第18話決戦

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。

 過去のことを悔やんでも仕方ないが、それでもどうしても省みてしまう。


 あやめが産まれてきたときから?

 兄貴と綾子さんが結婚したときから?

 黒田さんが戦うことを決意したときから?

 白井さんが殺されたときから?

 親父たちが怪しげな儀式を見た瞬間から?

 それとも――


 詮のないことだとは分かるが、俺たち家族はおそろしくておぞましい運命に巻き込まれてしまったのは確実だった。


 いや、俺たちだけじゃない。

 深沢とその母親は邪教の奴らに攫われた。

 柳葉は友人の存在を消されて、自身も殺されてしまった。

 占い師――ナオミは兄と同じ運命を辿ってしまった。

 樫川は関係ないと思われるが、ネット仲間を殺されてしまった因縁がある。

 みんな邪教に関わったせいで不幸になってしまった。


 俺たち四人で全てを終わらせる。

 運命を乗り越えてみせる。因縁を断ち切ってみせる。怨念を打ち破ってみせる。

 しかしたとえ俺の命を落とすとしても、あやめだけは守る。

 夢の中の女との約束を守る。

 そう覚悟を決めていた。


 廃病院の中はとても息苦しかった。埃とか換気がしていないとか、そういうレベルじゃない。文字通り、息をするのも苦しかった。

 瘴気、と言えば良いだろうか。禍々しいものを感じる。


「中はもう儀式の準備は終わっている。私が来るのを待っている」

「今更だけど、行きたくねえな。敵の罠に飛び込むようなもんだぜ」

「それこそ今更。私はとうに罠の中に飛び込んでいる」


 兄貴は「あやめ、罠と分かっているなら、対処はできないのか?」と訊ねた。


「未来がまったく見えないのなら仕方ないが……」

「ごめんなさい、父さん。未来は見えなくなった。でも――」


 そこであやめは言葉を切って、俺の手を握る力を強くしてから、口を開いた。


「私には奴らの悪意が分かる。未来が見えなくても、肌で感じる」

「……あまり言うべきではありませんが、贄であるあやめ殿と奴らの間には共振性があるのかもしれませんな」


 不快な話だった。あんな奴らとあやめに――つながりがあるなんて。

 俺たちはあやめに先導されて奥へ進んでいく。不安と恐怖を感じながら、一歩ずつ前へ歩みを進める。


「気分は悪くならないか? 大丈夫か?」

「不快だけど平気。でも、何か来るかもしれない」


 その言葉どおり、闇の中から蠢くものがやってくる。

 柳葉と『木戸』という人間と一緒に来たときに見たネズミもどきのようだ。

 床を埋め尽くすような数がわらわらと湧いて出て来やがる。

 くそ、電灯ぐらい持ってくれば良かった。

 一応、バットを持っているが、こんなもので太刀打ち出来るとは思えない。


「どうするよ? 暗くて対処のしようもないぜ」

「安心して。こうする」


 ネズミもどきがこちらに襲い掛かる――

「これは光と火に弱い――」


 あやめが前に向かって手をかざす。するとネズミもどきに光が発せられて、なんと発火したのだ。周りが明るくなる。数十体、いや数百体居たネズミもどきは苦しみながらばたばたと倒れていく。


「……何したんだ?」

「火を点けた。発火能力。これで少しは歩きやすくなった」

「あやめは何でもできるんだな」

「何でもできると言いたいけど、未来を変えることはできない」


 兄貴は「まさか娘にこんな力があるなんて……」と呟いた。


「しかし――っ! 佐々木氏!」


 樫川が俺に向かって思いっきりタックルしてきた。

 前に吹っ飛ぶ俺と手をつないでいたあやめ。樫川も前に倒れる。

 がっしゃーんという派手で大きな音がした。見ると俺が居た場所に防火シャッターが落ちていた。

 もし、樫川が突き飛ばしてくれなかったら――


「あ、ありがとう、樫川……」

「いえ……兄上殿と分断されてしまいましたな」


 俺は立ち上がってシャッター越しに兄貴に話しかけた。


「大丈夫か? そっちは平気か?」

「……平気じゃないな。ネズミが大量に居る」


 ネズミ! 大量! 

