第4話悪夢 後編

 しばらくして、電話はつながった。


『おー、樫川。どうした? 緊急の用事か?』


 スピーカーにしてくれたので、向こうの音声が聞こえた。樫川は「いや、緊急の用事ではないのですが、大石氏に訊きたいことがありまして」と言う。

 どうやら大石という男にかけたみたいだ。


『訊きたいこと? おいおい、お前が知らないことなんてあるのかよ』

「買いかぶりすぎですな。殊にオカルト関係はそちらの方が詳しいはず」

『はん。それで訊きたいことってなんだよ?』

「赤夢出版社について知りたいのですが」


 樫川の言葉に大石は『あかゆめ? ああ、赤夢あかむ出版社か』と少し驚いたようだ。


『まさか、赤夢出版社の本を手に入れたのか? すげえなお前』

「いえ、僕の所有物ではありません。知り合いが手に入れたものですな」

『それでもすげえよ。あー、どんぐらいすげえのか説明すると、砂浜から一粒しかない砂金を見つけるくらいすげえ。マジすげえ』


 そんな前置きをしてから、大石は話し始めた。


『赤夢出版社っていうのは知る人ぞ知る出版社でな。昔に奇書や幻書、禁書とされる本を翻訳して出版していた、いわくつきの会社だった』

「……それは日本の企業ですかな?」

『企業ってもんじゃねえよ。小さな個人経営の会社だ。しかし不思議なことに社長も従業員も正体が分からねえ。会社の所在地も記録もまったくの不明だ。オカルトマニアの中でも存在を知っている奴は少ない』

「それはどうしてですかな?」

『そりゃあ本を手に入れた奴しか知りえないからな。俺も一冊だけ持っているから、たまたま知っているだけだ』


 そんなに凄い本なのか? しかしどうしてそんな本を親父が持っていたんだ?


