第8話廃病院
「佐々木さん。なんか元気ないっすね」
祭りの日から二日後。
コンビニのバイトの最中で、深夜のシフトのことだった。
午前三時を回っていたときだったと思う。
俺は隣でレジについている一個下の専門学生、宮松と話をしていた。宮松は髪を金に染めていて、不良というか軽い男みたいな風貌だが、意外と男気あふれる良い奴で、バイト仲間から好かれていた。
「そうか? めちゃくちゃ元気だぜ?」
「なんつーか、物思いに耽っているっていうか、時々遠くを眺めていて、仕事が身に入ってないっていうか」
「あー、マジか? 俺なりに真面目にやっているけど」
「いつもと比べて散漫? になっていますよ」
宮松はなんだかんだ視野が広い人間かもしれない。そりゃあ下の人間に慕われるな。
「悪い。集中するわ」
「何か嫌なこととかあったりするんすか?」
「……そんなんじゃねえけどよ。まあ家族のことでセンチになっているのかもな」
「……えっと、確か親父さんが亡くなられたって聞きましたけど」
「まあ、ほんのちょっとだけどな」
これは嘘だった。本当は最近起きた不思議な現象やあやめのことだった。前者は樫川たちと調べてはいるものの二人からは連絡が来なかった。俺も必死で親父の日記を読み探しているが、具体的な対抗策が書かれていなかった。それに読むにつれて親父の狂人染みた記述が多くなり、こちらの気が狂いそうになる。
それとあやめのことも気にかかった。あの『光』と会話している様子は今思い返しても異様だった。まるで対等のように話していて、気味が悪かった。
実の姪をそんな風に見ることに対して、罪悪感を覚える。
目に入れても痛くないくらい可愛い姪なのに。
それに親父の家に入る前の会話も今から思えば疑わしい。
『嫌な感じがする。叔父さん、入らないほうがいい』
まるで予感していた台詞だったような――
「佐々木さん? どうかしたんですか?」
宮松の心配そうな顔。いかん、集中すると言ったばかりなのに。
「マジでごめん。なんでもないわ」
「そうっすか? じゃああれはやめといたほうが良いか」
後半は俺に聞かれないようにボソッと言ったつもりだろうが、客のいないコンビニで聞き逃すのは土台無理な話だ。
「なんだよ。言ってみろよ」
「聞こえてたっすか? えーとですね、俺の高校の後輩に頼まれていたことがあったんすよ」
「お前の後輩に? なんだよそれ」
あんまり気持ちのいい話じゃないんっすけどねと前置きして、宮松は話し始めた。
「夏休みつったら肝試しじゃないですか」
「……まあそれがメインじゃないけどな。それで?」
「そんで高校の後輩が廃病院に忍び込んで、肝試しやったんですよ。確か六人ぐらいで。男女が半々で。まあその後いちゃつく予定だったんでしょう。でも最初に入った男女二人組みが出てこない。仕方なしに四人が探しに行ったら――」
そこで言葉を切って、それから宮松は小さな声で言う。
「二人とも、身体中に傷を負って、気絶してたんです」
「……傷? どんな傷だ?」
俺は首筋を撫でながら訊いた。
「なんか噛まれたような傷跡らしいんですよ。医者が言うには、ネズミの集団に噛まれたみたいですね」
「おいおい感染症とか平気かよ?」
「処置が早くて、大丈夫だったらしいんですけど、女の子のほうは何も話せなくなっちゃいましたね」
「失語症ってやつか?」
「そうみたいです。男のほうも部屋に引きこもって何かに怖がっているようなんですよ」
暗闇で集団のネズミに襲われたら恐怖でそうなるのも当然か。
「まあなんていうか、それで揉め事があったんですよ」
「どんな揉め事なんだ?」
「その、二人組みの片方の女の子が、実は別の高校の番長の妹なんですよ」
今どき番長なんているのか?
