第5話懇願

「それで、医者には行ったのですかな?」

「内出血だと。だけどありえない出血の仕方らしい」

「奇妙ですな」

「奇妙なことが起こり過ぎて、今更な感じはするけどよ」


 あの『夢』を見て二日後。俺は樫川に相談することにした。

 とても一人では抱え込められないし、何より樫川が信頼できる奴だと思ったからだ。

 大学近くのカフェに呼び出すと、樫川はすぐ来てくれた。そして俺が話す突拍子のない出来事を信用してくれたのだ。まあ内出血した腕を見せたこともあるが。


 あれ以来夢は見ていないが、それが良かったとは思えない。何故なら夢の『女』が死んだことは間違いないからだ。俺には分かる。あの奇妙な仮面を被った男たちに殺されたのだ!


「ふむ。それで佐々木氏はどうしたいのですかな?」

「別にどうこうしようなんて考えてねえよ。ただ俺の周りに起こっている異変をなんとかしたいだけだ」

「……その女性の仇を取りたいとは思わないのですかな?」


 樫川の神妙な顔。

 俺は肩を竦めた。


「ヒーローじゃあるまいし、そんなことはしない。それに確実に女は死んでいるに決まっているからな」

「しかしやれることぐらいあるのでは?」

「犯人突き止めて警察に渡すのか? 顔も分からないし証拠もない。それに夢で見ましたなんて言えるのか?」

「……それもそうですな。物的証拠は何もありません」


 樫川はしばらく考え込んでいた。

 俺はコーヒーを啜って、奴の考えがまとまるのを待った。


「せめて場所さえ分かれば、なんとかなるのですが」

「そうだな。地下室かもしれないということぐらいしか分からん……」


 俺はここで疑問に思った。樫川はどうしてこんな訳の分からないオカルト話に付き合ってくれるのだろうか?