 俺は「兄貴、逃げろ!」とシャッターを叩いた。


「なんとか迂回して、合流する。あやめを頼んだぞ!」


 そう言い残して、兄貴はその場を立ち去ったようだ。


「あやめ、兄貴は無事なのか?」


 あやめは下を向いて「……分からない」と呟く。


「未来は見えない。でも父さんの死ぬ光景は見ていない。多分平気」

「……どうしますか? その言葉を信じて、先を急ぎますか?」


 樫川の言葉に俺は悩んだ末、先を急ぐことにした。


「奴らを倒せば、ネズミもどきも居なくなるかもしれない。だから先を急ごう」

「……分かりました。しかしあやめ殿。僕たちが向かうべき場所はどこですか?」


 樫川の質問にあやめは短く答えた。


「……手術室。そこに全ての元凶が居る」


 俺たちはその後も襲ってくるネズミもどきをあやめに燃やしてもらいながら進み。

 ようやく――手術室の前に来た。


 俺は扉に手をかける。

 樫川の顔を見た。強張っている。

 あやめの顔を見た。相変わらず無表情だった。


「開けるぞ。いいな?」

「大丈夫。いつでもいい」

「僕も大丈夫です」


 俺は、扉を開けた――



◆◇◆◇



「ようこそ。初めましてかな? 康隆くん。樫川くん。そしてあやめちゃん」


 そこには五人の『人間』が居た。横一列に並んでいる。

 全員黒ずくめで、奇妙な仮面を被っている。

 そして真ん中の『男』が俺たちに話しかけた。

 その姿、その仮面、そしてその声!


「聞き覚えあるぜ。その声……!」

「おや? 君との『交渉』は彼に任せていたはずだよ?」


 右隣を指差す仮面の男。そいつは占い師と柳葉を殺した仮面の男だった。

 俺は「信じらんねえと思うけどよ、夢で見たんだよ」と怒りを込めた目で見つめた。


「女をここで無惨に殺しただろう! 『怯えなくていいんだよ? これから×××さまに捧げられるのだから』! 一言一句覚えているぜ!」


 俺の言葉に仮面の男は「ふむ。君も特殊な人間なのかな?」と首を捻った。


「まあいい。それで、交渉に来たのかな?」

「交渉? 俺たちは深沢を助けに来たんだ! てめえらと話すことはない!」

「ふふふ。鼻息が荒いことだな。そうだね、君の勇気に敬意を評して、彼女を返してあげよう」


 そう言うと、仮面の男は指を鳴らした。

 すると、目の前に深沢が縄で縛られた状態で現れた。

 服はいつもの黒ずくめではなく、薄手で、しかも酷い火傷の跡が腕にあった。


「深沢氏!」

「ふ、深沢! 大丈夫か!?」


 深沢は意識があった。目を見開いて、俺たちを見つめている。

 樫川は急いで縄を解いた。

 深沢は自由になると、俺に抱き付いてきた。


「さ、佐々木先輩、樫川先輩、ごめんなさい。わ、私……」

「大丈夫だ。大丈夫だから。無事で良かった」


 頭を撫でると、安心したのか、しくしく泣き出した。


「いやあ。感動的な再会だね」


 パチパチと手を鳴らす仮面の男。

 不愉快極まりなかった。


「さてと。君といろいろ話したいことがあってね。ああ、安心してくれ。まだ君を殺したりしない」

「いずれ殺すって言うのか? やってみろ!」

「まずは話を終えてからだよ」


 すると樫川は「話? 深沢氏のように拷問でもするのですかな?」と火傷の跡を指差しながら言う。

 しかし仮面の男は「それは元からの傷だよ」とやけに優しげな声で言った。


「そうだろう? 贄の子孫よ」


 仮面の男に促されて、深沢は泣きながら話し始めた。


「これ、は、お母さんに、家が、火事になって、助けてもらった、ときに、できたんです」

「……だからいつもあの服装をしていたのですな」


 黒ずくめの服。透けて火傷が見えないように、するための服。

 俺は不意に思い出した。


「そういえば、夢の中の女も、左腕に火傷があった……ひし形みたいな……」


 深沢はそれを聞いて「……えっ? それって、お母さんの……」と息を飲んだ。


「そうさ。彼女の母親は私がこの手で、ここで殺した。儀式のために」

「あ、あああ、あああああああああああ!」


 深沢の心が折れる音がした。目を見開いて、大粒の涙を流していた。

 それを見て仮面の男はくくっと喉を鳴らした。

 こいつは、この男は、深沢の苦しみを楽しんでやがる……!


