第7話夏祭り 後編

 夕方になってから俺たちは街のお祭りに参加した。人や出店が多くて活気にあふれている。都会の祭りは地元のものとは大違いだと改めて実感する。


 そういえば去年はバイトで参加できなかったな。

 でもまあ恋人もいねえのに祭りなんて参加しても虚しいだけだ。

 周りを見渡せばカップルばかりだな。くそ、腹立たしいぜ。


「叔父さん。似合っているかな?」


 あやめは俺が買ってあげた浴衣を着ている。大型スーパーで買ったので、そんなに上等ではないが、元々可愛らしいあやめが着ると、高価なものに見えるから不思議だ。

 叔父という贔屓目もあるかもしれねえが、あやめは美人さんだからな。


「ああ。とても似合っているぜ」


 あやめは「ありがとう」と表情一つ変えずに答えた。

 うーん、こいつは照れることがあるんだろうか?

 とりあえずあやめに「なんか欲しいものあるか?」と訊ねた。


「ううん。欲しいものはあまりない」

「あん? じゃあなんで祭りに出たがっていたんだよ」

「……内緒」


 無表情だが、どこか可愛らしかった。

 言うつもりはないらしい。

 仕方ないな。とりあえず何か買ってやるか。

 そう思って周りをキョロキョロ見渡すと――


「ちょっと! なんなのよあんたら!」


 聞き覚えのある声に反応して、その方向に顔を向けると、なんと浴衣を着ている寺山部長が居た。よく見ると村中も一緒に居る。


「いいじゃんおねーさん。そんな男をほっといて、みんなで遊ぼうよ」

「そうだぜえ。楽しいことしようぜ」


 二人組みの不良っぽい高校生に絡まれていた。周りは見ないふりをしている。


「あんたらと遊ぶくらいなら、畳の目を数えてたほうがマシよ。行くわよ、村中!」


 そう言い放った寺山部長は村中の手を取ってその場から離れようとする。


「はあん。なかなかきついこと言ってくれんじゃねえか」


 寺山部長の肩を掴む高校生の一人。強めに握られているせいか、動けないらしい。


「ぶ、部長から、離れるんだ!」


 村中が不良をなんとかしようと声をあげるが「うるせえよ」ともう一人の不良に殴られてしまう。


「村中! 大丈夫!?」

「うう……」


 倒れた村中に駆け寄ろうとする寺山部長。しかし肩を掴まれているせいで動けない。


「はーい、ダウンね。さあ行きましょ、おねーさん」

「いや! 放して!」

「いい加減にしないと、そこのおにーさんが――」

「そこのお兄さんがどうなるって?」


 まったく平和的に祭りを楽しめないのかねえ。そう思いつつ、俺は不良の肩に手を置いた。


「……誰だあんた」

「正義の味方だ。ま、もちろん嘘だけどな」


 俺は寺山部長と不良の間に割って入り、肩を握っている汚い手を払い飛ばした。


「さ、佐々木!」

「大丈夫ですか部長。それと村中、怪我は無いか?」

「さ、佐々木先輩……」


 二人ともホッとした顔になっている。


「なんでここに居るのよ?」

「ああ、この子が祭りに来たいと言いましてね」


 そう言ってあやめを二人に紹介した。あやめは無表情に「佐々木あやめです」と名乗った。


「可愛い! お人形さんみたいね!」

「先輩の親戚の子ですか?」

「そうだ村中。俺の姪だ」

「うっそマジで? 目つきが邪悪じゃないわ!」

「あんた俺の目つきを邪悪だと思っていたのか!」


 部長があやめを抱きしめる。

 あやめは無表情に受け入れた。


「おいおい。俺たちを無視してんじゃねえよ」


 苛立った声で、まだ不良どもが居たんだと気づく。


「うん? ああ、これから俺たちで遊ぶから。お前ら帰っていいよ」

「……ふざけてんのか?」


 なんか知らないけど、どうやら怒らせてしまったようだ。


「はあ。めんどうくせえな。寺山部長と村中のことは水に流してやるから――」


 そこまで言った瞬間、不良の一人が俺に殴りかかってきた。

 俺は拳を片手で受け止めて「一応、正当防衛だからな」と周りに聞こえるように言って、それから掴んだ拳を下に引っ張って体勢を崩して――腕を捻り上げてやった。


「うがあ! 腕があ!」


 汚い悲鳴。そして腕を抑えてその場にうずくまる。

 俺は呆然としているもう一人の不良に「早くどっか行け」と忠告する。


「このままぶちのめしてもいいけどよ。その後祭りを楽しめなさそうだから、許してやるよ」


 余裕ぶっているけど、今のは相手が油断していたから成功しただけで、本当は喧嘩など強くないのだ。

 でもそんなことはおくびに出さない。釈然と不良を見つめる。


 もう一人の不良は一瞬怯んだが、それでも戦意は失わなかったらしく「ちくしょうがっ!」と怒鳴って襲い掛かろうとする。

 俺は身構えた――


「おいおい。やめとけよ。お前ら人のシマで何してくれてんの?」


 軽い感じで割り込んでくる声。俺も不良も思わず止まってしまう。

 見ると金髪で鼻ピアスの浅黒い、浴衣姿の不良が居た。にやにや笑っている。


 そいつが声をかけたのか――いや、そいつの後ろに居る奴はもっとやばい!


