第6話夏祭り 前編
次の日の朝。
夏とはいえ涼しい時間だ。
俺はシャワーを浴びて、高校のときのジャージの下とTシャツに着替えて、テキトーに街を走ることにした。
日課というわけではない。たまに走りたくなったときや悩みがあったときは走ることにしているのだ。
今回の場合は後者で、文芸部で女の絵を見たときから――いや親父の日記を読んでからなのか――変な夢ばかり見るようになったのが、なんて表現していいのか分からないが、とても嫌だった。
昨日は樫川と深沢の二人が協力してくれる約束をしてくれた。しかしはっきり言って俺は悪夢さえ見なくなればそれでいいという消極的な考えだった。
でもそれは当初の考えで、今では邪教を行なう犯人を突き止めたい気持ちが多かった。
どうしてだろう? 臭いものに蓋の考えは嫌いだけど、君子危うきに近寄らずという格言もあるじゃないか。
ま、俺は君子ほど立派な人間じゃないけどな。
樫川は俺への厚意で、深沢は個人的な思惑で協力してくれたが、俺は何の目的で動けばいいのだろう。
先ほど言った悪夢を見ないこと?
それとも親父のために戦うこと?
どうもしっくりこない。
悪夢は俺が我慢すればいい話で、もしかすると自然と見なくなるかもしれない。
親父は嫌いではないが、こんなややこしい状況に追い込んだ張本人でもある。
もちろんうだうだ考えずに真実を知ることを優先すればいいのだが、どうも納得がいかなかった。
それは多分――
「あひゃひゃひゃ。それはね、守るべき人がいないからさ」
奇妙な笑い声と心を読まれた不気味さで足を止める。
考え事をしていたせいで、普段行かないシャッター通りの一角に来ていた。
そして話しかけてきた人のほうへ顔を向ける。
全身黒ずくめ。しかし深沢と同じではない。まあ同じにしたらあいつが怒るくらいうさんくさくて、怪しげだった。
白髪に黒い服を着込んでいる。服はサマーコートかレインコートみたいな生地でフード付き。その人はまるで学校の机と椅子に似たものに腰掛けていて、机の中央には透明な水晶玉が置かれている。それから机の端に『見料五百円也』と手書きの札があった。
よく見てみるとその人は中年の女性で目の色はブルーだった。
外人さんか?
だとすると白髪と思ったのは色素が薄い金髪かもしれない。
「……あんた、誰だ?」
目上に対する口の利き方ではなかったが、どうしても警戒してしまう。
もしも邪教の信徒だったら――
「あたしはナオミ。でも名前ではなく占い師と呼んでほしい。未来の見えない占い師さ」
そう言ってあひゃひゃと笑った。
「未来が見えない占い師ねえ。じゃあ何が占えるんだ?」
気になったので訊ねると占い師は愉快そうに言う。
「不安へのアドバイスさ」
「……よく分からないな。未来が見えないのに不安なんて取り払えるのか?」
「そこが素人の駄目なところさね」
小馬鹿にした言い方だったのでイラっとする。
「ほう。じゃあ素人にも分かりやすく教えてもらおうか」
乱暴な言い方になってしまったが、占い師は気にすることなく言う。
「そもそも占いにとって未来が見えることは重要じゃないんだよ」
「じゃあ何が重要なんだ?」
「焦らない焦らない。たとえば家が火事になる占いが出たとしよう。当然、火事にならないように気をつけろと言うだろうね」
「まあそうだな」
「しかし未来は変えられない。一つの原因を突き止めたところで、他の原因によって火事が起きてしまうんだ」
「…………」
「これをあたしは『不変因果』と呼んでいる。だからそうさね、あたしにできるのは精々被害を最小に抑えるくらいのアドバイスをするだけさ」
未来は変えられない。
必ず出来事は起ってしまう。
しかし方法によっては被害を最小にできる。
だから未来が見えようが見えまいが関係ないということか。
「だが未来が見えないのに、どうやって被害を最小にするんだ?」
「簡単さ。過去と現在の状態を見て、その人が陥りやすい失敗を見抜いて、それに対するアドバイスをしてあげるんだ。あひゃひゃひゃ」
なるほど。理に適っている。姿格好は怪しげだが、その辺の『未来が見える』と吹聴している占い師よりはまともに思えた。
「ふうん。なるほどね。じゃあさっきの言葉はなんなんだ?」
「さっきの言葉? ああ、守りたい人のことか」
占い師はあひゃひゃと笑って言う。
「あんたの気を引くためのでたらめさ」
「……そうかい」
それにしても的確な一言だったので、この占い師が嘘をついている感じがしてならない。
「どうだい。占いを受けてみないかい?」
「今、お金持ってねえよ。走っているだけだからよ」
「あひゃひゃ。仕方ないね。あたしはいつもここに居るから、気になったらいつでもおいで」