 親身になって聞いてくれるのはありがたいが……


「どうして真剣に考えてくれるんだ?」


 端的な言葉だったが、樫川は俺が何を言いたいのか、分かったようだった。


「それは信じているからです」

「信じる? ああ、オカルトのことか?」

「いえ、佐々木氏をです」

「……真顔で恥ずかしいこと言うなよ」


 こっちのほうが照れるじゃねえか。顔が真っ赤になる。


「あはは。以前大学で盗難があったときに疑われた僕を佐々木氏は助けてくれたじゃないですか」


 そういえば、そんなことがあったな。

 実を言えば、被害者の女子大生が一方的に樫川を責めたてたのが、胸糞悪くて仕方がなかっただけなんだけどな。


「そりゃあお前が犯人じゃないって思ったからな。盗みをする奴の目じゃなかった」

「それがとても嬉しかったんですよ」


 樫川はにっかりと笑って言ってくれた。

 なんて良い奴なんだろう。

 こいつと友人になれて良かったと心から思う。


「それで、原因を突き止めるにはどうしたらいい?」

「ふうむ。ストーリー的に考えれば、その女性の無念を取り除くか、怪しげな儀式を行なう仮面の男たちを成敗すれば解決なのですが」

「そんなゲームや漫画じゃねえんだからよ――」


 そう言ってコーヒーを口に含んだ。


「だったら、調べてみましょうよ」


 後ろから急に声をかけられた。

 俺はコーヒーを吹き出しそうになるがこらえる。


「おー、深沢氏。こんなところで奇遇ですな」


 振り返るとそこには相変わらず黒ずくめな衣装を身に包んだ性悪女が居た。


「樫川先輩、こんにちは」


 コーヒーが気管に入って苦しむ俺を無視して、深沢は空いている席へするりと座った。


「それで、深沢氏、アテはあるのですかな?」

「おい樫川。話を進めるな。深沢、いつから話聞いていたんだ?」

「最初からです。それと息がコーヒー臭いんで黙っていてください」


 いつも通りの罵倒をしながら、深沢は樫川に向けて話し出す。


「アテはありませんけど、奇妙なことがあるんですよ」

「なんだそりゃ。奇妙なこと?」

「矮小な頭脳しか持たない佐々木先輩は知らないでしょうけど」

「いや奇妙なことなら知っているぜ。どうしてお前が俺にだけ敵意を向けるのかだ!」

「敵意は向けていません。殺意を向けています」

「グレードアップしやがった……」

「それで奇妙なこととはなんですかな?」


 深沢は声を潜めるようにして言う。


「日本の行方不明者って年間何人くらいだと思いますか?」


 深沢の問いに樫川は「八万人以上ですかな」と素早く答えた。


「正解です。流石ですね」


 おいおい、なんで知っているんだよ。


「ではこの街、いやこの地域での行方不明者ってどのくらいいると思います?」


 俺と樫川は顔を見合わせた。いきなりそんなことを言われても見当もつかない。


「いや知らないな。気にしたことも無かった」

「僕もありませんな」


 深沢は俺たちの顔をじっと見つめてから、ぼそぼそした小さい声で言う。


「年によって変わりますが、百から二百人。全国平均の七倍です」


 百から二百人!? 全国平均の七倍だと!? 

 いきなり言われても信じられないが、深沢の真剣な表情を見て事実だと分かってしまう。


「……そんな異常なことを、どうしてテレビは報道してないんだ?」

「おそらく規制がかけられているからでしょうな」


 樫川の冷静な声に深沢は頷いた。


「これって何か関連があるんじゃないですか?」

「関連って、まさかこっそり人を儀式の生贄にしているって言いたいのか?」


 考えたくもない、想像もしたくないことだった。

 俺たちが普通に暮らしている街で誰かが捕らえられて殺されていく。

 正体の分からない、謎の集団に。


「そう考えると辻褄が合うんです。だって犯人が居ないと事件って起こらないじゃないですか」

「その場合の犯人って仮面の男たちだってことか?」

「ええ。その可能性が高いですね」


 これは全て深沢の推理――推測だ。

 でも矛盾を感じられない。

 だから信じてみようという気持ちになってしまう。


「しかし、どうして深沢氏は行方不明者のデータを知っていたのですかな?」

「…………」


 樫川の鋭い指摘に深沢は答えなかった。

 そうだよな。普通の女子大生が知っているようなことじゃない。


「深沢氏。僕は貴女を仲間だと思っています。だから疑いたくない。正直に話してください」


 樫川が優しく訊ねても深沢は黙ったままだった。

 まるで何かを隠しているような。


「言いたくないのなら、信用はできませんな」


 樫川の言葉に深沢はようやく答えた。


「言えません。でも私は二人を騙していません」

「それはどういう意味だ?」


 厳しく問い詰めると深沢は「私はこの行方不明の事件を解決したいんです」と早口で言った。


「そのためなら、どんな危険な目に遭っても構いません。たとえ命を落としても」

「深沢……」


 深沢の目に映るのは覚悟を決めた目だった。

 昔、同じような目を見たことがある。それは兄貴だった。


『俺がお前の父親代わりになってやるよ』


 その言葉どおり、兄貴は俺を育ててくれた。

 いつも褒めてくれたし、悪いことをしたら叱ってくれた。

 そして――守ってくれたんだ。


「樫川。深沢は信用できるぜ」


 その言葉に樫川は怪訝な表情をした。深沢も不可解な顔をした。


「理由を伺ってもよろしいですかな?」

「こいつは覚悟しているし、嘘を吐いている感じもしない。それにだ。女が言えないことを問い詰めるのは男らしくないしな」


 なんていうか、論理が破綻しているというか、説得力がなかったが、樫川は「佐々木氏が言うのなら信用しましょう」と言ってくれた。


「先ほどは試すようなことを言ってすみませんでしたな、深沢氏」

「いえ、良いんです。言えない私が悪いんですから」

「言わないんじゃなくて、言えないんですな」


 樫川は納得したように頷いた。


「では役割分担をしましょう。僕はオカルト仲間に協力してもらって情報を集めます。佐々木氏。悪いですが、先ほどの状況を詳しく教えてください。どんな仮面をしていたのか。人数は何人だったのか。できる限り詳しくです」


