第13話教授 後編

 翌日。午後十三時。俺と樫川は三須火大学に来ていた。

 どうして二人だけなのか。高校生で見るからに不良な柳葉と怪しげな格好をしている占い師は外見でアウトだったからだ。

 そして深沢は別行動を取っていた。


「私、調べたいことがあるんです」


 眠りから覚めた深沢は、樫川のこれまでの経緯を聞いた後、そんなことを言い出した。


「個人行動は危ないと思いますが……」

「樫川先輩、大丈夫です。危険だと思ったら、すぐに逃げますから」


 正直、心配だが俺は「くれぐれも気をつけろよ」とだけ言った。


「ええ。先輩もお気をつけて」


 珍しく、皮肉や悪口は言わなかった。それがなんだか気にかかった。


「あたしらは本を調べるよ。精神衛生上は良くないけどね」


 占い師と柳葉は俺の部屋で蔵書を調べることになった。


「無事で居てくれよ? 帰ってきたらお前らが死んでいるなんて嫌だからな」

「……努力する」

「あひゃひゃ。まあなんとかするさ」


 そういうわけで俺と樫川は三須火大学に来ていた。はっきり言って俺の通っている大学とは雲泥の差の名門だから気後れする。大学に行き交う奴みんな頭良さそうだし。


 まずは大学の事務室に向かう。案内板に従って、入り口近くの建物に入る。


「すみません。京極教授っていらっしゃいますか?」


 事務室で受付をしていたお姉さんに話しかけた。お姉さんは若くてそこそこ可愛かった。

 名札には『杉本』と書かれていた。


「京極教授ですか? その前にあなた方はゼミの方ですか? それとも外部の方ですか?」

「外部の者です」

「でしたら訪問予約を取っておりますか?」


 杉本さんは事務的に訊ねてくる。俺たちは顔を見合わせた。


「いえ、取っていません」

「でしたらお会いすることはできません。京極教授は予約を取らないとお会いできないのです」


 仕方ない。それでは訪問予約を取ることにしよう。


「どうやって訪問予約を取るんですか?」

「こちらの申請書に氏名と住所と電話番号、訪問理由を書いていただいたら、可能です。しかし京極教授に会うとなると、数週間かかりますよ」


 うわあ。めんどうくせえ!


「佐々木氏。電話で話してみることはできないか、訊いてみましょう」

「そうだな。教授とちょっと話せませんか?」


 杉本さんはじろじろと怪しげに俺たちを見つめた。疑っているようだ。


「あの、失礼ですけど、教授と何の関係があるんですか?」

「いえ、会ったことはないんですけど――」

「では、電話で我々の訪問を伝えるのは駄目ですかな?」


 埒が明かないと思ったのか、樫川はそんな提案をした。


「訪問を伝える、ですか?」

「ええ。蔵書を譲った佐々木の息子が会いたがっていると伝えてくだされば、それで構いません。それで駄目なら訪問予約を取りますので」


 杉本さんは悩んだ挙句、固定電話に手を伸べた。


「分かりました。伝えてみます。その間、申請書に記載していてください」


 俺たちは素直に申請書へ必要事項を書き出した。


「すみません。京極教授ですか? 事務局の杉本です。今、お会いしたいという二名の外部の者が居まして。ええ。蔵書を譲った佐々木の息子さまが――はい? お会いになると?」