そっちのほうが驚きだった。
「妹は俺の高校の生徒なんですけどね。ま、別の高校――荒尾高は男子高だからですが。荒尾高を仕切る番長がうちの高校の番長と揉めましてね。妹を怪我させた責任を取れって話になったんですよ」
「責任か。肝試しに誘った男を坊主にでもして、ケジメ取らせればいいじゃねえか」
宮松は「それも考えなくもなかったんですけどね」と肩を竦めた。
「話し合いが拗れてしまって、どういうわけか、廃病院の怪奇現象を解決することでケジメを取ることになったんですよ」
「はあ? あれはネズミのせいじゃねえのか?」
「俺も詳しく知らないんですけど、どうやら違うみたいです」
そして宮松は俺に向き合って言う。
「そんで佐々木さんに頼みたいのは、立会人になってほしいんです」
「……立会人? 喧嘩じゃあるまいし、そんなもんいらねえだろ」
宮松は「馬鹿な後輩の馬鹿な考えですが」と苦笑しながら言う。
「廃病院の怪奇現象を解決なんて一介の生徒にできるわけがないっすよね」
「そりゃそうだな」
「だから代わりに深夜に廃病院を回って、異常がないか確認することが落としどころになったんですよ」
なんだか筋が通っているのか通っていないのか分からない話だ。
「それで代表の二人がきちんと回っているか確認するために人をつけることになりまして」
「スマホの動画か何かを回すのは駄目なのか?」
「あ、それも同時にやるみたいです。それで十分だと思うんですけど」
信用の問題になってしまうのか。
「そんで、俺が立会人に選ばれたんですけど、その日、親戚の結婚式がありましてね」
「それはめでたいな。ああ、なるほど。だから俺に頼むわけだな」
「そうなんですよ。でも佐々木さんは無関係ですし、凶暴なネズミの出る廃病院に行ってほしいなんて……すみません、聞かなかったことにしてください」
ここで断ることができたのは事実だ。しかし困っている宮松に対して力を貸してやりたいと思った。思ってしまったのだ。
「別にやってもいいぜ。宮松にはバイト代わってもらってたからな」
すると宮松は嬉しそうに「マジっすか! ありがとうございます!」と手を握ってきた。
「いやあ良かった。でも大丈夫なんですか? 親父さんのこともありますし、不謹慎かなと思ったんですけど」
「気にするな。それでいつなんだ? 俺のシフトどうなっているんだ?」
「あ、安心してください。佐々木さんのシフトには影響ないっすよ。明後日です」
宮松は見た目よりは用意周到なのかもしれない。
了承した俺はフライヤーの準備をし始めた。
もうすぐ夜が明けて、早起きのじいさんが買いに来るのだ。
用意しとかないと文句を言われる。
◆◇◆◇
そして明後日の晩。
俺は指定された場所に来ていた。廃病院の近くのコンビニ前だ。バイクを停めて、辺りを見渡す。
すると見覚えのある金髪と長身が居た。二人ともワイシャツに学生ズボンだった。金髪は座り込んでいて、長身は立ってソフトクリームを食べていた。
「うん? えっと、あんたどこかで見たことあるなあ」
金髪――確か木戸だっけ? に近づきながら俺は言った。
「もしかして宮松の後輩ってお前らだったのか?」
すると木戸が「うん? じゃああんたが宮松先輩の言っていた佐々木さんですか?」と驚きながら立ち上がった。
「妙な偶然もありますね。えっと、第二市立高校の木戸です。こっちは柳葉」
「……お久しぶりです」
親しい間柄ではないが、初めましてではないから、柳葉の言う挨拶が一番適当かもしれない。だから「久しぶりだな」と返した。
「まさか佐々木さんが立会人とは。世間って狭いですね」
「そうだな。というかお前らが代表ってことは、どっちが番長なんだ?」
木戸は柳葉を指差して「こっちです」と言う。
「ていうか番長って言い方、なんか嫌なんですよね。時代錯誤っていうか」
「あー、やっぱり。俺もそう思っていた」
「柳葉も嫌だよな。お前が嫌って言ったら伝統が終わるのに」
「……先輩に悪いだろう」
「なあ。その札なんなんだ?」
俺は柳葉の胸に掛かっている木製の長方形の札を指差した。表面には宝石か何かがはめ込んでいる。
「ああ、占い師にもらったんです」
「占い師?」
この前出会った中年の女を思い出した。
「こいつ意外とそういうの信じるんですよ」
「……お前と違って信心深いんだ」
そんな会話をしつつ、廃病院前にやってくると既に荒尾高校の学生が一人居た。
「逃げずに来たな。流石、柳葉と木戸だな」
がたいのいい高校生――多分、番長だろう――が腕組みをしている。
「お前らに直接関係ないことだが、妹のこともあるからな」
「あん? あんた一人か? 鈴井さんよ」
木戸に鈴井と呼ばれた男は「ああ、俺一人だ」と答える。
「証人と立会人が居れば十分だろう」
「あっそ。じゃあ俺ら行ってくるわ。さっさと終わらせて受験勉強したいんだよ」
木戸は軽い感じで手を振って、廃病院の敷地に躊躇なく入る。
柳葉も怖がらずに黙って入って行くのを見て、おいおい最近の高校生って度胸あるなあと思った。
看板が剥げていて名前は分からなかったが、結構古い建物で三階建ての小さな病院だった。
窓ガラスが所々割れていて、落書きもされている。
ていうか門に鍵がかかっていない。
高校生が肝試しに来るのも分かるな。
「なあ。さっきの奴と柳葉がタイマン張れば終わった話じゃないのか?」
「まあそうなんすけど、話の流れでこうなったんですよ」
最近の高校生は馬鹿なのか?
