと!?

 こういうことは事前に言っておいて欲しいんですけど!?」


 そうか。

 ミカと一緒に行動している間は、油断をしてはならないのか。いつ、どのような無茶ぶりが飛んで来るか分からないから。

 ミカは、自分の能力スペックでものを考えるから。

 決して、背中の天国の感覚などに浸っている場合ではないのだ。


 それを悟り、僕が認識を新たにした次の瞬間、ミカが発光した。

 柔らかい光に包まれ、僕は周囲が全く見えなくなった。


「何をやっているの?」

「光を放ち、周囲の者達の目をくらませました。

 これで私達のことを認識することはできません」


 すごい。

 そうか、屋外でこれをやると逆に人目を引くから、屋内に入ってからやったのか。


「でも、子爵様の前についたら光を落とさなきゃいけないでしょ?

 そうしたら見られてしまうよ?」

「この光を外部から見たら、まあ当分は何も見えなくなるくらいの目潰しの効果がありますから、大丈夫ですよ」


 それって無差別攻撃に近くないか?

 何かとんでもない事をしている、この天使ひと


「着きます」


 その言葉と共に減速し、正面の扉を再び『使役』の奇跡ちからで開けて部屋に文字通り飛び込んだ。

 僕達が通り過ぎると、ミカは奇跡ちからで扉を閉ざす。


 執務中だったのだろう、それなりに広い部屋の中、大きく高価そうな机を前にして座る小太りの男の前に降り立った。


「お前がネヴィルカタン子爵だな。

 私はミカ。天使だ」


 空を飛び突然現れた文字通り輝く人外の美しさを持つ女性。

 その背には一際輝く光の翼、その胸にはみすぼらしい子供を抱えている。


 ――意味、分からないよね。


 おそらく困惑の窮みにある子爵に向かい畳みかけるミカ。


『お前はクファール村のジン様を取り調べるように指示したと聞く。

 その指示は即刻取り下げよ。理由はお前が考えよ。不審でなく、自然に命令が取り下げられ、上にも下にも違和感がないように、全力で取り繕え。

 過去に出した指示は誤りであるとして、何事もなかったようにしろ。良いな』


 その力ある言霊ことばを聞いて、子爵はコクコクと頷いた。

 それを見たミカは、初めて満足そうに笑みをこぼす。


『この言葉を聞いている皆、子爵様も含めて、大きな光が飛び込んできたり、空飛ぶ人を見たり、天使を見ちゃったりした人は、全力でそれを忘れて!

 今日起こったことは全部夢だから! 絶対に口外しないようにして!』


 僕はとりあえず目撃証言を封じる。

 おそらく本人に抗う強い意思がない限り、ここまでならなんとか許容範囲だろう。きっと。


 ふぅ、と一息ついた僕にミカは極上の微笑みをくれた。


「主様、後始末フォローいただきまして、ありがとうございます。

 素晴らしい奇跡ちからの使い方ですわ」


 ……今日一日で、どれほど僕は奇跡ちからをつかっただろうか。

 こんなことをしていたら、僕もミカと同じように自然と奇跡ちからを使うように習慣づいてしまいそうだ。


 そんな恐ろしいことを思いながら、はは、と僕は力なく笑った。

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