 どうやら会ってくれるみたいだ。俺は一応最後まで書いてからペンを置いた。


「分かりました。ではそう伝えます。はい、失礼します」


 電話を切ってから、杉本さんは俺たちに「お待たせしました」と言う。


「お会いになられるそうです。場所は――」



◆◇◆◇



「よく来たね。えっと君が佐々木康隆くんだね。お兄さんとよく顔が似ている。それでそちらの彼は?」

「僕は佐々木くんの付き添いの樫川といいます。まあ気にしないでください」


 案内された場所は構内の奥にある個人研究室だった。かなり広々としていて、京極教授の大学内での地位の高さを表していた。


 京極教授は五十代の老人だった。髪は総白髪だが背筋は曲がっておらず、とても健康的に見えた。いかにも学者らしい風貌。

 俺たちは自己紹介を終えた後、座って話をすることにした。


「それで、話とはなんですか? ああ、蔵書を返してほしいというのはお断りだよ。あれは学術的に貴重な本だ」


 牽制するようにぴしゃりと言う京極教授。俺は「いえ、実は蔵書を見せてほしいと思いまして」と言った。


 みんなと相談した結果、その蔵書が奴らの求めているものかどうか一度知ろうということになった。もしもそうだったら教授にも危険が及ぶ。奴らに狙われてしまうかもしれない。


「ああ。見せるだけなら構わないよ。今手元にある」


 そう言って京極教授は立ち上がると奥の部屋に入って、しばらくしてから戻ってきた。

 手にしているのは赤黒い革の本だった。


「な、何か禍々しいものを感じますな……」


 樫川の言うとおり、とてもまともな神経を持っていたら触れない本だ。不気味というか吐き気を催すような、そんな印象を受ける。


「分かるかい? これは原書であり幻書さ。今から遡ること数百年、暗黒時代と呼ばれた中世ヨーロッパで作られた異端書だ。これは邪教の信仰について書かれている」


 また邪教か。その言葉は何度も聞いてうんざりする。


「未だ解読中だが、不老不死の方法や邪教の使徒になる方法も書かれている。まさに異端書だ。なんと冒涜的なのだろうね」


 笑いながら話している京極教授。何かがおかしい。


「ところでこの革が何なのか、君たちには分かるかな?」


 唐突な質問に俺たちは顔を見合わせた。


「いえ、分かりませんな」

「俺にも分かりません」

「ふふふ。これはね、人の皮を使っているんだよ」


 俺はあっさりと告げられた事実にゾッとする。そして知りながら手に取る京極教授にもゾッとした!


「書かれているインクは人の血液らしい。紙は普通だけどね。しかし数百年前の紙だというのに劣化していない。何か魔術が施されているのかな?」

「魔術ですって? 大学の教授ともあろうお方が、魔術を信じているのですかな?」


 樫川の言葉に京極教授は狂気染みた笑みを見せた。


「おや。魔術を信じていないのかな? 信じているからこそ、ここに来たのではないのかな?」

「……それはどういう意味だ?」

「何か不思議なことがあったから、私を訪ねてきたんじゃないのかな?」


 俺たちの思惑を見事に当てた京極教授。


「あんた、何者なんだ? どうしてそれを知っているんだ?」

「ふふふ。私は普通の大学教授さ。しかしこれからは違う。魔術の存在を知った。邪教の存在を知った。後はどうするか君たちには分かるかい?」


 さっぱり分からない。しかし樫川には理解できたようで静かに答えた。


「理論の後は実践ですかな」

「ご名答。私は――魔術を使いこなす。そして永遠に生きてみせる」


 く、狂っている! そんなことできるわけがない!


「ふざけるな! そんなことできるわけがねえだろう!」

「そうかな? まあいいさ。信じようが信じまいが関係ない。さあ話は終わりだ。帰ってもらおう」


 京極教授は本をぺらぺらとめくり、何やら唱えた。

 意味は分からなかったが、冒涜的な言葉であることは理解できた――



◆◇◆◇



「佐々木氏! 大丈夫ですかな!?」


 ハッとして現実に戻る。ここは三須火大学の入り口だった。

 教授と話していたはずなのに、何故ここにいるんだ?

 しかも昼過ぎに入ったのに、すっかり夕方になっている。


「何が起きたんだ? 教授と話していたはずじゃ――」

「どうやら操られてしまったようですな。おそらく催眠術の類かもしれません」


 樫川は厳しい顔で呟いた。俺は信じられない思いだった。今生きているこの世界に、魔術が、オカルトが存在するなんて!

