第3話悪夢 前編

 あの『奇妙』な体験から数日が経った。俺はしばらく実家に暮らしていたが、コンビニのバイトもあったし、下宿に戻ることにした。

 それに実家にいると、あの日のことを思い出してしまう自分がいた。


「元気でやっていけよ。単位もなるべく落とすなよ」

「分かっているよ。俺は意外と真面目なんだぜ?」


 駅まで送ってくれた兄貴にそう返しながらも俺の心はどこか虚ろだった。数日間の記憶が曖昧だったこともあるかもしれないが、一番の原因は近くにあやめが居たことだ。


 可愛い姪であるはずなのに、何故か見つめられると肌寒いものを感じる。数日の間、一緒に居たが、いつも見張られているような感覚だった。


「それで、親父の遺品を引き取りたいって言っていたが、何なんだそれ?」


 兄貴は不思議そうな目でキャリーバックを指差した。中には親父の日記が詰まっていたが「ちょっと面白い本があって」と誤魔化した。事実、数冊ほど蔵書があったりする。


「売れそうな本ばかりだったから、向こうで売ろうと思って」

「罰が当たるぜ? まあ別に親父の遺品だから、なんでも良いけどよ」

「……ありがとうな」


 どうして親父の日記なんか持ってこようと思ったのか。俺にもよく分からなかった。もしかするとあの『奇妙』な体験が原因かもしれない。

 あやめは兄貴の袖を握りながら、無表情に俺を見つめていた。

 そして何も語らなかった。


 そういうわけで俺はこうして日常へと戻れた。

 親父の日記は戻ってきてから見ていない。

 蔵書も読んでいない。

 さっさと忘れてしまいたい。



◆◇◆◇



 下宿に戻って二日後。暑苦しい日。俺は大学のサークルに顔を出していた。文芸サークルだ。体育会系の自分には似合わないと思うが、入りたいサークルもなかったし、友人に誘われたこともあったし、何より緩い雰囲気で居心地が良かった。それに文章を書くことは嫌いじゃなかった。


 高校時代は野球部というバリバリの体育会系だったので、上下関係のあまりない集まりというのは最初の頃は戸惑ったが、慣れてしまえば楽なものだ。それに人数が少ないこともあって、煩わしい人間関係に悩まなくても良かった。

 ま、部員の一人は俺を毛嫌いしているが。


 文芸部は俺を含めて五人しか居ない。時々、活動報告を提出しているが、それは文章の上手い寺山部長に任せていた。たまに書くことはあるが、なんてことはない、テキトーに盛ったものをそれっぽく書いてしまえばいいのだ。


 俺は蔵書を入れたバックを担ぎながら、大学の文化系のサークルがひしめく教科棟に入り、階段で三階を目指す。

 そして『黒井山大学 文芸部』と書かれたプラスチックのプレートが貼ってある扉の前に立ち、ノックしてから開けた。


「おー、佐々木氏。久しぶりですな」


 中に居るのは二人。愛想よく出迎えてくれたのは同期の樫川だった。丸々と太った体躯。下っ腹も出ていて兄貴と比べるとだらしないと言える。しかし痩せればそこそこ男前な整った顔立ちになるだろう。髪型はあやめのようにおかっぱだ。


 いわゆるオタクそのものだが、気の良い奴だ。俺を文芸部に誘った張本人でもある。

 得意ジャンルはオタク趣味全開の濃いライトノベルだ。


「久しぶりだな。元気でやってるか?」

「……さっさと入ってくださいよ。いつまで開けっ放しにしているんですか。冷気が逃げるでしょう」


 対照的に辛辣な言葉をかけるのは全身を真っ黒にコーディネートして、髪の毛も黒髪ロングな小柄な女、深沢だった。なかなかの美人だが、こいつは一年生のくせに俺に対して何故か敵意を向けている。いつか腹を割って話さなければならない。