「分かった。正直思い出したくないけどな」

「深沢氏は行方不明者のデータを調べていますか?」

「集めていますよ。何年前から行方不明の人間が出てきたとか、分かります」

「いえ。どのような人間が行方不明になっているのかを調べてもらいたいのです。性別、年齢などを。そして見つかった人と見つからなかった人と分けてください」

「結構な作業ですね。分かりました。やってみます」

「そして佐々木氏ですが、日記を調べてみてください」


 親父の日記か……

 表情に出てしまったのか、俺を気遣うように樫川は言う。


「はっきり言って精神的に負担のかかる作業ですが、奴らの詳細を抜粋してください。もしかしたら行方不明の事件と何らかの関わりがあるかもしれません」

「そういえば、こんなことを書いていたな……」


 俺は昨日読んだ親父の日記の内容を話した。

 信仰心で奴らの力が増えること。

 そして赤夢出版社が奴らの手によって全滅したことを話した。

 全てを話すと黙って聞いていた樫川は天を仰いで、腕組みをしながら考え込んだ。


「……どうやら僕たちは勘違いしていたようですな」

「何を勘違いしていたんですか?」


 樫川の呟きに深沢は疑問を投げかけた。

 俺たちは何を勘違いしているんだ?


「佐々木氏と深沢氏に訊ねます。『奴ら』とはなんでしょうか?」


 突然、根本的なことを言われて面食らったが、すぐに「仮面の男たちだろう?」と答える。


「私も同じですね。邪教の信徒だと思います」

「しかしそれだと辻褄が合わなくなります」

「どういうことだ? 説明してくれ、樫川」


 樫川はおもむろにリュックサックから大学ノートを取り出して、図を書き出した。

 簡単な棒人間とその中心に横たわった人間を描き、上のほうに邪悪な笑みの影を書いた。


「僕も初め、奴らとは今描いた棒人間のことを示していると思いました。しかし『信仰心で奴らの力が増える』という言葉にひっかかりを覚えました」

「樫川先輩。もう少し分かりやすく言ってください」


 樫川の頬に汗が伝う。緊張しているようだ。

 そして邪悪な笑みを浮かべる影をまるで囲んだ。


「信仰心で力が増えるのは人間でしょうか?」

「それは――」

「違います。あまり言いたくないのですが、力が増すのは――」


 そこまで言われたら、鈍い俺でも気づく。深沢も口元を抑えている。


「まさか……神が居るなんて言うんじゃねえだろうな?」

「神と言っても全知全能の神やこの世を創った創造神ではないと思われます。悪魔や妖怪に近しい、邪神と言うべきものでしょうな」


 話がますますオカルト染みてきやがった。


「つまり、『奴ら』は二通りの意味があって、一つは邪教の信徒。もう一つは邪神そのものを指しているんですか……?」


 深沢がまとめてくれたが、どうにも信用できなかった。

 邪教を祀る人間が居るのは認めよう。

 身体中に痣が付いているのは、何らかの魔法であるとも認めよう。

 認めたくないが、自分と親父の身に起きたことだ。認めるしかない。

 しかし邪神ともなると、存在は疑わしい。


「信じるのは各々に任せますぞ。僕自身、信じられない思いですから」


 樫川の推測が正しいのかどうか分からないが、二人と話していてはっきりしたことがある。

 邪神なんてもんを信じて、女を生贄にする輩がいることだ。

 それは決して許されないことだ。


「なあ。二人に言っておくぜ。危険だと思ったらすぐに逃げろよ」


 樫川と深沢は俺のほうを真剣な表情で見つめた。


「邪神とか信じらんねえし、もしかしたら身体の痣は邪教の信徒とは関係ないかもしれない。でもよ、万が一ってこともあるからな」


 すると深沢は「あなたに言われなくても分かっていますよ」と強気で言った。


「私は行方不明者のことを調べるだけです。邪教と関連があるかは私の想像ですから」

「でもまあ用心することは必要ですぞ。深沢氏」


 樫川はすっかり冷めてしまったコーヒーを口に含んだ。