 柳葉のこともあったから、実在するとは思っていたが、実際に体験するとゾッとした。


「もう一度会おうとしても無駄ですな。門前払いされるだけです」

「仕方ない。今日は帰ろう。なんだか疲れた」

「諦めるんですかな?」

「いや、必ず取り返す。今度は占い師と柳葉も連れてこよう。魔術を使う前に押さえればなんとかなるだろうよ」

「……犯罪になりますぞ」


 俺は樫川の顔を真っ直ぐ見て言う。


「あの本は危険だ。お前もそう思うだろう? 犯罪だろうがなんだろうが、取り返さないといけない」


 樫川は納得してない風だったが、説得し続けると折れてくれた。

 とりあえず俺たちは大学の入り口で別れることにした。

 狂気に駆られた教授をなんとかしなければ。

 それだけしか考えられなかった。



◆◇◆◇



 その日の夜。俺は下宿への道を急いでいた。

 人身事故で電車が止まって、こんなに遅くなってしまったのだ。

 辺りはすっかり暗くて、電灯の明かりだけが街を照らしていた。

 しかしいつもと違うのは誰も居ないことだった。珍しい。いつもなら酔っ払いやら若者やらが居るはずなのに。

 嫌な感じがする。自然と早足になって――


 ぴきんと何かが割れる音がした。

 そして俺は動けなくなる。金縛りか!? 立ったまま俺は一歩も歩けない。瞬きすらできない。


 電灯の明かりが次第に消えていく。そしてまったく何も見えなくなった。

 暗闇が俺を襲う。恐怖と不安で俺を襲いにかかってくる。

 やがて、こんな声が、した。


『ホンハ、ドコダ?』


 底冷えするような声だった。


「お、俺の、部屋にある……」


 正直に答えるしかない。命の危険だと分かってしまう。警鐘が頭の中でガンガン鳴り響く!


『チガウッ!』


 声は強く否定した。


『×××ヲカイタ、ホンダ』


 前半は分からなかった。少なくとも日本語じゃなかった。英語でもなかった。

 俺の脳裏に京極教授の顔が浮かんだ。もしかするとあの本のことかもしれない。だけど言えない。言えるわけがない! だってそうだろう? もしも話せば、こいつが京極教授の元へ向かうかもしれない。狂気に陥った人でも売るような真似はできない!

 だが言わなければ俺は殺されるだろう。どうしたらいいか――


 迷いに迷っているとまた声がした。


『コレヲ、ミロ』


 俺の前に何かをかざされる。暗闇ではっきりと分からない。しかし目を凝らして見る。

 それは、一枚の写真。

 俺の部屋のアルバムに仕舞っていた写真。

 お袋と兄貴と綾子さんとあやめが笑顔で写っている写真。


「てめえ、兄貴たちに、何をする気なんだ……?」


 すると声がした。


『ヒトリダケ、ツレテイク』


 連れて行く? どこに?

 俺は柳葉の親友、木戸のことを思い出した。

 俺は観念して、話してしまった。家族と京極教授を天秤にかけて、選択してしまった。


「三須火大学の、京極教授が、持っている」


 すると電灯の明かりが戻って、道を明るく照らした。身体も動く。

 俺は振り返ることなく、走って下宿先まで戻った――



◆◇◆◇



 下宿先に帰ると部屋が荒らされていた。居るはずの占い師が居なかった。

 いや、それよりも確認することがある。

 俺は兄貴に電話をかけた。


『おー、なんだ。こんな時間に電話なんて』

「みんなは無事なのか!?」

『はあ? みんなって……』

「お袋と綾子さんとあやめだよ! みんな家に居るのか!?」

『大声で怒鳴るなよ。みんな居るって。何かあったのか?』

「……いや、居るならいいんだ」


 俺は兄貴の返事を待たずに切った。そしてそのままベッドに倒れこむように眠った。

 夢は見なかった。何も見たくなかった。


 そして翌朝。

 俺は樫川からの電話で起きた。そして言われたとおり、テレビを見る。


『昨日未明、三須火大学の教授、京極総一郎さんが同大学内において遺体で見つかりました。警察は何者かが京極さんを殺害したとみて、捜査を行なっています――』

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