俺は「分かったよ」と言い残してその場を立ち去った。
「今日は外出しないほうがいいかもねえ」
背中にそんな声が聞こえたけど、無視する。
未来が見えない占い師の助言を、俺は無視してしまった。
◆◇◆◇
「……なんでお前がここに居るんだ?」
「…………」
汗だくになって下宿先に戻った俺を出迎えたのは、なんと姪のあやめだった。
赤いワンピースと小さなカバンというスタイルのあやめは俺の部屋の扉の前で体育座りをしていた。
「兄貴たちが近くに居るのか? それとも――」
「ううん。私一人で来た」
あやめはそう言うけれど、にわかに信じられなかった。
そりゃあ実家の駅と乗り換えのない街に住んでいるけど、八才の小学生一人で俺の下宿先まで来られるとは思えなかった。
でもあやめは嘘をつく子ではない。
というより俺に対して嘘をついたことがない。
「はあ。何かあったのか? 家出か?」
「違う。叔父さんに会いに来たのと、これに行きたかったから」
あやめは小さなカバンから紙を取り出して、俺に渡した。
「なになに……ああ、今日は祭りの日か」
この街には古くからある神社があって、しかも規模がでかい。また特徴として地元の高校生が持ち回りで取り仕切る祭りでもある。なんでも江戸時代に青年たちが土地神を祀った史実に由来するらしいが、詳しくは知らなかった。
「叔父さんと、行きたい」
「いや、分かるけどさ。兄貴には言ったのか?」
多分許可をもらっているだろうと何気なく聞いたら、あやめは無表情に言う。
「ううん。黙って来た」
「…………」
俺はとりあえず部屋にあやめを入れて、スマホで兄貴に連絡をした。
『康隆か。悪い、今話せる状況じゃ――』
「あやめが俺の下宿先に居るんだけど」
すると兄貴はホッとしたように溜息をついた。
『良かった……安心した……』
「あやめに何かあったのか?」
『いや、その、一緒に祭りに行く約束していたんだが、俺と綾子、都合が悪くなってな』
なるほどな。兄貴は公務員とはいえ時間外労働が多いし、綾子さんは確か、身体が弱くて入退院を繰り返していたっけ。
『あやめは分かったって素直に言うことを聞いてくれたんだが、まさか家出するまで落ち込んでいたとは思わなかった……』
「まあ繊細な子だからな」
俺は横目であやめを見た。テレビの報道番組をにこりともせず見ていた。
『とにかく、あやめの面倒を看てくれ。明日には迎えに行くから』
「別にいいぜ。ついでに街の祭りにでも行ってやるよ」
『すまないな。礼は――』
「この前二万もらったからいいよ。そんじゃあな」
通話を切って、俺はあやめに向かい合った。
「まったく。拗ねて家出をするなんて。兄貴たち心配していたぞ?」
「……ごめんなさい」
素直にしおらしく謝られてしまってはそれ以上怒れなくなる。本当は兄貴の代わりにこっぴどく怒るべきだろうが、俺はあやめに甘かった。
「しょうがねえなあ。いいかあやめ。もう二度と家出なんてするなよ? 兄貴と綾子さん、お袋が心配するんだからな」
「うん。本当にごめんなさい」
ぺこりと愛らしく頭を下げるあやめに俺は「分かればいいさ」と頭を撫でた。
「お腹空いてないか? なんか買ってきてやるよ」
「私も一緒に行く」
「そうか? じゃあファミレス行くか」
時計を見るとモーニングをやっている時間帯だった。
「叔父さん。その前に」
「うん? どうしたあやめ」
「シャワーと着替え、やったほうがいい」
そういえば走ったから汗臭いな。
シャワーを浴びて、着替えた後、俺はあやめと一緒に近くのファミレスでモーニングセットを食べた。あやめは少食で半分ちょっとしか食えなかったので、残りは俺が食べてやった。
「お昼は何が食べたい?」
朝ご飯の最中にお昼の相談をするのはどうかと思うが、口に出してしまった。
「叔父さんの手料理が食べたい」
あやめの言葉に俺は「簡単なものしか作れねえよ」と言う。
「叔父さん、バイトしているからなんでもおごってやるよ?」
「いいの。叔父さんがよく作ってくれた、ナポリタンが食べたい」
ナポリタンか。あやめは子供なのにピーマンも玉ねぎも食べられるので、好物だったのかもしれない。
「よっしゃ。分かった。作ってやるよ」
「ありがとう」
というわけで家に帰って、あやめとテレビゲームをして過ごして、お昼ご飯にナポリタンを作った。久しぶりに作ったので、上手くできたか分からないが、朝食と違って、たくさん食べるあやめを微笑ましく思った。
「叔父さん、美味しいよ」
「そうかい。お粗末様」
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