第16話狂った運命 前編
兄貴たちを起こして、そのまま逃げるように警察署から出て、しばらくして俺たちはやっと口をきけるようになった。
「……どうしてあやめがここに居るんだ?」
兄貴の怪訝そうな顔に対して、無表情なあやめ。何も答えずに助手席から外を眺めている。
後部座席の左側に座っている樫川は「まさか、柳葉くんが殺されるとは……」と悲しそうに呟いた。
柳葉の死体は駐車場に残した。連れていくわけにもいかないのでそうするしかなかった。本当にすまないと思う。
「えっと兄貴は知らないと思うが……」
「いや。夢の中で聞いた。夢で聞いたっておかしな話だが。奴らの術で夢を共有していたのかもしれないな」
すんなり信じるということは夢で言った『オカルトは初めてじゃない』は本当らしい。
「柳葉くんのことは残念だ。まさか奴らが直接的な手を使うとは思わなかった」
「……? 兄上殿は奴らのことをご存知で?」
確かに何か知っている風な感じがした。兄貴は「まあな」と応じた。
「俺は他県の警察だが、康隆が住んでいる街が全国平均を上回るほどの行方不明者を出していることも知っている。加えて邪教が存在することもな」
「……警察でも有名なのですな」
「当たり前さ。樫川くんのような素人でも調べられることは警察だって知っている。でも誰も関わりたくない案件だ。だからこそ、この地域の警察は誰も調べなかったんだ」
それが邪教の狙いというか思う壺のように思えた。
「夢の途中で遮られてしまったから、最後まで聞けなかったが、あやめに何かあるのか?」
兄貴が核心に触れてくれた。俺は「あやめ、言ってもいいか?」と一応断りを入れた。自分の姪に対して、下手に出てしまうのは情けないが、それでも断っておかないといけない気がした。
「うん。話していい」
あやめはなんでもないように言った。俺は深呼吸して、それから言う。
「さっき話した占い師――ナオミが最期に言った言葉だ。邪教が求めている贄の正体が、あやめ、らしいんだ」
俺がもし兄貴なら怒るか困惑するか、それとも呆れるかの言動をするだろうと思っていた。しかし兄貴は大きく息を吐いて「……そうか」とだけ零した。
「兄上殿は、知っていたのですね」
樫川が断定的に言った言葉に兄貴は「親だからな。それにあやめが居ることを考えると、そうとしか考えられないな」とどこか疲れたように言う。
「……ごめんなさい。お父さん」
あやめは何故か謝った。何に対して謝っているのか、分からなかった。
「……謝ることなんてないぞ」
兄貴は左手であやめの頭を撫でた。
俺と樫川は何も言えなかった。
ただ親の優しさを複雑な心境で見守るしかできなかった。
「とりあえず実家に戻るってのは良い考えだ」
「でも今更実家に戻っても、何の進展もないぜ?」
俺の言葉を兄貴は「いや、あるはずだ」と否定した。
「お袋だ。俺たち以上に親父のことを知っている人は他にいない。きっと何か知っているはずだ」
確かにそうだった。俺は頷いた。
◆◇◆◇
夕方。実家に着くとお袋と綾子さんが出迎えてくれた。
「久しぶりだね、康隆」
「お袋、やっと元気になったな」
「当たり前だよ。いつまでも悲しんでいるのは身体に悪いからね」
そんな会話をしつつ、実家に入る俺たち。
「こんな状況ですが、佐々木氏の実家は豪邸ですな」
「親父は金だけは持っていたからな」
でも親父はこの家には住んでいなかったけどな。
居間に入って、座布団の上に座ると、綾子さんがお茶を出してくれた。
一口含む。そういえば、今日は何も口にしていなかったなと思い出す。