 ちなみに恋愛小説をよく書いている。


 まあ開けっ放しにしていたのは俺が悪い。「ああ、すまなかったな」と言って扉を閉める。


「……そのまま帰っても良かったのに」

「おい。小声ですらないってどういうことなんだ?」

「聞こえるように言ったんですよ? 帰ってほしいから」


 なんでそこまで嫌うのか理解不能だった。


「あはは。相変わらずですな。御ふた方は」

「樫川。こいつなんとかしてくれよ」

「ふむ。僕にはどうしようもできませんな。まるで前世の因縁なのかもしれません」

「そんなに根深いのか……」


 俺は溜息をつきながら、樫川の向かい側に座った。ここがいつもの席だった。

 樫川の隣、入り口に近いところに深沢が座っていた。

 残されたのは上座にある席。そして俺の隣でつまり深沢の向かい側の席だった。


 文芸部らしく、部屋の周りには本がたくさんあった。ずらりと周りを囲むように本棚がある。

 いつもなら何にも思わないのだが、親父の部屋を思い出して、あまり良い気分ではない。


「寺山部長と村中は? まだ来てないのか?」

「部長氏と村中氏は先ほどジュースを買いに行きましたぞ」

「……あなたがビリなんです。反省して死んでください」

「時間には間に合っただろうが。なんで死ななきゃいけないんだよ」


 そんな会話をしていると勢いよく文芸部の扉が開いた。


「いやあ。やっぱり部室の中は涼しいわね! 天国と地獄よ!」


 元気良く入ってきたのは三年生の先輩の寺山部長。セミロングで美人と言っていい顔立ち。そしてスタイルがとても良い。しかしそれに反比例するくらい残念な人だ。

 文芸部部長らしく、文章と物語を書くのは上手い。

 なんでも書くが、推理小説が得意らしい。


「部長! いきなり走らないでくださいよ……はあはあ……」


 次に入ってきたのは枯れ木のように痩せている一年生の男子、村中だった。文学少年という感じで芥川龍之介を気弱にしたような奴だ。まあ寺山部長のテンションに合わせたらやっていけないよな。

 奴は芥川のような純文学をよく書く。


 俺を含めた以上の五人が文芸サークルの部員だ。

 ちなみに俺がよく書いたり読んだりするのはスポーツ系青春小説だ。


「お! 佐々木じゃない。久しぶりね!」

「久しぶりです。部長」

「そういえば、サークルの集まり休んで、何してたわけ?」


 責める感じではなく、疑問に思ってるようだった。俺は「親父が死んだんです」とさらりと言った。こういうことは誤魔化さない方がいい。


「はあ!? お父さんが亡くなったの!?」


 寺山部長の大声が部室中に響く。いや寺山部長だけではなく、樫川も村中も、そしてあの深沢も驚いていた。


「さ、佐々木氏。そんなさらりと言うことじゃないですぞ?」

「そうですよ! 佐々木先輩、学費とか大丈夫なんですか?」

「あー、大丈夫だ。親父とはあんまり関わってこなかったから」


 俺は自分と親父の関係を簡単に説明する。

 頭がおかしくなって別居状態だったことも話した。


「まるで小説の登場人物みたいですな。いや、失敬。不謹慎でしたな」

「いや良いんだ樫川。別に親父との思い出はそれほどないからな」


 どこかしんみりした空気になってしまったので、それを変えようと、俺は持ってきたバックから蔵書を取り出した。


「樫川。お前、こういうオカルトに詳しいよな。そこでちょっと調べてもらいたくて、持ってきたんだ」

「なんですかな?」

「親父の蔵書だ。気になるものを持ってきた。欲しければやるよ」


 そう言って樫川に数冊の本を見せた。他の三人も覗きこんでいる。


「ほほう。これは珍しい。オカルト、いや邪教に関するものばかりですな」

「そんなに珍しいのか?」

「そうですな。出版社を見てください。聞いたことも見たこともありません。潰れてしまったのか、名称変更したのか、判然としませんがかなり珍しいと言えるでしょう」


 それを聞いた寺山部長は「ネット検索してみましょう」と元気良く言って、スマホを取り出した。


「なんて出版社?」

「あかゆめと読むんですかな? 赤夢出版社です。赤い夢で赤夢出版社」

「えーと、赤夢出版社……検索数0?」

「本当ですか? 今どき検索にかからないのってありえます?」


 村中もそう言って自分のスマホで検索するが結果は同じだった。


「ふむ。それでは知り合いに訊いてみますかな」

「樫川、知り合いってオカルト関係なのか?」

「ええ。信頼のおける方ですな」


 樫川は「多分、この時間は起きているはずですな」と呟きながらスマホを操作して、その知り合いにLINEで電話をかけた。

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