『それに発行部数が極端に少ねえのも原因だな。本によってはたった十冊しか発行されてねえ。それなら同人誌のほうが遥かに刷っているだろ』

「……何ゆえ、赤夢出版社は本を出版していたのでしょうか?」

『さあな。利益のためじゃないだろうけどよ。潰れてしまった今では、謎のままだ』

「潰れた? 倒産してしまったんですか?」

『ああ。詳細は不明だ。何しろ数十年前の話だからな』


 だからネット検索しても引っかからなかったのか。


『なあ。その知り合いはどんだけ持っているんだ?』


 樫川は俺に目配せした。本当のこと言っていいのかという目。俺は頷いた。


「確認したところ、六冊ありますな」

『マジか! お前の顔の広さは凄いな。一冊だけでも凄いのに。譲ってくれねえかな。いや買うぜ。一冊五十万でどうだ?』


 俺は首を横に振った。


「いや、知り合いいわく、形見だから売れないようです」

『あー、マジか。仕方ねえな。形見なら仕方ない』

「聞きわけが良いですな」

『形見には手を出さないって決めているんだ。それで、他に訊きたいことあるか?』

「いえ、ありません」

『そうか。それじゃあ切るぜ。今度また遊ぼうぜ』

「ええ。是非お願いしたいですな」


 そして通話が切れた。俺は持ってきた本を手に取ってみる。


「佐々木のお父さんって何者? とんでもない人って印象しかないけど」


 寺山部長が不思議そうというか、怪訝な感じに言うが、俺にも分からなかった。

 親父のことは何も知らなかった。

 息子だと言うのに。


「俺にも分かりません。おかしくなった親父しか知りませんから」


 全員、俺を同情するような目で見る。深沢でさえそうだった。


「とりあえず、この本のことは内緒にしましょう。佐々木の家に泥棒が入られても危ないし。絶対言わないこと! いいわね!」


 寺山部長の言葉にみんな頷いてくれた。俺はホッとして何気なく手に取った本を開いてみる。

 そこには――女性が残虐に殺されている光景を描いた挿絵があった。


「きゃあ! なにそれ!?」

「こ、これはなかなか……!」

「ひ、酷い! こんなのって……」

「は、早く閉じてください!」

「あ、ああ……」


 俺は慌てて本を閉じた。

 しーんと静まり返る部室。荒い息遣い。それほど絵の強烈さに当てられてしまったのだ。


「まるで写真みたいな……いや、実際見たものを描いたような……」

「村中! そういうこと言うな!」

「ご、ごめんなさい! 部長!」


 俺はますます、親父が何者なのか、分からなくなった。


「……とにかく、この本は売ったりあげたりしないほうがいいですね」


 深沢の言うとおりだ。この本は危険すぎる。兄貴にも伝えたほうがいい。


「ちょっと、兄貴に電話します。まだ本が実家にありますから」

「そのほうがいいわね」


 俺は兄貴に電話して、本は処分しないでくれと伝えた。


『そんな高く売れたのか? 意外だな』

「そんなんじゃねえよ。それより残りの本をこっちに送ってくれ」

『あん? そう言ってもたくさんあるぞこれ? 下宿先に入るのか?』

「なんとかするから大丈夫だ」

『そうか? なら送っておく』


 電話を終えた俺はみんなに今日は帰ることを伝えた。


「今日はちょっと……みんなごめんな」

「いいわよ。仕方ないじゃない。気をつけて帰ってね」


 寺山部長の厚意に甘えて、早々に帰宅する俺。


「佐々木氏。これを言うのはどうかと思いますが、一応伝えておきます」


 いつに無く厳しい顔つきで俺を見る樫川。


「本は読まないようにきっちりと梱包してください。手元にあると先ほどのように読んでしまいますから」

「ああ、そうするよ。ありがとうな」


 樫川の言うとおり、下宿先に帰ってから本を読まないようにぎちぎちに紐で縛って、押入れの奥へと仕舞った。これで安心だ。



◆◇◆◇



 そして夕方。

 夕飯を作って、食い終わった後、俺はテレビを見ていた。バラエティだ。

 くだらない芸人のトークを聞きながら、頭の片隅には挿絵の女のことが残っていた。


 あんな残酷に女を殺すなんて、信じられなかった。もっと信じられないのはそれを記録として残そうとすることだった。さらに信じられないのはそういう本を親父が持っていたことだった。

 本のせいで親父が狂ったのか、狂っていたから本を蒐集したのか、俺にははっきり分からなかった。


 いまいちテレビに集中できない。俺は電源を切って、机の上に置かれていた親父の日記を手に取った。

 ぺらぺらとめくると気になる記述を見つけた。


『奴らのことを知るにはどうすればいい? 私だけでは限界だ。知識が欲しい。そんな折、とある出版社を見つけた。赤夢出版社だ。そこには奴らの生態が詳しく書かれた本があった』


 奴らの生態? 生き物なのか? 複数なのか?

 俺は急いで読み進めた。


『奴らは人を喰らうだけではない。もう一つ、糧となるものがある。それは信仰だった。奴らは人間の信仰によって力を増幅させる。自身を信じる者は基本的に喰わないらしい。しかし奴らは気まぐれで信者も食べることがある。結果として奴らの力は衰えるが、強大な奴らにとっては関係のないことらしい』


 人を、喰らう。さっき食べた夕飯をもどしそうになる。


『赤夢出版社の社長と接触できた。奴らについてどうして詳しいのか訊ねるが答えてくれなかった。本を数十冊譲ってくれた。これは私にとって大きな力になる。Bに知らせなければ。あいつの助けになりたい』


 そして数日後の記述は文字が歪んでいた。


『赤夢出版社の人間は全て殺された。奴らの仕業だ。おそろしいことに生きながら喰われたらしい。私もそのように殺されるのだろうか……』


 俺は日記を閉じた。あまりのおそろしさに何も言えなくなった。


「まさか、奴らのことを知ったから殺されたのか?」


 俺はなんだか怖くなった。想像したことがおそろしく思えた。


「……寝よう」


 俺は布団を敷いて潜り込んだ。何もかも忘れたかった。

 電気を消して、目を閉じた瞬間だった。

 ぱきんと部屋中に音が鳴り響いた。目を開けようとするが、開かない。身体を動かそうとしても動かない! 金縛りだ!


 身体が奈落へと落ちていくのを感じる。

 加速していく。

 どんどん落ちていく。

 ジェットコースターで下っていく感覚に似ていた。

 いやそれよりも怖い。

 自分がどこへ向かうのか、分からないから怖い!


 そして視界が真っ白に染まった。何もかも白く染まっている。

 赤い光。今まで見たことのない光。俺は光に包まれて――

 気がつくと暗い部屋に居た。明かりは無く空気が澱んでいる。見覚えはない。どうやら地下室のようだ。

 身体を動かそうとしても動かない。しかし金縛りではなく、縄か何かで縛られていた。


「な、なんだこりゃあ! おい、縄解け!」


 そう怒鳴ろうとしたが、声が出ない。というより気づいて愕然とした。

 この身体は俺じゃない! 女だ! 女が裸で縛られている。

 三十歳ぐらいだと思う。左腕にひし形の火傷の跡がある程度しか特徴を捉えられない。


『怯えなくていいんだよ? これから×××さまに捧げられるのだから』


 中年の男の声。目を追うと黒衣を纏い、奇妙な仮面を被った数人の人間が俺を、というより女を囲んでいた。

 身体が揺すられる。いや、女が暴れている!


『さあ。×××さま。贄を捧げます』


 俺は女の身体にナイフが刺しこまれるのを見た。痛みも襲う。囲んでいる人間も次々とナイフを突き刺す。


『やめて! やめて! 痛い! 痛いよ! 死にたくない! 死にたくないよ!』


 頭の中に響く声。

 女の声。

 俺は大声で叫んだ。


「やめろ――っ!!」


 ハッとして目が覚めた。俺は飛び跳ねるように上体を起こした。


「はあ、はあ、はあ……夢なのか?」


 そうだ。夢に決まっている。現実に起きたことじゃない。親父の日記を読んで、それに影響されて悪夢を見ただけだ。


「そういや、風呂に入ってなかったな」


 時計を見て、午前五時だと知った。俺は寝汗だらけの服を脱ぎ捨てて、洗面台に向かう。

 そして、見てしまった。


「な、なんだよこれ……!」


 洗面台の鏡に写っていたのは。

 まるでナイフで刺されたような痣だらけの俺の身体だった。

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