第17話狂った運命 後編
俺は教授のときと同じように、また選択を迫られてしまった。後輩の女の子か、実の姪か。どちらかを犠牲にしなければならない。
もちろん、両方を救う手立てはあるはずだ。そうに決まっている。何を考えているんだ。どちらかを犠牲にするなんて。かなり混乱しているみたいだ。人質を取られて錯乱をしている。
「兄貴、どうしたら――」
俺は真っ先に兄貴へ問いかけた。兄貴は大人で警察の人間だ。何か良い考えが浮かぶかもしれない。
しかし兄貴は何も答えなかった。顔を引きつらせたまま、動かなかった。
「おい! 呆然としている場合じゃ――」
言いかけて、はたと気づく。
兄貴は動かない。
それどころか他のみんなも動かない。
まるで時が止まったかのように――
「違う。時が止まったわけじゃない」
声がした。樫川やお袋や綾子さんの声じゃない。
もちろん、兄貴でもない。
四人は動いていない。
目の前に居る女の子以外、動いていない。
「お、お前がやったのか……?」
一人だけ何の影響もなく、俺を真っ直ぐ見据えながら、あやめは言う。
「そう。私がした。叔父さんにだけ話すことがあるから。でも別の私が他のみんなと話している。もうおうちには帰れないと言わないといけないから」
おうちに帰れない? 俺は何を言っているのか分からなかった。
でも分からないなりに質問するべきだと感じた。
「あやめ、お前は何者なんだ?」
「占い師さん――ナオミさんも言ったとおり、私は贄。邪教の人間が追い求めた存在」
贄。信じたくはなかった。けれどそれなら、今まで集まってきた全てのピースが符号する。
あの夢に見た女の言葉。親父たちに助けられた綾子さん。祭りの後、神社で見た不思議な光景。
ナオミの言っていた贄の血の繋がりと不思議な力。
「そういうことかよ……!」
「そう。だから私はこうして誰にも邪魔されずに会話している」
あやめは髪をかき上げて、アンニュイな表情を見せた。
「何から話して良いのか。私にとっては既に起きたこと。そしてこれから起きること」
「…………」
「話の後、叔父さんとお父さん、樫川さんは私を連れて、指定された病院へ連れて行く。それは確定した未来」
俺は信じられない思いであやめを見た。それは人質交換に応じるということになる。
しかも兄貴と樫川も一緒だと? あの二人が許容するとは思えなかった。
「叔父さん。私の話を聞いてほしい」
あやめは無表情のまま、俺に語りかける。
「私が自分の力に気づいたのは、小児喘息で死に掛けたときだった。少し先の未来が見えるようになった。こうして叔父さんと二人きりで話すこともできる。おそらく超能力と呼ばれることはなんでもできる。そして同時に気づいた。私は人間じゃない」
「に、人間じゃない? お前は兄貴と綾子さんの子どもだろう!」
「お母さんは人間じゃない。いや、正確には人間じゃなかった」
に、人間じゃなかった?
「お母さんは産み出されたモノ。『混沌より這い寄るモノ』に代々捧げるために、使徒たちに養育されたモノだった。だけど今は人間。贄の力は私に移ったから」
「お、お前は人間じゃないのか?」
「肉体は普通の人間。だけど精神と魂は違う。そうしないと耐え切れないから」
今話しているのは、あやめなのか? 無口で無表情な俺のよく知るあやめ本人なのか?
「お祖父さんたちが儀式を邪魔したおかげで、お母さんは贄の力が表に出ることは無かった。しかし消えたわけじゃなかった。内に秘めていた。それが私に移って顕現した」
「だから超能力が使えるのか?」
「そのとおり。今まで黙っていたけど、奴らに何度も狙われたことがある。だけどそのたびに退けてきた」
「み、未来が見える力のおかげなのか……?」
俺の言葉にあやめは首を振った。
「未来は変えられない。見えていても結果は同じ。確定されたルートはそれこそ神しか変えられない」
「じゃあ、どうやって奴らを退けたんだ?」
「確定されたルートのとおりにした。私が死ぬのは先の未来だった。だから確定されたルートどおり戦えば退けることはできた」
そこまで聞いて、はたと気づく。
「じゃあ、俺がお前を連れて行くことは、確定されたルートなのか? そんな馬鹿な話はあるか! 姪をみすみす奴らに渡すなんて、できるわけがない!」
「でも規定事項。そうしないといけない」
「お前はそれでいいのか! 奴らと戦うってことは、死ぬかもしれないんだぞ!」
あやめはこくりと頷いた。
「それが運命なら仕方ない。私はそれに従うだけ」
「……どうしてそんな考えができるんだ?」
あやめはここで悲しそうな目をした。何かを思い出しているようだ。
「私は未来を変えられると思っていた。なんでもできると思っていた。でも違った」
「……何かあったのか?」
「道端に仔猫が捨てられていた。私はその仔が数日後に餓死する未来が見えた。だから毎日、給食の残りを分け与えた。そして数日後、私はいつものようにエサをあげようとした。仔猫は私の姿を見て、駆け出した。懐いてくれていたから。でも――」
あやめは一呼吸置いて、言いたくないことを言った。
「駆け出した場所が悪かった。私は道路の向こう側に居た。仔猫は気づかなかった。車が迫っていることに。撥ねられた仔猫は動かなくなった。死んだのは餓死する時間と同じだった。これで気づいた。未来は変えられない。いや、変えても結果は同じになる」
俺は、あやめになんて言って良いのか、分からなかった。