 金髪の後ろに居る百八十、いや百九十ぐらいありそうな大男。黒の短髪でかなりの強面。

 多分、兄貴と同じくらい鍛えられた肉体。鷹のような鋭い眼。

 白い浴衣がまるでやくざに思える。


「木戸と……柳葉……」


 不良が慄いた様子で呟く。金髪はにかっと笑った。


「なに? 俺らのこと知っているの? じゃあ駄目じゃない。君、第二市立高校じゃないでしょ?」

「そ、それは……」

「一応さ、話し合いで今年はうちが仕切ることになっているんだから。他校の人間は関わらないって協定が結んでいるじゃない」

「えと、その、俺たちは――」

「黙って参加するのは、まあ見逃してもいいよ。ちゃんとルールを守ってさ、祭りを楽しむ分にはね。そりゃあそうだもん。みんなで楽しんだほうが面白いよね」

「…………」


 金髪がさりげなく間合いを詰める。

 不良はまったくそれに気づかない。


「でも問題を起こされるのは困るんだよね。だって第二市立高校が仕切っている祭りに問題なんて起こったら、俺らの立場ないじゃん」

「……えっと、その――」

「……てめえら舐めてんのかゴラァアア!」


 さっきまで穏やかに話していた金髪だったが、いきなりヒートアップして、不良の襟を掴んで組み伏せた。

 おお、多分柔道の技だな。


「一般人に絡んでいるんじゃねえよ。これって俺らを舐めているってことだよな? なあ? なあ!?」

「す、すみません――」

「謝る人、間違えてんじゃねえよ! こっちの人たちだろうが!」


 金髪がマウントポジションのまま、不良を殴ろうとしたので、俺はすかさず腕を抑えた。


「……なんすか?」

「もう、十分だ」

「一応、あんたらのためにやってるんすけど」

「一人は俺がやっているし。そいつも二度と馬鹿な真似はしないだろう。それに子供も見ている」


 あやめのほうを指して、金髪と見つめ合う。

 こちらに対して敵意はないみたいだが――


「木戸。もういい」


 今まで黙っていた短髪長身が口を開いた。


「そちらさんが言うなら、それ以上手を出さなくていい」

「……柳葉が言うなら、仕方ないなあ」


 金髪――木戸は不良から離れた。


「ほら。もうどっか行け。人に迷惑かけるなよ」

「す、すんませんでした!」


 不良たちは互いに肩を貸しながら、人ごみの中に紛れた。


「いやあ。それにしても、お兄さん、強いですね」


 不良たちが見えなくなった後、木戸が軽い感じで話しかけてきた。


「身内から護身術を簡単に習っていただけだ。君みたいに本格的に鍛えているわけじゃない」

「へえ。そうなんすか。でも護身術であそこまでやるのは十分凄いっすよ」


 なんだか分からんが気に入られてしまったようだ。


「柳葉もそう思うだろう?」


 柳葉は「そうだな」と短く答えた。


「ご迷惑をおかけして申し訳ない。ああいう輩は真っ先に俺たちが排除しなければいけなかった」


頭を下げる柳葉に「いいよ別に。気にしないでくれ」と軽く言ってやる。


「それでは失礼する。木戸、行くぞ」

「へいへい。それじゃあ強そうなお兄さん。またどこかで会いましょう」


 柳葉と木戸が去っていくと寺山部長が「やるじゃない、佐々木」と思いっきり背中を叩いた。テンションが上がっているのか、とても痛い。


「叔父さん、かっこよかった」


 あやめは無表情に言って、俺の左手を握る。


「佐々木先輩が居なかったら、僕たち危なかったですね」

