【第1章】魔術学園

【5話】天使 vs 幼馴染

「完全に月が天頂を過ぎてしまったね……」


 僕が崖に向かうために山道を登ったのは、既にあたりが暗くなってから。

 そこからオウロ達と揉めて、金貸しメラヴェークの所に行って話をつけ、ミカを主従契約を交わしていたわけで、そりゃ夜も遅くなる。


「下宿先の鍵が掛かっているだろうなぁ」


 入れなかったらどうしようか。

 そんな不安もあるけど、一番の不安要素は僕の机の上にある置手紙。

 そこには僕の遺言めいたメッセージが記されていた。そしてそれを彼女が見つけた日には――恐ろしくて想像したくない。


「あそこが僕の下宿先だよ……て、あれ? 扉の前に誰かいる?」


 とある商館の裏手、家族や使用人が使う出入口に立つ小さな影。

 あれは……


「ジンっ! あんた、こんな遅くまで何をやっていたのよっ!」


 夜空に響くような甲高い声。

 緩くウェーブがかかった艶やかな赤褐色の豊かな髪を揺らして、同郷の友人フローラが箒を片手に小走りに駆け寄って来る。

 少しつり上がり気味な目と勝気に見える容貌を気にしている、同い年の僕の幼馴染み。


「あんた、最近、変な奴に付きまとわれてるって言っていたじゃない!

 なのになんでこんな遅くまでほっつき歩いているのよっ!

 危ないじゃないの!!」


 もの凄い剣幕で詰め寄って来る。目尻に涙を浮かべて。

 ……こんな時間まで待っていてくれるほど心配をさせてしまうとは……


「ごめん、心配かけてしまって……」


 そう言いながら足を一歩踏み出した、次の瞬間。


 ――なんだ!?


 身体が動かなくなる。

 体中から、一気に汗が噴き出る。


 暑いからじゃない。

 むしろ、体表は冷たく感じる。

 呼吸が苦しい――うまく息が吸えなくて。


「あんた……後ろの女はだぁれ?」


 フローラの目。

 その視線を受けて、恐怖で硬直している。

 それを悟る。


「名乗りもせずに済まない。

 この家の下女メイドの方か?

 夜分遅くの帰宅となってしまい申し訳ない――ほら、主様もしっかりして下さい」


 そう言って僕の肩を叩くミカ。

 フローラを向くときは謹厳な表情で。僕を向くときは微笑みながら。

 その表情の落差。それをじっと見るフローラ。


「あんた……人が心配してるってのに……何をやってくれてんのよ……?」


 フローラの目が怖い。

 目を逸らすことすら出来ずにどんどん僕の中で恐怖が増す。 


「ごめんなさいっ!」


 全身の力を振り絞って金縛りに抗った僕は、体ごと地面に伏せて全力で謝罪した。


***


「あのヤクザ者の商会に行って、話を付けて来たぁ?」


 夜遅くの食堂ダイニング、フローラはそれでもお茶を入れてくれて、ミカを含む三名で卓を囲んで話をした。

 心配をかけないためにも借用証の改竄かいざんや荒くれ者達の襲撃については曖昧に話しているので少し筋がおかしくなってはいたが、それよりも天使が空から降ってきた方がよほど異常な訳で、話の不自然さはうまく紛れてけれた。

 そんな話を聞きながら、フローラは胡乱な目でミカを見続けた。


「ジン、あんたいくら誤魔化したいからって、つまらない嘘言わないでよ。

 そんな嘘を信じるワケないでしょ?

 あんたも、こいつの出任せに付き合う必要なんかないんだから」


 そう言って、フローラは戸棚から小遣いの財布を取り出した。


「ほら、いくら貰う約束なんだか知らないけど、あたしが出してあげるから。

 あんたも変な塗料ぬって芝居に付き合わなくても帰っていいわよ」


 そう言って、片手でしっしっと払う仕草。

 それを見たミカの眉間に皺が寄る。


 ――やめて! やめて、二人とも! 怖いから!


 がたん! と音を立ててミカが席から立ち上がる。


「それで、アンタはいくらでコイツと付き合ってんの?