「さて。次は何を話そうか――」


 仮面の男が話し出そうとしたとき――


「もう話すことはない。あなたたちはここで死んで」


 あやめが手をかざす。また発火能力を使うつもりか!?

 しかし、時間が経ってもあいつらが燃えることはなかった。


「どうした? あやめ?」

「……発動しない。何故?」


 仮面の男だけではなく、邪教の人間全員が笑い出した。


「贄は強大な力を授かる。それは神に捧げるためにだ。肉体はともかく精神と魂は我々使徒と同じかそれ以上でなければならない」


 仮面の男は懇切丁寧に説明し出した。


「贄にそんな危険な力を持たせたまま儀式を行なうのは、あまりに不用心だと思わないか?」

「まさか……力を封じた……?」


 仮面の男は笑った。それは人間を見下している笑いだった。


「上を見てごらん。あの大きな魔法陣が見えるかい」


 パッと俺と樫川、あやめは天井を見た。禍々しい魔法陣で、これもおそらく血で書かれているのは間違いなかった。


「この場に居る者は全員、魔法を使えない。魔法封じの魔法陣。私の言いたいことは分かるだろう?」


 仮面の男は肩を竦めながら言った。


「君は普通の小学生になってしまったのさ。ただのひ弱な女の子にね」

「…………!」


 悔しそうに唇を噛み締めるあやめ。

 この状況はとんでもなく不味い!


「逃げようとしても無駄さ。扉は決して開かない。試してごらん。外部からの助けも無駄だよ。力のある者でも簡単には入れない。あやめちゃんのお父さんは当然、こちらに来れない」

「……ずいぶんと用心深いんだな」

「だからこそ、今まで生き残れたんだ」


 仮面の男は大きく腕を広げた。


「この状況を作り出すのに、どれだけ時間がかかったか。そしてどれほど苦しんだか。全ては神に贄を捧げるため。それだけなのだ」


 俺は金属バットを握り締めた。何があっても良いように。

 陶酔していた仮面の男だったが、急に俺を指差し「君はあの佐々木の息子だね」と声音を底冷えするようなものに変えた。


「佐々木、黒田、白井。あの忌々しい三人さえいなければ、儀式は成功したのだ」

「……だけど残念だったな。今度は俺が邪魔してやるよ!」

「虚勢はやめなさい。見苦しいだけだ」

「虚勢じゃねえよ。現にてめえらは親父に邪魔されたじゃねえか」


 それを指摘すると仮面の男だけではなく、全員が何らかの反応を見せた。

 俺は見逃さなかった。そして今までにないくらい、頭が働いていた。


「親父の日記に書かれていた。焚き火の木を振り回しただけで追い払えたって。だけど、てめえらには力がある。簡単に追い払えたはずだ」


 誰も何も言わなかった。


「だとすると、てめえらは力が使えなかったと推測できる。それは儀式に集中していたからか? それとも、この魔法陣とやらはてめえらにも効くんじゃねえのか?」


 俺の言葉に樫川も肯定した。


「先ほど贄は邪教の使徒と同じくらいと言いました。それにこの場に居る全員とも。その推測は当たっていますぞ、佐々木氏!」


 すると、仮面の男の右隣、柳葉と占い師を殺した男は言った。


「コイツハ、モウコロシタホウガ、イインジャナイカ」


 底冷えするような声だった。


「待ちなさい。勇気ある彼の絶望する顔を見てみたいんだ」

「アクシュミダナ」


 仮面の男は懐からとあるモノを取り出した。

 赤い革の本だ――


「そ、それは――」

「これは見覚えがあるだろう。京極教授の本さ。正確には赤夢出版社の連中が我々から盗んだものだ」


 仮面の男は本を持ちながら、呪文らしきものを唱えた。

 すると目の前に髑髏の形をした炎が浮かび上がった。


「この本は力のない者でも魔法を使えるようになる。それは儀式を行なう我々を守ってくれるということだ。素晴らしいとは思えないか?」


 俺は京極教授に催眠術をかけられたことを思い出した。


「これがあれば一方的に君たちを殺せる」


 俺はがっくりと膝を落とした。これでは対抗できない。


「我々は儀式の失敗の後、この本を探していた。どこにあるのか、所在は不明だった。赤夢出版社どもに盗まれたと知ったのは最近の話さ。これさえあれば儀式は磐石にできる。だからこそ、我々は探し回った。しかし赤夢出版社の生き残りから、君の父親が持っていることを突き止めたときは、絶望したよ」

