第14話警察 前編

 下宿先に警察が来る前に確認しなければいけないことがあった。だから俺は部屋から出た。そして走り出す。

 本当は確認なんてしないで、何もかも放り出して逃げ出したかった。


 でもそれはできない。できるわけがない。

 何故なら俺の決断で人が死んだのだ。

 狂気に駆られた京極教授。

 もしも昨夜、京極教授のことを話さなければ――


「嘘だろ! 信じたくねえよ!」


 走りながら大声で叫ぶ。行き交う人が俺を不審そうに見つめる。

 構うものか。俺はもうどうにかなりそうになっていた。


「柳葉、占い師、無事で居てくれよ……!」


 さっき、樫川が電話越しにこう助言してくれたのだ。


『おそらく警察は僕と佐々木氏の家に来るでしょう』

「どうしてそれが分かるんだ?」

『申請書に僕たちの住所を書いたからです。それに事務の女性も僕たちのことが印象に残っているでしょう。不審な大学生が京極教授と会い、そしてその教授は殺された。普通ならば疑うに決まっているでしょう』

「じゃあどうするんだ?」

『……占い師さんと柳葉くんは傍に居りますかな?』

「いや、昨日帰ってから見てない」

『二人を探してください。何か分かったことがあるのかもしれませんし、居なくなったこと自体心配です』


 そう言われて気づいた。

 どうして黙って出て行く必要があるんだ? 柳葉はともかく、占い師には帰る家がないじゃないか。


「――っ! 樫川、電話を切るぞ。あいつらを探す!」


 返事を待たずに電話を切って、今走っているのだ。

 くそっ! なんで昨日のうちに探しておかなかったんだ! 

 部屋が荒らされていただろうが!

 なんで奴らに襲われたと考えなかったんだ!


 俺は一心不乱に公園へと向かった。

 占い師と初めて出会った、時峰公園に。

 というより、あそこしか心当たりが無かった。


「こうなるんなら、占い師と柳葉の連絡先知っとけば良かったな……!」


 汗だくになりながら俺は時峰公園に辿り着いた。

 何やら騒がしい。嫌な予感がする。

 中に入ると、そこでは血まみれの占い師を抱えた、柳葉が居た。


「占い師! 柳葉!」


 全速力で二人に近づこうとすると、柳葉はこっちを見て「来るな! 佐々木さん!」と怒鳴る。


「こっちに来ちゃあ駄目だ!」


 その言葉を無視して、公園内に入る――

 そこに居たのは一人の人間。

 夢で見ていた、黒衣と奇妙な仮面の人間だった。


「お前……! 邪教の奴か!」


 恐怖は無かった。それよりも怒りが勝っていた。まるで夢で殺された女の怨念が俺に憑いたようだった。


『キサマハ、ササキダナ』


 聞いていて不快になる発音だった。何の感情も込められていなく、爬虫類のように冷たく無機的な声だ。

 そして何よりも聞き覚えがあった。


「昨日、俺を脅した奴だな!」

『ソノトオリダ。シカシ、キサマニハヨウハナイ』


 そう言ってくるりと背を向けて去っていく。


「待て! どこに行く気なんだ!」


 仮面の男は指を上に向けて言う。


『コントンヨリハイヨルモノノセカイダ』


 訳の分からねえことを言って、それでも歩みを止めない仮面の男に苛立って――


「ざけんな! 逃げんじゃあ――」

「佐々木さん! あいつらには勝てねえ! 手を出すな!」


 必死の形相で叫ぶ柳葉に圧されて、踏みとどまってしまう。

 その瞬間、仮面の男の身体から発せられた黒い煙が目くらましとなり、煙が晴れたときには、居なくなっていた。

 ちくしょう! せっかく見つけたのに!


「おい、占い師さん! 大丈夫か!」


 柳葉の声にハッと気がついた。占い師は怪我をしているんだ。


「う、占い師、あんた――」


 柳葉に抱えられている占い師を見て分かった。顔色が真っ青だ。出血も激しい。呼吸も荒い。

 これではもう――いや、諦めるな!


「……救急車だ! 柳葉、なんとか出血を抑えろ!」

「分かった!」


 俺はスマホを取り出して、119を押す。指がもつれながらもなんとかかけた。


『消防ですか? 救急ですか?』

「怪我人だ! 大量に出血してる! 場所は――」


 容態と場所を告げて、電話を切った。そして占い師のほうに駆け寄った。


「おい、死ぬなよ! どうしてこんなことに! あの仮面の奴がやったのか?」


 柳葉に問うと「分からない」と答えた。


「気がついたら公園に居て、占い師さんが仮面の奴に何かされたんだ。何をされたのかは分からないが、いきなり吹っ飛んで、全身切り裂かれていたんだ……」


 訳が分からない。言っている意味が分からない。


「……あひゃ、ひゃ……あたしも、これまで、かねえ……」


 占い師のか細い声。俺は駆け寄って、彼女の手を握った。


「そんなことを言うな! まだ助かる! 救急車が来るから!」

「……気休めは、いいよ。もう死ぬんだ……自分の、身体だから――」

「諦めるな! 気をしっかり――」


 すると占い師は俺が握っていた手を力強く握った。

 まるでロウソクの火が消えかかる瞬間だけ勢い良く燃えるような、最期の灯火のように強く手を握る。


「奴らは……あんたの、大切な、女の子を、狙っている……」

「――えっ?」

「あんたの姪だよ……それを聞き出せた……」


 俺の姪……? あやめ、なのか……?