木戸はスマホのカメラで映像を撮る準備をした。柳葉は懐中電灯を点けて辺りを照らす。
一応、俺も懐中電灯を持ってきたが、明らかに心細い。
玄関を通り、中に入ると空気がひんやりとしている。夏の夜特有の涼しさだけではなく、廃墟から出る寂しさも含まれているのだろう。
歩くたびにかつんかつんと足音が鳴り響く。お化け屋敷とか苦手じゃないけど、この雰囲気はやばいな。
「一応、実況とかしといたほうがいいっすかね?」
木戸が俺に訊ねてきたので「そうだな。時計とか見せるのもいいんじゃないか」と答えた。
「腕時計持ってないっす。柳葉は?」
「持ってないな。佐々木さんは?」
「持っているぜ。ほら。九時四十分だ」
光で照らして時計を見せてやる。
エントランスを抜けて二階に上がる。
埃やゴミが多い。動きづらいわけじゃないが、息苦しさはあった。
俺たちは病室を次々見てみるが、変わったところはなかった。
「二人組みが倒れていたところはどこなんだ?」
「三階らしいっす」
「じゃあそこへ行こうぜ。さっさと回って帰ろう」
男三人で廃墟めぐりなんてつまらないし、正直慣れてしまって怖くはなかった。
そう言って三階への階段を上がろうとしたときだった。
背中が、ぞくりと、した。
ここを上がってはいけない。
首筋に鋭い痛みが全身に広がって、動けなくなる。
身体中に汗が湧き出る。
「うん? どうしたんすか?」
木戸が俺のほうを見た。柳葉も怪訝そうに見る。
「……三階は駄目だ。上がってはいけない」
「はあ? 何言って――」
木戸は不思議そうに言って、階段に足をかけた――
「上がるな!」
けれど俺の制止の声は遅く――
真っ赤な光に包まれる。
思わず目を閉じてしまった。
「な、なんだこりゃあ!」
木戸の声――
「――っ! ネズミが――」
柳葉の声でようやく目が開けられた。
階段の踊り場の壁。赤い光に映し出された紋章。
そこからネズミのようなものがぼとぼと落ちてくる。
いや、ネズミじゃない!
もっと醜悪で、邪悪で、最悪なもの――
「おい、逃げるぞ! こいつはやばい!」
俺の声に弾かれたように二人も動く。二階から一階へと階段を駆け下りる。
みゃあみゃあみゃあ――
奇妙な鳴き声が後ろからする。ぞろぞろと後を追ってくる!
「なんだあれは!」
「喋るな! 黙って走れ!」
一階に着いて入り口に向かおうとするが、駄目だった。
みゃあみゃあみゃあ――
奇妙な鳴き声がしている!
「奥へ! 急げ!」
柳葉の声に従って、奥へ逃げる。
目の前には手術室と書かれた部屋。
なんとか三人無事で手術室の中に逃れられた。
急いで扉を閉める。
「なんだよ……なんなんだよ! あの生き物は!」
木戸が軽くパニックになって壁を蹴りつける。
「……落ち着け、木戸」
柳葉は息を整えつつ、木戸を諭すように言う。
「あの生き物がなんだが知らんが、時間が経てばいなくなるだろう」
「はあ!? なんで分かるんだよ!」
「もしアレが肝試しの二人組みを襲った生き物なら、後に入った四人はどうして無事なんだ? アレに襲われても不思議じゃない」
「……なるほど。つまり時間が経てば煙のように消えるってわけか?」
意外と冷静かつ説得力のある柳葉の言葉に木戸も落ち着きを取り戻したようだった。
「なあ。どうしてあんたは分かったんだ?」
木戸が俺に問いを投げかける。
「なんだか分からないが、ぞくっとした。嫌な感じがしたんだ」
正直に答えると「……霊能力者か何かですか?」と座り込んでしまう。
「……とりあえず、外に連絡してくれ。警察でもなんでもいい」
「それがよ、柳葉。ありえないことに圏外なんだが」
スマホを振って、使えないことをアピールする木戸。俺も自分のスマホを見るが、圏外になっていた。
「そうか。何か不思議な力が働いているのか?」
「はっ。柳葉よ。オカルトじゃあるまいし、ありえねえよ」
「じゃあ木戸。あの魔法陣はどう説明するんだ?」
「…………」
何も言えない木戸。俺も何も言えなかった。
助けも呼べないこの状況。俺はとりあえず手術室を見渡した。
緑色の壁。所々剥げている。手術台が放置されている。
俺はどこかで見たことがある気がした。
うん? 見たことがある?