改めてお袋を見る。親父が死んだときには元気を失ってしまったけど、最近では持ち直したようだ。しかし、昔を知る俺からすると、背中が淋しそうで小さく見えた。
綾子さんはいつも通り、凛としていて優しげな顔をしていた。けれどどこか緊張している面持ちだった。
真正面に座っているあやめは俺をじっと見つめている。
「康隆。用があって来たんだろう。話しなよ」
単刀直入にお袋が訊いてきた。俺は車の中で話を訊きたい旨をスマホで話していたが、内容については語らなかった。
俺はまず、親父について訊くことをした。
「親父のことだ。親父はおかしくなったと思っていたけど、そうじゃない。親父の周りで異変が起きたから、だからおかしくなったと思われていたんだ」
俺の言葉にお袋は「どうしてそう思う?」と聞き返す。
「あの人は長年連れ添った私から見ても、目に見えておかしくなった。それが異変のせいだというのかい?」
「……親父の日記に書かれていた」
俺の言葉にぴくりと反応するお袋。
「手元にはないが、親父がおかしくなっていく過程が書かれていた。そしてその原因も書いてあった。実は――」
「言わなくていい」
お袋は俺の言葉を遮った。
「い、言わなくていいって……」
「全部、知っている」
お袋の目からぽろぽろと涙が溢れ出す。
頬を濡らして泣いているお袋を見るのは初めてだった。
するとあやめがお袋に近づいて、膝の上に座った。
「おばあちゃん。泣かないで」
その言葉を聞いたお袋はますます泣き出してしまう。そしてあやめを抱きしめる。
「ごめんね。あやめちゃんごめんね」
「……泣いちゃ、いや」
お袋が泣き止むまで、誰も言葉を発しなかった。
俺は自分の運命が昔から狂っていたのだと、このとき思い知らされた。
◆◇◆◇
「私は全て知っている。あの人が何と戦っていたのか。そしてどうして死んだのかも」
落ち着いたお袋は毅然として俺たちに真実を告げる。
「考えてもごらん。私がどうしておかしくなった人と籍を置き続けていたのか。普通なら離婚するはずでしょう」
「まあそれは思ったけど。それは二人が愛し合っていたからじゃないのか?」
俺の指摘にお袋は苦笑した。
「お前は相変わらずロマンチストだね。そんなんじゃないよ。私はただあの人がおかしくなっても一緒に居たかったんじゃない。奴らにおかしくさせられたと知っていたからなんだ」
「それならどうして俺と康隆に言わなかったんだ?」
兄貴が訊ねるとお袋は「言えるわけないじゃないか」と言う。
「奴らのことをなんと説明すればいいのか分からなかったしね。私までおかしくなったと思われるのが関の山さ」
「……そうかもな。俺と康隆は信じないほうだったからな」
お袋は頷いた。そして「キャンプのときの話、日記に書かれていただろう」と言う。
「あの日、あの人は白井さんと黒田さんと一緒にキャンプに出かけた。それが全ての始まりだった」
「白井さんと黒田さん?」
それがBとWの正体なのか?
「ああ。なるほど。だからBとWですな。ずっと気になっていました」
「樫川。どういうことだ?」
「英語ですぞ。『白』井はWhiteで『黒』田はBlackでそれぞれWとBですな」
そ、そんな駄洒落みたいな理由だったのか!
でも単純だからこそ、奴らには分かりにくいと考えたのだろうか。
その話を聞いた兄貴は「黒田さんってもしかして――」と言いかけた。
「待ちな。説明の順序ってものがあるだろう」
お袋にぴしゃりと言われて、黙ってしまった。
兄貴は何か知っているのか?