 どうしてあやめを狙っているんだ?

 占い師は俺から目線を外し、虚空を見つめた。

 そしてその目が何かをとらえて、ふっと笑った。


「ああ、兄さん……」


 占い師の身体からがくりと力が抜けた。ぶら下がる頭の、その両の目は閉じられていて――そのまま永遠に開かなくなってしまった。


「占い師……? おい、冗談はやめろよ! こんなところで死ぬなよ! ナオミ!」

「佐々木さん……この人はもう、死んで――」


 柳葉の声は耳に届かなかった。

 救急車が来るまで、俺はずっと占い師のことをたった一度名乗った本名で呼びかけていた。


「兄さんの仇を取るんだろう! 奴らに好き勝手やられていいのかよ! ナオミ!」



◆◇◆◇



 救急車が来て、占い師の死亡が確認されて。

 後から来た警察に俺と柳葉は連れて行かれた。

 もしも警察じゃなくて、奴らの仲間だったら、やばかった。

 俺にはもう、戦意というものはなかったから――


 近くの警察署ではなく、おそらく樫川も居るだろう警察署に着くと、すぐに俺と柳葉は別々の部屋に入らされた。多分、取調室だろう。さっきからおそらくとか多分とか、断定できないのは、俺の知識不足と目の前で初めて人が死んだことによるショックからだ。

 一人の若い刑事――西村という――が俺を尋問する。初めは怒っていなかったが――


「いい加減、何か言ったらどうなんだ! 何か知っているんじゃあないか!」


 俺を怒鳴りつけてくる。苛立っているのだろう。

 何故なら、俺が何も喋らないからだ。


「…………」

「黙っていても何も解決しないぞ! 事件が起きた当日、京極教授のところへ行ったのは分かっているんだ! お前が書いた申請書と目撃証言がある! 何か知っているんじゃあないか! それに今朝死んだ女性! あれにも関わっているんじゃないか!」


 流石に暴力は振るわれていないが、こんな風に怒声を浴びせられていると神経がまいってしまう。

 取調室に入るのは初めてだ。しかし意外と清潔で窓もあるのは驚きだった。


「はあ、佐々木。昨日、一緒に教授のところに行った樫川も、外人の女性が死んだ現場に居た柳葉も何も話さない。もしかして、何か知っているから何も言えないんじゃあないか?」

「…………」

「だんまりか……まあいい。こうなれば根競べだな」


 腕組みをして俺の前に座る西村。俺は話すべきことがたくさんあったが、どうせ信じてもらえないだろうと思っていた。

 だってそうだろう? 邪教のせいで教授と占い師が死にましたなんて、言えるわけがない。頭がおかしくなったか嘘を吐いているぐらいしか、思ってもらえないだろう。


 俺だってこんな現実は受け入れたくない。

 俺のせいで、教授が死んだ。あのとき、家族と引き換えとはいえ、教授を引き渡してしまったのは、どう考えても俺の責任だ。

 占い師の死だって、俺がもし夜中の内に二人を見つけていたら逃れられたかもしれない。

 そしてもう一つ、占い師が遺してくれた言葉。


『奴らは……あんたの、大切な、女の子を、狙っている……あんたの姪だよ……それを聞き出せた……』


 それが真実なら、あやめは、奴らの求めている贄ということになる。

 いや、奴らの目的はそうじゃない。生贄を捧げるのはあくまでも過程に過ぎない。

 奴らの目的はあの仮面の男が言っていた。


『コントンヨリハイヨルモノノセカイダ』


 混沌より這い寄るモノの世界?

 訳が分からない。奴らの目的がその世界に行くことなのか?


「何か知っているんじゃないのか! どうなんだ!」


 詰問してくる西村刑事。思考を現実へと戻す。

 時間が経てば、いずれ解放されると思うが、今は一刻を争う。

 早くあやめに会わなければ。

 次に狙われるのは、あやめしか居ないからだ。

 そこに取調室の扉を開けて新しく刑事がやってきた。中年の小太りな男性だ。


「西村。終わりだ。佐々木さんは帰ってもらっていい」

「赤坂さん、どういうことですか? まだ時間はあるでしょう?」


 赤坂と呼ばれた刑事は面倒くさそうに言った。


「上からの通達だ。というより上の身内らしい」

「上の身内、ですか?」

「他県の警部殿の弟らしい。休暇中だってのに、どこから聞きつけたのか分からないが、弟を解放するようにかけあったらしい」


 西村は俺をぎろりと睨んだ。その目は怒りを孕んでいる。


「おい。どうして言わなかった?」

「訊かれなかったからな」

「お前、まさか時間を稼いでいたのは――」

「そんなわけがない。兄貴が助けてくれるとは思わなかった」


 そう言って、俺は立ち上がった。そして赤坂に訊ねる。


「樫川と柳葉も同じように開放してくれるんですか?」

「まあな。一人だけというのも体裁は悪い。三人一緒に帰っていい」

「良かった。それじゃあ失礼しますよ」


 俺は二人の刑事に頭を下げて、その場を去ろうとする。


「いいんですか!? こいつ絶対何か知ってますよ!」

「…………」

「赤坂さん!」


 西村が喚いている。俺は取調室の扉を閉めた。


「何か知っていますよ、か……」


 俺だって知りたいんだ。

 どうしてこんなことになってしまったのか。

 悪夢の原因を知りたかっただけなのに。

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