「村中。悪いな、部長とのデートに割り込んじまって」


 すると村中は顔を真っ赤にした。しかし部長は「デートじゃないわよ」と軽く手を振った。


「一緒に祭りに行こうと誘われただけだわ。別に付き合ってもないのよ」


 なるほど。しかし村中にしては勇気を振り絞ったな。

 村中が部長に好意を持っていることは部長以外知ってるしな。


「さあ行くわよ村中。時間を無駄にしちゃいけないわ!」


 そう言って村中の手を引いて歩き出す部長。


「佐々木! 職質されないように気をつけなさいよ!」

「余計なお世話ですよ、部長」


 そう言って二人もどこかへ去っていった。


「村中の奴、大丈夫かな」

「……大丈夫だと思う」


 あやめは俺にだけ聞こえるような声で言う。


「好きじゃなかったら、一緒に祭りに出かけたりしない」


 子供のくせに鋭いことを言う。

 確かに脈がなかったら、断るだろうな。

 俺とあやめはしっかりと手を握って歩き出した。

まずはあやめにわた飴を買ってやるのだ。



◆◇◆◇



 夜が更けて周りが帰りだした頃。

 俺はあやめを探して走り回っていた。

 ちょっと目を離した隙にどこかへ行ってしまった――いや、言い訳はやめよう。


「すみません、この子見ませんでしたか?」


 帰ろうとする人々にあやめの写真を見せた。

 出かける前にスマホで撮っていて正解だった。後で兄貴たちに送る予定だったのだ。


「ああ、その子なら一人で神社のほうへ歩いていったよ。なんだ、君が保護者だったのか」


 出会う人に話を聞いてもらって、ようやくあやめを知っている、おじいさんに会えた。

 その人は神社の方向を指差した。


「一人きりだったけど、泣いているわけでもなかった。迷子には見えなかったが……駄目だろう、目を離しちゃ。小さい子なんだから」

「すみません! ありがとうございます!」


 礼もそこそこに神社に向けて走り出す。確か神社の裏手は小さな森になっていて、子供が迷うのに十分な広さだ。

 神社の裏手は鬱蒼としていて、正直不気味だった。ここ数日の嫌な出来事を思い出してしまう。

 なんとか勇気を振り絞って、森へと足を踏み入れた。


「あやめー! どこに居るんだ! 返事をしてくれ!」


 呼んでも叫んでも、あやめは一向に現れない。それどころか返事もしない。

 もしかして、ここには居ないのか? そう思った矢先、足元に何かがあることに気づいた。

 見覚えがある、水風船。

 祭りであやめに買ってやった水風船だった。


「あやめ! ここに居るんだろう! 頼む、返事をしてくれ!」


 暗闇で覆われた森を必死になってかき分けて探した。


「あやめ、どこに居るんだよ!」


 声が嗄れかけるほど大きな声で叫んだ。

 すると――


「叔父さん、こっち」


 あやめの、声が、した。


「あやめ! そこに居るのか!」


 声のしたほうへ全速力で駆ける。

 何度も転びそうになるが、構うものか。

 あやめに何かあったら兄貴たちに合わせる顔がない。

 だから、無事で居てくれ。


 暗闇が少しずつなくなり、明るくなっていく。月明かりだ。多分、木の間隔が広がっているからだろう。


 そして、ようやく見つけた。


 あやめは月の光を浴びながら、空を見上げていた。

 口元が動いている。何かと会話しているようだった。

 ――何か?