初めて来た場所なのに?
思い出せ。重要なことのような――
暗い部屋。
手術台。
拘束。
「――っ! 女が縛られていた場所だ!」
思い出した。ここは夢で見た、あの場所だった!
「いきなりどうしたんですか? 夢? 今度は予知夢ですか? 頭大丈夫ですか?」
木戸の言葉を無視して、俺に床に置かれた不自然な布を持ち上げる。
そこに描かれていたのは――
「血の、紋章……?」
多分、血で描かれた紋章だった。布を全部剥ぎ取ると、かなりの面積があることが分かった。
「なんすか、これは……」
「まさか、人の血、なのか?」
木戸も柳葉も絶句している。
幾何学模様より複雑な紋様が円の中に描かれている。宗教的な意味合いがあるかもしれないが素人の俺には分からなかった。
「まさか、噂の――」
木戸が何かを言いかけたとき。
紋章が赤く輝いて、黒い煙が俺たち三人の身体を包み込んだ。
必死に抵抗するが、無駄だった。
俺たちは紋章の中に取り込まれて――
◆◇◆◇
気がついたら廃病院の外だった。
「お、気がついたか」
荒尾高校の鈴井が俺の顔を覗き込んでいた。
「ここは……」
「ああ、ネズミに襲われたようだな。あんた、自分の名前とか言えるか?」
「佐々木、康隆、だ。どうなっているんだ?」
「あんたが向こうで倒れている柳葉を背負って、外に出てきたんだ」
上体を起こして周りを見ると、柳葉が大の字になって倒れていた。
「そのまま気絶したもんだから、救急車呼ぶか迷ったぜ」
「……どのくらい気絶していた?」
「五分かそこらだろうな」
俺は時計を見た。十一時二十一分。
「とりあえず、柳葉を運ぼう」
「そうだな。でもあんた平気か?」
「大丈夫と言いたいが、頭が痛いな……」
すると鈴井は「悪いことをしたな」と頭を下げてきた。
「柳葉とあんた『二人だけ』で病院内に入るなんて度肝を抜かれたぜ。これからはこの廃病院に肝試しで行くのは禁止だな。少なくとも荒尾高校は駄目だ」
そうだと思う。軽い気持ちで入るには危険すぎた。
ネズミのことは聞いていたのに、危機感が足らなかったな。
「行こう。ここは危険すぎる。一応、柳葉と一緒に病院に行く」
「それがいいだろうな」
俺は鈴井と協力して、柳葉を背負ってコンビニ前に行き、そこで救急車を呼んで、病院へ向かった。
幸い、俺と柳葉には怪我は無かったものの、一晩様子を見るために入院することになった。
はあ。最近は奇妙なことばかりだぜ。
◆◇◆◇
「いやあ。すんませんでした。大丈夫ですか?」
朝早くに宮松が見舞いに来てくれた。
「柳葉から連絡ありましてね。佐々木さんが入院したと」
「ああ、でも大丈夫だ」
俺は病室が別だった柳葉の様子を訊ねた。
「それが――なんか様子がおかしいんですよ。『あいつはどこに居るんだ?』とか言って、すぐに病院を出て行きましたね」
あいつ? 何のことだ? どこか頭を打ったのだろうか。
「店長に言ってしばらく休み取っておきましたけど、余計なお世話でしたか?」
「いや、ありがとうな。気が利くぜ」
俺はとりあえずベッドから起き上がり、退院の準備をした。
そのとき、スマホが鳴った。電話だった。
画面を見ると樫川からだった。
「あー、樫川。今病院なんだ。また後で――」
『佐々木氏。手短に言いますぞ』
樫川は変に冷静さを伴った声で言う。
『大学近くのカフェに今すぐ来てください。深沢氏も一緒に居ます』
そう言い残して、通話は終わった。
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