「そのキャンプから帰ったときから、あの人はおかしくなった。暗闇に怯えるようになったし、物音にも敏感になった。私に怒鳴り散らすこともあった」
みんな黙ってお袋の話を聞いた。
「私が全てを知ったのは、白井さんが死んだときだね。ありえないほどの力でバラバラに引き裂かれたと聞かされたとき、あの人は私の前で泣いたんだ。ああ、私も殺されるんだ。すまない、許してくれってね」
「それで、全てを告白したんだな」
兄貴の問いにお袋は首を縦に振った。
「初めは信じられなかったさ。でも、信じざるを得なかった。黒田さんの娘を紹介されたとき、確信したんだ。この人はおかしくなったわけじゃない。そう思えて安心した。その後は二人の知っているとおりさ。あの人は私たちを守るために、一人になったのさ」
俺は親父のことを思い出す。机に向かって何かひたすら書いていたことしか思い出せない。しかしそれは親父なりに俺たち家族を守っていた証拠なんだろう。
親父。大変なことに巻き込まれてしまったけど、それでも俺はあんたを尊敬するよ。
心からそう思える。
「疑問に思っていることがあります」
樫川がお袋に質問をした。
「黒田さんが引き取った娘――その居所は不明です。しかし今までの話から推測すると、もしかして……」
「樫川くん。それは俺から言わせてくれ」
兄貴は綾子さんを見つめた。自然と全員が彼女に注目する。
その視線の中心に居る綾子さんは、青ざめていて、震えていた。
「なあ。綾子。お前だったのか?」
綾子さんが一層震えた。まるで何かに怯えているようだ。
しかし兄貴のほうは責めている感じじゃなかった。
ただ真実を知りたい。そんな目をしていた。
「……やはり、そうなんですかな?」
樫川も気づいたようだった。驚愕の表情をしている。
俺はまるで分からなかったので樫川に訊ねた。
「樫川、お前、何か分かったのか?」
「……僕が言えることではありません。言えるとすれば家族の方だけです」
なんなんだ、一体。何が起ころうとしているんだ?
綾子さんの目から滂沱の涙が流れた。
「わ、私、私のせいなんです。全て。白井おじさんも佐々木おじさんも、義父さんも死んでしまったのは、私のせいなんです」
先ほどのお袋のように、泣き崩れてしまった綾子さん。俺は何がなんだか分からなかった。
あやめはお袋の膝から下りて、綾子さんの近くへ来て、背中を抱きしめた。
兄貴は――綾子さんに近づいて、正面から抱きしめた。
「すまなかったな。気づいてあげられなくて。苦しんでいるのに気づいてやれなくて」
「あなた……いえ、私に勇気がなかったからです……」
俺は居ても立ってもいられず、叫んでしまった。
「おい! 何があったっていうんだ! 教えてくれ!」
お袋は「覚えていないのかい」と厳しい声で言った。
「綾子さんの旧姓を、あんたは覚えていないのかい?」
綾子さんの旧姓? ――っ! そうだ!
「く、黒田……綾子……!」
俺は信じられない思いで一杯だった。
「そうさ。そうだよ。綾子さんは黒田さんの養子だよ」
お袋は告げる。真実を。
俺たち家族の運命はどこからねじ曲がったのだろう。
どこでおかしくなってしまったのだろう。
それは定かじゃないけど、確かなことがある。
夢で見た女。
海浜で佇む女。
『佐々木康隆。必ず私の子供を守ると誓って』
あいつはきっと、過去の贄で。
私の子というのは綾子さんであり、そして――あやめのことだろう。
まるで欠けていたピースがつながったように思えた。
確信を得たとき、電話が鳴った――誰のだ?
「佐々木氏。電話が鳴っていますぞ」
指摘されて、俺は自分のものが鳴っていたのに気づく。
スマホを取り出して、確認する。相手は――深沢だった。
そういえば、深沢のことをすっかり忘れていた。
「深沢だ。どうしたんだ?」
「……佐々木氏。一応念のため、スピーカーで取ってくれませんか?」
樫川の言葉に俺は従った。念のためとは一体何なのか、俺には分からなかった。
通話ボタンを押した。
「もしもし。どうしたんだ深沢――」
『ササキヤスタカ、ダナ』
底冷えするような声! 聞いたことのある声!
こいつは! 仮面の男だ!
「お前! 深沢をどうしたんだ!!」
『マダイキテイル。ソレヨリ、オマエニシジヲダス』
声は俺に告げる。
『アスノヨル、ササキアヤメヲツレテコイ。オマエガヨル二オトズレタ、ハイビョウインニダ。デナイト、オンナヲコロス』
そして電話は切れた。
家族と樫川の顔が凍りつく。
俺も同じような表情をしていた。
運命は次第に狂い出す。
そして誰にも止められない。
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