「私は意地になって未来を変えようと努力した。でも全て失敗した。何度も、何度も何度も、何度も何度も何度も失敗した。そのたびに仔猫の死体が頭に浮かんだ」
「あやめ――」
「だから、叔父さんは何をしても私を連れて病院に行くことになる」
俺は足掻くように「じゃあ行ってどうなるんだ!」と声を張り上げた。
「そこでお前を差し出せというのか!」
「分からない。それは不明」
「……未来が見えるんじゃないのか?」
あやめは「叔父さんが私を病院に連れて行くのだけ分かる」と言った。
「その先の未来は分からない。まったく見えなくなった。おそらく奴らの仕業」
「あやめの力より上回っているのか?」
「そうかもしれない。阻害されている感覚がある」
あやめは俺を見つめた。
「叔父さん、お願いだから私を連れてって」
「……駄目だ。叔父としてあやめを危険な目には遭わせられない」
「私は人間じゃ――」
俺は「ふざけるなよ! お前は人間だ!」と怒鳴った。
「無口で無表情で、何考えているか分からない、不思議ちゃんだけどよ! それでも俺にとっては可愛い姪なんだよ! 人間じゃないとか関係ない、関係ねえんだよ! 今まで過ごした思い出とか愛情とか無視できるわけねえだろうが! 俺は、絶対見捨てねえぞ!」
俺の言葉にあやめは少しだけ驚いて、そして目を伏せた。
「私の正体を知って、それでも姪だと思ってくれるの?」
「ああ! 当たり前だろう!」
「……ありがとう、叔父さん」
あやめはそのとき確かに微笑んだ。それは心を奪うような、とても可愛らしい笑顔だった。
しかし次の瞬間、無表情に戻り、冷酷に告げた。
「でも。もう遅い」
奇妙な感覚。空間が曲げられているような、時間がねじれているような。
身体が回転している。上下左右に滅茶苦茶に動いている。
気持ちが悪くなる。何が起きているのか、全く分からない――
気がつくと、俺は廃病院の前に立っていた。
傍には兄貴と樫川が訳が分からないという顔をして、立っていた。
左手に暖かい感触。
見ると、俺はあやめと手をつないでいた。
「……なんで、ここに居るんだ?」
「ふむ。これが超能力ですな」
「樫川くんは冷静だな。俺はもう何がなんだか分からない」
感心する樫川と困惑する兄貴。
俺はあやめを睨みたくはなかったが、自然とそのような目つきになってしまう。
「……お前の仕業、だよな」
「驚いていないみたい。慣れてきた?」
「何したのか、言ってみろよ。叔父さん怒らないから」
「それは嘘。叔父さんは私を怒鳴る。でも説明する」
あやめは俺を見上げて言った。
「叔父さんとお父さん、樫川さんに暗示をかけた」
「…………」
「叔父さんたちは車で私を連れて、ここに来た。未来は変えられない」
俺は、予言されていたとはいえ、怒鳴らざるを得なかった。
「ふっざけんなクソガキ! てめえ何してくれてんだゴラァアアア!」
「佐々木氏! ここは敵の本拠地ですぞ!」
樫川の言うとおりだが、衝動が抑えられなかった。
あやめは動じないで、唇に指を当てた。静かにしろということだろうか?
「樫川さんの言うとおり。静かにして」
「――っ! まあいい、入らずに出ればいいだろう!」
俺はあやめの手をひっぱって、病院の敷地から出ようとした。
でもできなかった。出たと思ったら、入っていた。
おかしな話だが、後ろに居るはずの兄貴と樫川が前に居た。
「……もう何も驚かなくなったぜ。これも奴らの仕業だろう?」
「そう。奴らを倒さない限り、出られない」
なんでこいつこんなに落ち着いているんだ? 死ぬかもしれないんだぞ?
「大丈夫。ちゃんと武器を用意した」
「武器? 拳銃か何かか?」
「右手を見て」
俺は知らぬ間に右手に金属バットを持っていた。
「…………」
「叔父さんは野球部だったから、扱いやすいと思って」
「なあ。あやめ、俺のこと嫌いなら、はっきり言ってくれよ……」
あやめは無表情のまま「そんなことはない」と言った。
「叔父さんは、私の初恋の人」
「はいはい。ありがとうございます。だけど叔父と姪は結婚できないんだぜ」
「それは残念」
「……康隆、俺も許さないからな」
「なんで本気にしてんだ兄貴」
「信じておりますぞ、佐々木氏」
「やめろ樫川。俺はロリコンじゃない」
俺たちは廃病院を見た。前に来たときと違う禍々しい雰囲気を感じた。
俺は右手をきつく、左手は優しく握った。
「行きたくねえなあ。でも行かなくちゃいけないよなあ。あそこに親父たちの仇が居るんだもんなあ」
「叔父さん、震えている」
「武者震いだよ。あやめ、本当だったらお前をここに残すべきだろうけど、それが叔父の務めだと思うけど、それでも一緒に行ってくれるか?」
「…………」
「子どもに頼るなんて情けないことだ。男らしくない。大人らしくない。でもな、それでも助けたい奴が居るんだ」
今、捕まっている深沢は俺に暴言を吐いてくるけど、それでも可愛い後輩に変わりはない。
兄貴は何も言わなかった。多分、あやめに諭されたんだろう。
樫川も言わなかった。兄貴と同じ思いだろう。
「行こう。みんな。奴らと直接対決だ」
「うん。行こう」
兄貴は俺たちを見て言った。
「お前たちは俺の命に代えても守る」
樫川はグッと手を握った。
「深沢氏を助けに行きましょう」
これ以上、人は殺させない。死なせない。
俺たちは、廃病院に、足を踏み入れた――
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