【3話】襲撃する天使

 メラヴェークの怒号と共に、左右に分かれていた荒くれ達が、文字通り跳び掛かる。

 それを感じたミカは上体を沈め、腰に手をやる。同時に体を捻り、叫んだ。


『ジン、伏せろ!』


 強制力すらも感じるその声に、僕は考えるよりも早く床に身を伏せていた。

 それを視界の端で確認したであろうミカは、右腰に当てた左腕を、まるで舞うかのように大きな弧を描いて振り抜く。

 その動きに合わせてほとばしる光。


 光が跳び掛かる男達の身体を素通りする。

 部屋の中が満たされたかと思うほどの光量が落ち着くと、僕とミカの周囲には力なく倒れ伏す男達の山が出来ていた。


 今この部屋で動けるのは、僕とミカと、怒号と同時に頭を抱えて床に伏していたオウロ、そして――


「死ねやぁっ!!」


 執務机の下に沈み込み、隠していた弩弓クロスボウを構えてミカに向けて撃った!


 空を切る音を立てて一瞬で迫る矢。

 それを振り抜いた右手を軽く振り戻して造作なく弾くミカ。


 だぁん!


 唐突に音を立てて開く扉、その奥からは数名の男達。

 空中に両の掌を包み込むように構え、その中央には青白い鬼火。


 ――まずい、魔術だ!


「「「鬼火よ、火炎の球となりて敵を焼きつくせぇっ!!」」」


 魔術師が一斉に呪文を唱え、それに呼応するかのように三条の火炎球ファイアーボールがミカを狙い宙を走る。


 部屋が燃えても構わないのかっ!?


 僕はその思い切った対応に驚きながら、ミカに迫る三条の炎、相手を追尾する不規則な軌道を描く火炎球を無力に見守り――


 ぱぱんっ


 ミカは軽く手を振ると、三つの火炎球は弾けて消えた。

 ついでに言うと、入り口に立っていた魔術を行使した男達も一緒に倒れている。


「馬鹿めぇ!

 そいつらが止められるなんざ、計算のうちだわ、ぼけぇ!!」


 唐突に張り上げられるメラヴェークの声、そして続けて響く弩弓の射出音。

 ミカはいま、魔術師達と正対している。すなわち、メラヴェークに対してがら空きの背を向けていた。

 僕は咄嗟にミカに背後に駆け寄るために体を動かそうとするが、もちろん間に合わなくて。


「はーはっはっは、この四段構えに攻撃には貴様も堪らないだろ――う――?」


 弩弓から放たれた矢は一筋に飛んでミカの背中に吸い込まれ。

 次の瞬間、目をく光が部屋を覆う。


 光の翼。


 彼女が夜空から降りて来た時に開いていた光がこぼれる翼。

 その翼が、光が、矢を小枝のように弾き飛ばした。


 光の翼を顕わにした天使ミカを見て、メラヴェークは腰を抜かす。


「こんなの、勝てるわけねぇじゃねぇかよ……」


 ミカの力強い声を使わなくとも、老獪な金貸しの意気を挫くのに十分な姿がそこにはあった。


***


「ほらよ。これがおめえの借用証だ。

 これをやるから、後は好きにしな」


 執務机にかけ直したメラヴェークが、不貞腐れたように一片の書類を差し出した。


「これは、書き換えられたものですね。

 本来の借用証はどこにありますか?」


 僕がそう言うと、ちっ、と舌打ちをしてから別のファイルを取り出して、中から書類を抜いて差し出した。


「確認します……はい、間違いないです。

 こちらが僕が借りた時の、本来の借用証です」

「良かったな、これで其方そなたは借金から解放されるぞ」


 微笑みかけてくれるミカ。

 しかし僕は頭を掻きながら、渡された本来の借用証をメラヴェークに返す。


「……いえ。僕がお金を借りたのは事実です。

 借りた分、約束した条件でなら、正しく返済致します」


 ぎょっとするメラヴェーク、怪訝な顔をするミカ。


「無理をすることはないのだぞ?

 其方はこの男から酷い目にあった。慰謝目的で、借金を取り下げるのはおかしな話ではない。

 報復が怖いなら、それをさせないよう魂を縛ることもできる」

「いえ、そんな、魂まで縛っていただく必要はありません。

 そして違うんです、報復とか、義理とか、そんなのではなくて

 ただ、自分で借りたお金の支払いが棒引きになったと喜ぶような自分になるのが嫌なんです。

 借りた物は返す。それが正しい心の在り方。

 僕は父さんからそう教わりました」


 そう言ってからミカの方を向いて、頭を下げる。


「ここまでして貰って、本当にありがたかったです。

 貴女は命の恩人だ。感謝しています。

 そんな貴女の言葉に反するのは心苦しいのですが……ごめんなさい」


 そんな僕を見て、目をぱちくりするミカ。


「いや、そんな、頭を下げることはない。

 其方がそれで良いのなら、もちろんそれで良い」


 そう言って微笑み合う僕とミカ。

 すると、すぐそばでばちん! と何かを叩く音がする。


「ちっ、やってくれたな。

 ジン、お前は、本当に憎たらしい奴だぜ」


 メラヴェークが自分の禿頭を叩きながら言った。

 頭が掌の形に赤くなってる。痛そう。


「お前を見ていると、自分が嫌になるくらい小さく感じられる。

 金輪際、お前を騙すような真似はしねぇ」

「できれば、その、他の債務者も、騙すようなことはしないでいただけますか?」

「そら、お前……」


 そう言って情けない顔を上げたメラヴェークは、ジンの後方でこちらを睨むミカの瞳を見て、全てを諦めた。


「もちろん、決まってンだろ!

 お前みたいな奴を見ちまったら、そんなみみっちい真似、できねーよ!」


 少々やけっぱちに聞こえるが、苦渋の表情でそう言い切った後で、憑きものが落ちたように大笑いを始めた。

 自分の不正に区切りをつけてくれたのなら何よりだ。


「ああ、貸した金は、貸した時の条件できっちり返してもらうぜ!

 待っているからな!」


 メラヴェークは最後にそれだけ言って、僕の過大な借金問題は解決したのだった。


 数日後にはこの店は閉じることになるのだが、それを知るのはもう少し後の話だった。

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