 アタシが払ってあげるから、言ってみなさいよ」


 そのミカを半眼で馬鹿にするように見るフローラ。


「私にそのような口を利くとは……知らぬとは恐ろしいものだ」

「何を芝居がかった口きいてんのよ。もう終わってんのよ、その芝居は」


 睨み合う二人。

 生きた心地がしない僕。


 ふう、と軽く息を吐き出したミカ。


「ならばこれを見てもまだ同じ口を利けるか?」


 そう言いざま、光の翼を出す。

 煌めく光の粒子が部屋に飛び散り、微かな光を灯す。

 荘厳なまでの輝きに、何度か見たはずの僕まで息を呑んだ。


「――すごい。なにそれ、新手の魔術?

 凄いじゃない、最近はこんな手の込んだことできるのね!

 でもそれとこれとは別よ? 凄いけど、ジンの邪魔はしないでおいてね?」


 ミカの周囲をまわり眺めながら、まるで臆していないフローラ。

 流石だ。


「我が主様。私はどうすれば彼女に信じてもらえるのでしょう?」


 ミカに会って初めて、彼女が困った表情をするのを見た。

 その周囲を感心しながら眺め歩くフローラに、何と説明すべきか、僕自身が途方に暮れるしかなかった。


***


「――なんだか良く分からないけれど、本当の天使様なのね」


 それから小一時間。

 僕はひたすら、あらゆる角度からミカの存在を説明し、ようやくフローラは態度を軟化した。

 それでも天使に対して尊敬の念を見せるどころか、どこか胡乱な表情で見ているのはどういう訳なのか。


「まあ、いいわ。とりあえず信じてあげるわ。

 それで、この天使様は、どこに泊まるつもりなの?」


 呆れたように、溜息交じりにフローラが聞く。

 そう言えば、ミカがどこに泊まってもらうのかを決めていなかった。


「ん? それはもちろん、主様の部屋で寝泊まりするに決まっているだろう?」


 しれっとした表情で言うミカ。


「いやいや、ちょっと待ってよ!

 僕の部屋に二人なんか寝る場所はないよ!」

「そうよ! あんた何を考えているのよ!

 若い男女が同じ部屋に起居して言い訳ないでしょう!」


 僕とフローラの声が重なる。

 それを聞いたミカは、不思議そうな顔で答える。


「何を言っているのだ、お主らは。

 私は空中に漂うことも出来るから、狭くとも問題ない。

 そもそも私は人間と異なり悠久の時を生きる存在、若くなどないぞ。

 ――ですよ、主様? 私の事は心配しないでください!」


 そう言って、微笑みかけてくるミカ。

 その無邪気とも言える笑顔に、思わず僕は赤面してしまう。

 そしてそれを見ていたフローラは――


「馬鹿言っているんじゃないわよ!

 あんた、人間社会に来たなら人間の慣習に従いなさいよ!

 あんたは私の部屋に泊めてあげるわ、感謝しなさい!?」


 そう言ってミカの腕を掴んで自分の部屋に向かい突き進む。

 手を取られびっくりしたミカは、その手を振り払う訳にも行かずに困ったように僕の方を見て来た。


 そんな彼女に僕は手を振り、暗にフローラに従うよう伝えるのだった。


***


 ――ああ、疲れた。


 今朝、起きた時は、ほぼ絶望の中に居た。

 それは日が暮れ、オウロ達借金取りの目を掠めて崖に向かうまで続く。


 そして空から降ってきたミカ。

 彼女は追ってくる借金取りを一蹴し、相手の本拠地に出向いて借用証の改竄を認めさせ、更に破棄させてくれた。


 最期には、そのすごいミカと僕なんかが主従契約をして。

 本当に、驚き通しの一日だった。


 しかし、その驚きの一日もようやく終わるのだ。

 明日からは、再び学園で勉学に励む日々を送る。

 借金は正しく稼いで返金せねばならないが、魔術を疎かにして赤点を取ればまた同じことになりかねない。

 ……がんばろう。


 一人気持ちを新たにして、見ていた窓の外の星空から視線を移し鎧戸を閉じて眠りにつく。


 そうやって日常の中に回帰する。そう思っていた。

 だけど、それは幻想に過ぎない。


 既にジンの運命の歯車は狂い始めていたのだ。

 じきに嫌でも気づく。これから、その日常が崩れて行くことに……。

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