「あやめ、ここに居たのか……」


 安心して身体中が弛緩する。走れなかった。ゆっくり歩いてあやめに近づく。


「叔父さん……」

「心配かけやがって。後で説教――」


 そこまで言って、気づく。

 あやめの周りは異常に明るかった。

 まるで光源が近くにあるような。

 月明かりで照らされているのに――


「叔父さん。危ないよ」


 何が危ないのか、分からなかった。

 その言葉の意味を知る前に、何かに襲われていたから。


 光の筋が真っ直ぐ俺に向かってくる。そして蛇のように俺の首筋に思いっきり噛み付いた。

 噛み付かれたというより咥えられたと表現したほうがいい。片手で首を絞められたように大きく――そして光の筋は俺の首をへし折った。


 悲鳴も断末魔も出せなかった。そのまま倒れて、動けなくなる。

 最後に見たのは。

 あやめの無表情な顔だった。



◆◇◆◇



 これは夢だ。

 悪夢に違いない。

 何故なら名状しがたい薄気味悪い大男が俺を見据えている。


 かなり大きい。八メートルくらいはあるだろう。丸々と太っていて、悪臭を放っている。

 そして直感した。こいつは人間の敵だ。きっと悪魔や妖怪、邪神と呼ばれる類のものだ。


「贄が足らないなあ」


 大男は何かをむしゃむしゃと手掴みで食っていた。


「そこの人間、食わせてくれ」


 気がつくと右手と首元を抉られていた。いや、喰われていた。


「美味しいなあ。美味しいなあ」


 その場に倒れてしまう。

 ああ、死ぬんだな。

 それしか考えられなかった。



◆◇◆◇



「叔父さん、大丈夫?」


 気がつくとあやめに膝枕されていた。

 辺りを見渡す。

 神社の境内のベンチで俺は寝ていたようだった。


「ここは……あやめ、無事だったのか!?」

「うん。叔父さん、大丈夫?」

「ああ、平気だ……あの大男は?」


 つい夢の内容を口に出してしまう。あやめが知っているわけがないのにな。


「知らないけど、帰ったんじゃないかな」


 なんで知らないのに帰ったと分かるのか。不思議でしょうがなかった。


「……帰るか」

「うん。そうしよう」


 疑問に思うことがたくさんあった。

 どうして森に居た俺が境内のベンチに寝ていたのか。

 あやめが運んだにしても、大の大人をどうやって運んだのか。

 しかも奇妙なことに身体は土などで汚れていなかった。

 加えてあの光がなんだったのか。

 会話しているように見えたのは俺の妄想なのか。

 そしてあやめは何故、迷子になってまで、森の中に入り込んだのか。


 この他にも多くの疑問があるが、解決するにはあやめに事情を聞かないといけなかった。

 しかし聞けなかった。

 何故だろう。大学入学まで一緒に暮らしていた、血の繋がった姪であるあやめを、上手く言えないが。疑いたくなかったのだ。


 もしもなんて言葉を使いたくないが。

 このとき訊ねていれば。

 運命は変わっていたのかもしれない。

 だけど今、手をつないでいる姪を疑わしく思うなんてできなかったのだ。

 人間として、それはできなかったのだ。


 翌日。迎えに来た兄貴にあやめを引き渡した後、何気なく首の裏を見てみた。

 何かに噛まれたような牙の痕。

 まるで印を刻まれた気がして、不気味で仕方なかった。

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