【2話】野良天使のミカ

「追放……された天使様?」

「ああ、そうだ。

 記憶が消されたようなので私にも経緯が良く分からないのだが、そのことははっきりと認識できる。

 私は神に対して何か不敬を働き――そして追放された」

「神の代行者エージェントである天使様が、天界から追放されたら、今後は何をなさるのですか?」


 思わず聞いてしまったところ、ミカは困ったように眉尻を下げる。


「……分からぬ。

 追放されたことは分かるのだが、それ以外の罰が思い当たらぬ」

「なら、役目を免除するから、自分の好きに生きて良い、ということではないでしょうか?」

「私は人間とは違うからな。

 天使は、神が天の意思を遂行するための道具として作り出した存在。

 個々の幸せを追求するために生み出された人間達とは存在の理由が異なる。

 ――私たちは無目的に存在することは困難なのだよ」


 軽く頭を振り、ミカはこちらを向いた。


「まあ、今は良い。

 天使に助力した者に対して、天使が礼をするのは理に適っている。

 故に今は、其方そなたの力になるために動こう。

 まずは、其方の言う金貸しの場所に案内するが良い」


 いろいろ、思うところがある。

 でも、ミカの言うことにはどこか従わなくてはならない気がして、反論が思いつかなかった。

 だから、僕に言えたのはこれだけだった。


「わかりました、ミカ。

 ですが、その、身体から光を出すのは抑えていただけませんか?

 人間にはちょっと眩しすぎて、うまくそちらに目を向けることができないのです」


 再びびっくりしたような表情をしたミカ。


「そうか……わかった。努力しよう。

 だが、其方そなたも、その敬語はよせ。私はすでに神の代行者エージェントたりえないのだ、普通に接してくれた方がありがたい」


 そう言って光を抑えてくれたミカは、少し照れたように笑った。


***


 街は暗闇に沈む――一部を除いて。


 ここは魔術学園のおひざ元、発達した都市であり、繁華街は夜を徹して煌々とした明かりが陰影を浮き彫りにする。

 各店舗は競うようにして発光球で店頭を照らし出し、金のある酔客は店頭を冷やかしながら練り歩き、有り金を使い果たした者は暗がりにうずくまっていた。


 僕とミカは街路の中央を歩く。


 明らかに異質なミカ、その人外の美貌に白基調の神官服は人目を引かずにはいられない。おまけに天使の翼を出すためということで、衣服の背中がざっくりと開いている。そのため白いうなじや背中が露出し、これが大変目に毒なのだ。


 当然のように酔漢達からじろじろと舐めるように見られて、野次も飛んで来る。

 そんな外野の存在は涼しい顔で無視して歩くミカ。

 時折、声を掛けてくる男達は、それがどんな厳つい男であれ、不思議なことにミカが一睨みして去るように言うだけで回れ右をして去って行った。


「この辺は、いつもこんななのか?

 随分と禍々まがまがしい気配が漂っているのだが」

禍々まがまがしい……そこまで大層なものではないと思いますけど、まあいつもこんな感じです。

 ここは通称『欲望の通り道』と言われていて、客の欲を満足させるようなサービスを提供するそうですので、その、いかがわしさは街の中でも随一で。

 正直、まともな者なら、ここには近づきません」

「だが、国が出資する学園が存在し、各所から苦学生が集う学業の街なのだろう?