「どうしてだ? そもそも赤夢出版社とは何者なんだ?」

「赤夢出版社は魔術結社だ。我々の神の復活を妨げるために存在していた。次に君の父親は家に結界を張ったのさ。それがとても厄介だった。破壊するのも骨が折れる。数十年かけなければいけなかった。そして用心深かった。家の外に出るときは自分に魔法をかけていた」

「魔法……その本か!」


 仮面の男は頷いた。


「これでは手を出せないと思った我々は恐怖によって心を蝕むことにした。君も体験しただろう」

「……この外道め!」


 親父の心を壊したのは、やっぱりこいつらだったのか!


「それからは君の知っているとおりさ。我々は教授を殺して奪い返した」


 仮面の男は笑いながらあやめに近づく。俺は金属バットを持って前に立ちはだかる。


「どきたまえ。君は儀式には不要な人間だ」

「ふざけるな! 姪を黙って殺させてたまるか!」


 仮面の男は「儀式の準備を整えてから、既に四十分経っている」と静かに言った。


「邪魔をしないでくれ。これでようやく、神を降ろせるのだ」

「そんなことはさせない! たとえ――」


 最後まで、言えなかった。

 腹部に熱くて冷たいモノが突き刺さった。

 俺はゆっくりと見た。

 腹に、ナイフが刺さっている。

 刺したのは――

 深沢だった。


「な、なんで、お前が……」


 倒れる俺。血溜まりになる床。そして激痛が襲う。


「わ、私、どうして、先輩を刺したの、かな?」


 深沢は呆然としている。


「暗示をかけた。私があやめちゃんに近づいたときに、刺すようにと」


 仮面の男が、やったことなのか……


「叔父さん! 叔父さん!」


 あやめが叫ぶ。


「佐々木氏! この――!」


 樫川が珍しく怒っている。


「わ、私、私が……!」


 深沢が取り乱している。

 俺は安心させようと、起き上がろうとする。

 そこで、見たのは。

 仮面の男が、魔法で樫川を吹き飛ばし。

 取り乱した深沢が自分の喉をナイフで突き刺した光景だった。


「やれやれ。これで邪魔者はいない」


 仮面の男は中央の床に描かれた魔法陣の上にあやめを置いた。あやめは気絶している。


「コレデ、ワレワレノヒガンガ――」


 俺は見た。見てしまった。


「ああ。これで終わるよ」


 仮面の男が呪文を唱えて――


「君たちも用済みだ」


 仲間を――殺した。


「て、てめえ、仲間を――」


 見えない刃で首が刎ねられた。その首が俺の元へ転がる。

 柳葉とナオミを殺した奴だ。

 仮面が外れて、あの爬虫類みたいな顔がむき出しになった。

 人のあり方から外れて醜く歪んだ、化け物の顔。


「これで準備は整った。最上級の贄と使徒四人。これなら神を呼び起こせる」


 声が遠くに聞こえる。だんだんと眠くなっていく。

 もう、何も考えられない――


「あ、諦めては、なりませんぞ。佐々木氏」


 樫川は、全身を強く打って、骨が折れているのにも関わらず、立ち上がった。

 仮面の男は興味深そうに見ていた。


「最後の最後まで、諦めてはいけません。それが、人間の意地ですから!」


 樫川は無謀にも仮面の男に突進した。

 でも――


「こういうのを、最後の悪あがき、とでも言うのかな?」


 樫川の胴体が真っ二つに裂かれた。


「さてと。儀式を始めよう」


 樫川の顔はこっちを見ていた。

 おそらく激痛が走っているのに、樫川は眼で俺に言った。


『儀式の間は、奴も無防備です。その隙に、バットで……』


 そう眼で伝えた後、ふっと光が消えた。


 樫川、最期のメッセージ、伝わったぜ。

 ここで立たないと、お前の死が無駄になっちゃうよな。

 それだけはしたくないよなあ!


