第2話遺品整理 後編
親父はある意味幸運で、ある意味不幸な人間だった。若い頃に遠い親戚が亡くなって、その遺産が廻り巡って親父の元へ来たんだ。その遠い親戚は大がつくほどの富豪で、遺産額はおよそ五億だった。眼がくらむほどの大金だけど、死んだ富豪の資産の中でも僅かなものだった。
そこで親父の人生は一変した。
まず親戚から綺麗な奥さんを紹介された。俺のお袋だ。
次にその親戚から仕事も紹介された。とある会社の常務だ。おかしくなった親父を知っている俺からしてみれば意外に思えるが、商才があったようで、バブル崩壊をも予期して経営難を回避して、結局は代表取締役にまでなった。
しかし会社の経営が順調になるとあっさりと引退して、四十代後半で隠居生活に入った。
そして原因が何か分からないけど、壊れてしまった。
おかしくなった親父は何かにいつも怯えていた。不意の物音にも敏感に反応したし、何より暗闇を恐れた。だから寝るときは明かりを点けていた。
親父はお袋にも心を開くことなく、閉じこもって、今、俺が居る家に住んでいた。
家族と別れて、たった一人で。
はっきり言って精神的な病気だったんだろう。強迫観念にかられていたのかもしれない。死んだ今となっては分からないことだけど。
しかし俺は親父のことを嫌ってない。好いてもいないが、少なくとも悪感情は持っていない。
強いて言うのなら親戚の凄い人という印象を抱いている。
だからこうしてある意味親父の手助けをしているのは、存外悪くない気分なのだ。
◆◇◆◇
「しっかし、こんなもんどうやって集めたんだか」
うんざりするほどの蔵書に辟易しながらも整理を続けていると、流石に疲れてしまった。
休憩しようと俺は椅子に座り、何気なく机の引き出しを開けた。別に何かあると期待して開けたわけではない。
「うん? 大学ノート?」
一番下の段の大きな引き出しに大学ノートがたくさん入っていた。表紙を眺めると四桁の数字が二つ。間に波線が書かれていた。
「西暦か? ああ、初めの年代と終わりの年代だな。これ……日記か?」
俺は引き出しから全部のノートを取り出して、年代順に並べた。どうやら親父が遺産を貰った年から死ぬ直前まで綴っていたみたいだ。
何故か興味を惹かれた俺は最初から読んでみることにした。
『一九××、一月一日。今日から日記を書こうと思う。いつまで続くか分からない。とりあえずは毎日書くことはやめよう。印象に残った日だけ書こう。そのほうが続くだろうし、何より飽きないだろう――』
俺は飛ばし飛ばし日記を読んでいく。遺産を受け継いだときのことや、結婚したとき、兄貴や俺が産まれたときのことが綴られていた。
『次男が産まれた。この歳になって二人目を授かるとは思わなかった。なんて愛らしいのだろう。どうか母親似でありますように。目つきが悪い私に似なくていい』
少なくとも俺が産まれた直前はまともだったんだな。
俺はいつからまともでなくなったのか、気になった。年代を見ると最近まで書かれていた。もしかするとお袋も兄貴も知らない真実が分かるかもしれなかった。
ページをめくる手が速くなる。
親父の人生を辿りながら、親父のことを知ろうとした。
そして、気になる記述を見つけた。
『ああ。私はとんでもないことをしてしまった。まだ自分でも信じられない。あんなものを見てしまうなんて、そして穢れた儀式を知ってしまうなんて』
穢れた儀式? 俺は胸騒ぎがした。同時に蔵書のこと思い返していた。
次のページをめくる。文字が震えていた。
『落ち着いて先日のことを書こう。そして記録に残すのだ。それしか私にはできない。八月九日。友人に誘われて、私はキャンプに出かけた。私と友人二名、しかし友人の名前を書くことはできない。もしも奴らに見つかったら友人に危険が及ぶ。だからここはBとWで隠そう。隠してしまえば奴らに見つからない。そのはずだ……』
俺は急いで次の記述を読んだ。
『キャンプをしていると遠くのほうでホウホウと何かの鳴き声がした。Wが気になるから行こうと言った。私とBも行くことに決めた。退屈していたし、何より酔ってきたから怖いもの知らずだった。私たちは鳴き声を頼りに暗い道を歩いた。すると明かりが見えた。焚き火だった。煌々と燃える火。その奥で奴らは生贄を捧げていた』
次のページをめくる。奴らとはなんだ?