 学業に励む者達が多く住む街と、この街路の雰囲気が一致しないのだが」

「いや、まあ、その通りなのですが、その、学生っていろいろ冒険ヤンチャしたくなることもあるようですので……」


 苦学生だけではない。仲には富裕な実家から多額の仕送りをされて、夜な夜な財布を握りしめて繁華街を闊歩している者も、多くいる。

 ではそういう者達は落第生かと言うと、魔術の実技はそういう者が優秀だったりする。不思議なことに。


「其方も繁華街には通うのか?」

「いえまさか! そんなお金はありませんし、こういう空気は苦手ですよ」


 そして、それを絶対に許容しない、恐ろしい存在が身近にいるのだから。

 慌てて否定すると、納得したのか正面を向き直るミカ。


「何やら、あの正面の派手な建物からは、より一層の汚れた空気が感じられるな」


 そう言って指差すのは、三階建ての大きな商館。

 全体に赤く、桃色に、ところどころ魔術光を仕込んで、とにかく湧き上がる欲望を形にしたような、どぎつい建物。

 そしてあれが。


「……その建物が、僕の目的地です……」


 呆れたように、眉を潜ませるミカ。

 別に僕のセンスではない筈なのに、なぜか僕が恥ずかしく感じる。


「其方は、先ほど学園から紹介された金貸し、と言っていなかったか?」

「……はい。間違いなく、あれは学園から紹介された金融業者です……」


 その言葉を聞いて、ミカは少し表情を険しくして、その建物をじっと見た。


***


「あいつだ、あいつが俺達を一瞬で倒したんだ!」


 商館の外にいる、夜闇の下でなお輝くような――いや、実際にうっすらと発光しているその美少女。

 表面が滑らかに歪み、幾つかの気泡が残るガラス窓越しに指さしてオウロは叫ぶ。


 最初は小娘じゃねぇか、と思った金貸しのメラヴェークも、その薄く輝く様子を見て考えを改める。


「おい、荒仕事用の奴らを呼んでおけ。

 囲む。散らせ」


 それだけ言ってオウロを走らせ、メラヴェークは再びガラス窓の外を見る。

 オウロの言っていたことが事実であれば、見た目だけでなく攻撃手段も人外であると考えるべきだろう。


 光が走り、たった二振りで五名の男が倒れ伏した。

 その様子を思い浮かべながら、この商館に入って来る二人をじっと見続けた。


***


 こん、こん。


 金貸しの扉を律儀に叩くと、中から入室を促す濁声だみごえが返る。

 僕は普段のように恐る恐る扉を開き中に入ると、中は昼のように明るく照らし出されていた。


 床の柔らかな絨毯を踏み、中に入る。壁面には焦茶色の落ち着いた本棚、中にはびっしりと帳面が並べられている。

 一目で高価とわかる大きな執務机には大柄な禿頭の男、この商会の主であるメラヴェークが座り待ち受ける。

 そして……その執務机の両側にずらりと並ぶ、高級そうな部屋の調度に似つかわしくない荒くれ男達。

 僕はざっと目で数えると、全部で二十名は下らなかった。中にはオウロもいるけれど、この荒くれ達の中ではオウロはむしろ小柄に見える。


「おう、ジン。何の用だ?」


 静かにメラヴェークが話しかける。

 他の荒くれ達も何も言わず、じっとこちらを見ている。

 いっそ野次られるよりも恐怖を感じられた。


「お前がここの主か?

 この少年から聞いたが、無理な商売をしているそうだな。

 即刻、この少年の証文を破棄せよ。それで今回は許してやる」


 ずい、と一歩前に足を踏み出すと、ミカは語りだす。

 ごく普通に、何事もないように、しかし命じるように。


 一瞬目を見開くメラヴェークは、次の瞬間、吠えるように笑いだす。

 それにつられて、部屋中の荒くれ者達が爆笑する。

 半包囲された僕はその爆音のような笑い声に晒され、頭がくらくらする。


「なぁんで、そんな真似をしなくちゃならねぇんだ?

 馬鹿を言うもんじゃねぇ。ちゃんと対価を用意しろ。

 お前自身が対価、ということでいいか?」


 びっ、と指をミカに向けるメラヴェーク。

 ミカの顔が嫌悪に歪む。


『いいから、私の言うことを聞け。

 今ならば寛大にも罰は加えずに済ませてやる、と言っているのだ』


 次にミカから発せられた言葉。

 今までの柔らかく涼やかな声と全く異なる、圧力すら感じる声。

 メラヴェークも目を大きく見開き、何かを喋ろうとして、何も言えない。


「お、おい……オウロ。ジンの借用証を……持って来い」


 顔を赤くして青くして、脂汗まで流しながら、声を振り絞り指示する。

 びっくりしたオウロは一瞬の戸惑いを見せてから壁の本棚に駆け寄った。


「これ……が、お前の書類だ……。これ……は……」


 オウロから受け取った借用証。

 それを引き裂こうと、メラヴェークは紙の中央をつまんで――


 そのまま机に叩きつけた!


「ふざっけんなぁ!!

 オレ様が、そんなまやかしにしてやられるとでも思ってんのかぁ!!」


 メラヴェークは顔を真っ赤にして怒号する。

 目は血走り、鼻からは血が流れているが、眉も険しくミカを指さして叫ぶ。


「おい、お前ら!

 全員で一斉にかかれぇ!

 殺して構わねぇ、そこの化け物をやっちまえ!!」

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