 俺の心に、闘志が湧いてきた。

 目の前の現実に向かい合う。

 あやめが、俺の姪が、殺されようとしている。


「ふ、ふざけるな……」


 俺はバットを杖にして立ち上がる。


「×××××――」


 仮面の男は呪文を唱えるのに集中している。


 俺は――諦めない。


「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 俺は、仮面の男めがけて、突進した。


「なっ!? まだ動けたのか!」


 渾身の力で、バットを仮面の男に振り落とした。

 仮面が取れて、人外の顔が露わになる。

 男の頭から血が滴り、床に書かれた魔法陣に落ちた。

 同時に俺の腹部から流れた血も落ちた。


 魔法陣が輝き出す。

 俺と男は光に包まれた――


 佐々木康隆のいう仮面の男。本名は岸田時雨。江戸時代、邪神を祀る村の村長の家に産まれる。幼い頃から力に目覚めて、僅か九才で村長に選ばれる。前村長は彼が五才の頃に何者かに殺されていた。その妻は彼が二才のときに狂死している。村の人間はもしかして、彼がやったのではないのかと噂したが、すぐに噂はなくなった。噂した者は何らかの形で死んだからだ。そして村の邪教の教義と呪文を十五で習得した後、村人全員を殺害する。理由は自分を『知っているから』だった。それから彼は不老になり、教団を創り上げる。意のままに動く人間が欲しかったからだ。そして邪神の復活を企むようになり、とある山中で儀式を行なうが、三人の一般人に邪魔されてしまう。その際、報いを受けて端整だった顔が歪み、人間ではなくなった――


「これが君の過去だけど、間違っていないかな?」


 俺と男――岸田時雨は何もない空間に居た。

 いや、目の前に誰かが居た。

 小さな子どもだ。全身真っ白なスーツを着ている。こんな状況なのに七五三を思い出した。


「ここは、どこだ? お、お前は誰だ!」


 岸田時雨は子どもを指差した。

 子どもはきょとんとしている。


「誰って、君が僕を呼んだんでしょ?」


 その言葉に、岸田時雨は目を見開いた。


「ま、まさか、あなたが神か?」

「うん? 違うよ? 僕は代理人だよ」


 あっさりと否定する自称代理人。


「神、というより支配人はまだ眠っているよ。だから管理人が文字通り管理していたんだけど、面倒くさがりだからね。僕が代理に世界を見ているんだよ」


 訳が分からない。それは岸田時雨も一緒だった。


「そ、それでは、私の願いは……」

「願い? なんだい、言ってみなよ。うん? ああ、それは駄目だよ」


 岸田時雨が言う前に、代理人は断った。


「支配人を起こすわけにはいかないよ。管理人だって、やりたがらないよ」

「そ、そんな……今までの贄は、確かに届けたはずでは!」


 代理人は困った顔になった。


「贄なんて知らないよ。僕には届いていないし。もちろん、管理人にも届いていない。多分、行き違いがあったと思うけど。あ、そうだ。邪神の名前分かる?」


 岸田時雨は必死に冒涜的な邪神の名を告げた。

 耳を覆いたくなるような名前を何度も何度も告げた。


「ああ。そいつなら僕が殺したよ。五千年前だったかな。多分、復活すると思うけど。まあだいぶ先になるだろうね」


 岸田時雨は絶望の表情を見せた。


「まったく迷惑なんだよね。毎回こっちに来る人はたくさん居るけど、ろくな奴はいないね。この世全ての知識が欲しいとか。不老不死になりたいとか。神になりたいとか」


 そして今度は俺を見た。


「それで、君は――なんだ。あのデブ――じゃなかった『道楽者』の贄か。対価は……なんだ、全然割に合ってないじゃないか。しかたないなあ」


 代理人は頬を掻いて困った顔をした。


「仕方ない。ルールはルールだ。願いを一つ叶えてあげるよ」


 俺は元の平和な日常に戻してくれと言った。


「そんなことでいいの? それなら――あ、駄目だ。因果がこんがらがってるや」


 代理人は面倒くさそうに言う。


「どうしようかな。あ、そうだ」


 代理人は岸田時雨を指差した。


「こいつ消しちゃえば良いんだ」


 次の瞬間、岸田時雨は居なくなった。


「これで元の平和な日常に戻れるね。おめでとう! 君は平穏を手に入れた!」


 俺の全身が光り輝いた。


「それじゃあさようなら」


 代理人は手を振った。

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