「佐々木氏の言うとおり、危険な目に遭ってご自身が行方不明者になるのは賢明とは言えませんぞ」

「……分かりました。樫川先輩」


 樫川の言うことはちゃんと聞くらしい。

 どうして深沢はいちいち俺に逆らうのか。不思議で仕方なかった。


「それでは解散しますかな。それとあまりのめり込み過ぎないように。佐々木氏、日記は日が明るいうちに読むべきですな」

「どうしてだ?」


 樫川は当たり前のように言う。


「古今東西、悪魔や妖怪の力が増すのは夜と決まっていますからな」


 そりゃそうだ。当たり前のことを聞いてしまった。



◆◇◆◇



 その晩、俺は一人でベッドの上に寝転がっていた。


 樫川の忠告どおり、日の明るいうちに日記を読んでいたが、これといった目新しい情報はなかった。死の直前まで読み進めたのにも関わらずだ。


 それに日付が新しくなるにつれてどんどん文章が乱れて、狂人のように思えてくるのがツラかった。それが自分の親父であることが余計にツラかった。


「……お袋に話を聞いてみたいな」


 お袋は俺たち息子に対して厳しい人で、決して妥協のしない人だった。

 もしかすると自分の夫が狂ってしまったことで、自分一人で俺たちを育てないといけないと気負ったせいかもしれない。


 そう考えると、お袋を鬱陶しいと思った高校生の頃の馬鹿な自分を殴りたい衝動に襲われる。


 でも逆にお袋が何も知らなかったら、教えるのは忍びなく思える。

 知らないのなら知らないままでいい。

 それはエゴだろうか?


「ま、詮のないことだよな」


 ベッドの上で益体のないことを考えているうちに、睡魔が襲ってきて――

 気がついたら夢の中だった。


「うん? ああ、これは夢か……」


 夢には自覚できる夢があるらしい。専門用語があって、以前樫川に教えてもらったのだが、すっかり忘れてしまった。


 場所は海辺だった。知らない白浜の上に座っている。後ろには海の家や人家があったことから無人島ではないらしい。

 右手で白砂を弄びながら、ぼんやり海を見つめていると、後ろから声をかけられた。


「珍しい。こんなところに人が来るなんて」


 振り向くとそれは美しい女性が立っていた。

 艶やかな黒髪で、目が大きくて、どこかで見たことがある気がした。

 様子がおかしかった、全身びしょ濡れで、右手首には包帯を巻いていた。


「あんた誰だ? ここは俺の夢じゃないのか?」

「たとえるなら私は陽炎。ここはあなたの夢。泡沫に消える一夜の幻」


 ……うわあ電波さんだよ。

 そう思った俺は立ち上がって去ろうとする――


「待って。佐々木康隆。必ず私の子供を守ると誓って」


 なんで俺が守らないといけないんだよ。

 そう言おうとしたが、口から零れたのは別の言葉だった。


「必ず、守る」


 するとぱあっと視界が白くなり、次に現れたのは――


 先ほどの美しい女が串刺しにされていた光景だった。

 地面から生えている鉄の槍。それが背中から腹を貫いている。

 女は仰向けでぐったりとしている。


「おいあんた! 大丈夫か!?」


 近づいて串刺しの女を助けようとした瞬間――


「――必ず守って」


 こっちを向いて、儚げに笑った――


 そこで目が覚めた。

 自然と息が荒くなっている。

 恐る恐る、服をめくって腹を見てみた。

 ナイフの内出血はあるが、貫かれた痕はなかった。


「なんだ、今の夢……」


 夢? いや、現実のような気がしてならない。

 そういえば――


「どことなく、似ている奴を知っているような……」


 改めて女の顔を思い出そうとする。

 しかしどうしても思い出せない。

 無理矢理思い出そうとすると、頭痛がしてくる。


「……もう一度寝てみよう」


 時計を見ると、午前二時だった。

 疲れていたのか、そのまま眠ってしまった。

 しかしあの女の夢を見ることはなかった。

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