『奴らは人間ではなかった。名状できない姿と形容できない声で何か会話をしていた。そう! 奴らは会話ができるのだ! すっかり酔いが冷めてしまった私たちはじっと息を潜めることしかできなかった。奴らは円になり、大きな岩を囲んでいた。その岩の上に、少女が寝ていた。そして少女に向かって奴らの一体が何かしようとしていた。何をしようとしていたのか分からないが、確実に何かをしようとしていた。多分、殺されるのだろうと思った。しかしそれを見ていた友人のBが唸り声を上げて、奴らに突撃した』
俺は夢中で日記を読んだ。
『突然現れたBに奴らは驚いたみたいだった。弾かれたように岩から離れていく。それを見たWと私も飛び出した。何故だか分からないが少女を守らなければならないと思った。焚き火から木を取り出して、夢中で振り回した。BもWも同じようにした。そして隙を見て、少女を抱えて、私たちは逃げ出した。後ろから今まで聞いたことのない怒声が響いた。心臓が止まりそうなほどの迫力だった』
次のページをめくった。
『私たちは無事、下山することができた。もう奴らに会うことはないだろう。しかし少女の身元は分からなかった。警察に問い合わせたが、どこの誰かも分からなかった。行方不明でもなければ、死亡届を出された人間でもない。彼女はどこから産まれてきたのか分からないのだ。どうすることもできないので、身柄はBが預かった。戸籍はどうするつもりだろうと思ったがツテはあると言っていた。あいつなら安心できるだろう』
それからは何気ない日常が綴られていた。しかしところどころ何かに怯える記述があった。
俺はなんだか怖くなったが、知りたいという気持ちを抑えることはできなかった。ここでやめてしまうのが逆におそろしく思えたからだ。
そして一年後の記述で親父が狂った理由を知った。
『Wが死んだ。殺されたのだ。奴らの仕業だ。警察から詳しい話を聞いた。ありえないほどの力でバラバラに引き裂かれたようだった。確信した。私たちを追っている。そして見つけたみたいだった。私の命は残り少ないだろう。今週、Bに会う。打開策を見つけなければ』
心臓がバクバク鳴っている。もちろんこれが本当のことを書いているとは思えないけど、どこかリアルを感じていた。
『Bは言った。家族と離れて暮らせと。家族まで巻き込むことはない。それは私も同感だった。今できることは奴らのことを知ることだ。Bはどうやら戦うようだった。私も誘われたが、断った。私は……臆病者だ』
次第に支離滅裂になっていく文章。的を射ていない。
『Bは死んだ。周りからは狂人とされていたが、私には分かる。奴らに殺されたのだ。次は私の番だ。しかし対策を練っている。家の中は安心だ』
俺は居ても立ってもいられずに最後のノートを読んだ。
『どうやら私はこれまでのようだ。どんどんと窓を叩く。窓の外から奴らが迫ってくる。もう耐え切れない。私は諦めることにした。すまない、私の』
そこまでしか書いていなかった。俺はこれが本当のことなのか、おかしくなった親父の妄想なのか判断できなかった。
「……よくできた作り話なのか?」
そう呟いた瞬間、ボーン、ボーンと音が鳴り響いた。身体がびくっと反応した。音の鳴る方を見ると、そこには柱時計があった。
「な、なんだよ。驚かせやがって……ていうか、もう九時?」
読みふけっていたようだった。俺はとりあえず、飯でも作ってもう寝てしまおうと思った。片付けは明日にしよう。
「そういえば、親父、暗闇を怖がっていたな」
部屋の電気を消そうとしたが、なんだかおそろしく感じて、そのままにしておいた。俺は下の階に下りて、台所で何か作ろうとした。一人暮らしが一年半にもなると料理のレパートリーも増えるのだ。
さて、料理でもするか――
コン、コン、コン――
台所の小窓を叩く音。誰かが叩く音。
コン、コン、コン――
猫かなんかだろうと気にしないことにした。俺は包丁を握って――
コンコンコン――
間隔が短くなっている。気にしない気にしない。
コン! コン! コン!
強くなっている。俺は「うるせえ! 静かにしろ!」と怒鳴った。多少声が引きつってしまったが、音はぴたりと止まった。
……止まった? それはつまり『言うことを聞く誰か』もしくは『言っていることを理解できる何か』じゃないのか?
俺は小窓を開けるかどうか迷った。曇りガラスだから向こうは見えない。
開けなければ、開けて確かめなければ――
ドン! ドン! ドン!
先ほどよりも大きな音が家中に響いた。窓ガラスが割れそうなくらい大きな音だった。
怖くなった俺は料理をやめて、スマホを手に取った。情けないことだが、兄貴に助けてもらおうと――
「……なんで圏外なんだよ!」
住宅街の家で圏外なんて、ありえねえ!
パニックになった俺だが、玄関にある電話を思いだして、駆け足で向かった。
受話器を取り上げて、ボタンを押す――
『ケケケケケケケケケケケケケケケケケケ』
「うわあああああ!」
叫び声をあげて、受話器を落としてしまう。
「こ、こんなところに居られるか!」
俺は玄関を開けようとして――
『決して、怖いからって家から出ないで。約束して』
不意にあやめの声を思い出した。
俺は玄関から出るのをやめて、電気がつけっぱなしの親父の部屋に飛び込んだ。
「誰か助けてくれ! 神様仏様! 頼むから!!」
俺は蔵書や親父のノートをかたっぱしから読んだ。何か打開策を――
コン、コン、コン――
窓を叩く音。俺は反射的に窓を見た。
この部屋の窓は外が見えるのに。
◆◇◆◇
そこからの記憶は途切れている。どうやって親父の家から出たのか、兄貴たちとどうやって合流したのか、はっきり分からない。
ただ言えることがある。それは俺が生きていることだった。
「おい、康隆。ぼうっとすんなよ」
ハッとして俺は兄貴のほうを向く。
そうだ。親父の葬儀が終わって、実家で兄貴と酒を呑んでいたんだ。
「なんかあったのか? お前らしくないな」
「あなた。もうやめなさいよ。ごめんね康隆くん。この人絡み酒なのよ」
綾子さんが困った顔で兄貴に介抱をしていた。
お袋はもう寝ている。
あやめはちらりとこっちを見つめている。
「なあ兄貴」
「あん? なんだよ」
「親父って家の中で死んでいたんだよな?」
兄貴は酔っ払った顔で俺に言った。
「家の中つーか、敷地の中だけどな」
「えっ?」
兄貴は笑いながら言った。
「玄関の近くで倒れていたんだ。新聞でも取ろうとしていたんだろう。家から出た瞬間に心臓麻痺になったみたいだぜ」
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