混沌より這い寄るモノ

橋本洋一

第1話遺品整理 前編

 数年間会っていなかった親父が死んだのは、大学二年の夏だった。


 知らされたのは大学特有の長すぎる夏休みの頃だった。うだるような暑い日だったことを覚えている。

 上京してから年に数回しか会っていない兄貴から電話が来ていた。だけどコンビニのバイト中だったから電源を切っていて出られなかった。不在着信が何度もあって、結局LINEでその事実を俺は知った。


 すぐさま俺は折り返し兄貴に電話をかけた。


「なあ。親父が死んだって本当かよ?」

「ああ。本当だ。どうしてお前、電話に出なかった?」

「バイト中だったんだ。それで、いつ亡くなったんだ?」


 兄貴が言うには、ほんの二日前らしい。


「とにかく実家に帰れ。親父の遺体はもう引き取ったから」

「引き取った? 親父の家でやるんじゃないのか?」

「親父とお袋は籍を抜いてないんだ。一応別居状態だったからな」

「離婚してなかったんだな……」

「……お袋、相当落ち込んでるから、お前も早く来い」


 まあ夫に先立たれてしまったのだ。しかたないだろう。俺は店長に事情を話してしばらくバイトを休ませてもらった。


 店長は「佐々木くんも気を落とさないようにね」と優しく言ってくれたが、正直、実の父親が亡くなった実感がなかった。

 俺の故郷は電車で一時間ほどの田舎だった。田舎と言ってもショッピングモールもあるし、駅の近くには漫画喫茶もある。都会と比べたらなんでも揃っているわけではないけど、何も無いわけでもなかった。

 なんていうか、中途半端なんだよな。


「おお。久しぶりだな。こんな再会は望ましくなかったが」


 駅の改札口から出ると兄貴が居た。車でここまで来てくれたらしい。相変わらず筋肉達磨で暑苦しい。


「兄貴も元気そうだな。綾子さんとあやめは元気か?」


 綾子さんとは兄貴のお嫁さんで、あやめは八才になる二人の娘だ。俺と兄貴は十歳くらい年齢が違う。兄貴は大学卒業してからすぐ結婚したから、俺は二十歳そこそこで叔父さんになってしまった。

「二人とも元気だ。あやめも小さい頃に比べて元気になったもんだ」


 あやめは確か、小児喘息持ちだった。死にかけたこともあるらしい。


「それよりお袋がショック受けちまってな。綾子に付き添ってもらっている。康隆、お前も早くお袋に会ってくれ」


 康隆とは俺の名前だ。ついでに兄貴は隆元という。


「ああ。分かった。それじゃあ――うおっ!」


 車の助手席に乗ろうとするとそこに女の子が居た。おかっぱ頭に赤いワンピースを着ている。まるでフランス人形みたいに肌が白くて綺麗だった。


「な、なんだ。あやめも居たのか。居るなら出てくればいいのに」

「あはは。恥ずかしがっているんだろう。あやめ、康隆叔父さんが来てくれたぞ」


 あやめは俺の顔を見て、ぺこりと頭を下げた。それはまるで小学生らしくない礼儀正しい仕草だった。

 俺は戸惑いつつ「久しぶりだな」と声をかけたが、あやめは無言のままだった。


「そんじゃあ行くぞ。ちゃんとシートベルトを付けろよ」

「分かっているよ兄貴」


 車を走らせること二十分。車内で俺と兄貴は互いの近況を話し合った。あやめは一言も口を挟まなかった。前々から思っていたけど、かなり無口だよな。お喋りな両親とはまるで似ていない。


「そういえば、親父はどうして死んだんだ?」


 話すことが無くなったので気になっていたことを何気なく訊ねると「心臓麻痺だよ」と兄貴はあっさり答えた。


「家の中で倒れているのを発見したんだ。近所のおばさんがな」

「へえ。人付き合いあったのか」

「いや、そのおばさんいわく『胸騒ぎがした』らしい」


 おばさんの勘は当たりやすいのか? よく分からないな。

 しかし親父の姿を思い出そうとすると、もやがかかったように浮かんでこない。まるで俺の人生に親父が居なかったみたいだ。

 まあそれはそうだろう。親父は俺があやめと同じぐらいに突然家を出たのだから。


「とりあえず、お袋と話をした後、向かってほしいところがあるんだ」

「向かってほしいところ? 役場か?」

「いや、そういう手続きは終わったんだ。明日、火葬も済ませる。その頼みっていうのは、親父の家に一晩泊まってほしいんだよ」

「はあ? 実家じゃなくて親父の家? どういうことだよ?」

「そのなんだ。親父との思い出、お前ほとんどないだろう」


 まあ小学生のとき以来会ってないからな。

 兄貴はなんとも言えない顔で続けた。


「親父の遺品の整理ついでに、親父のことを知ってほしくてな」


 なるほど。兄貴なりの気遣いか。


「それにだ。狼狽しているお袋の顔なんてあまり見たくないだろう?」

「まあな。顔を見せたら帰るつもりだったし」

「おいおい、葬儀に出ないつもりだったのか?」

「そういうのは兄貴に任せるよ。ていうか親父のこと、ほとんど知らないから、他人の葬儀に出る感覚なんだよ俺は」


 俺の言葉に、兄貴はふうっと溜息をついた。


「俺がお前に負い目があるとしたら、親父のことを分からせてあげなかったことだ」

「なんだよそれ」

「親父が『まとも』だったときを俺は知っているからな」


 俺は改めて親父のことを思い出す。しかし、親父はいつも机に向かって何かを書いていた。そしてぶつぶつと呟いていた。最初からそうだったから、昔はなんとも思わなかったけど、今思うと狂人と世間で呼ばれるものだったのかもしれない。


「昔はあんなんじゃなかったんだけどな。ある日を境に、ああなっちまった」

「…………」

「だからこそ、親父の遺品整理をお前に頼みたい」

「分かったよ。テキトーに片付けるさ」


 俺は肩を竦めて了承した。兄貴は俺を親父の代わりに育ててくれた。その頼みは断れるわけがない。



◆◇◆◇



 それから俺たちは実家へと向かって、すっかり意気消沈しているお袋と会った。


「康隆……あの人、死んじゃったよ……」


 お袋は親父のことを『あの人』と呼ぶ。名前で呼んだり、お父さんとも呼ばない。

 だからもう愛していないと思っていたけど、こんなにも落ち込んでいるお袋を見るとそうでもないらしい。

 いつも気丈で厳しくて強い人なのに。こんな姿は初めて見るな。


「残念だったな。お袋は何もしなくていい。ゆっくり休むんだ」

 肩をぽんと叩くとお袋は「そう、だね……」と言ってますます泣き出してしまう。


「康隆くん。お義母さんのことは私が見るから。お義父さんの遺品整理よろしくね」


 綾子さんがそう言うものだから、遠慮なく任せた。

 綾子さんはあやめを大きくしたような美人さんで、二人が結婚したとき、俺は小学生ながら兄貴が羨ましかったな。


「そういえば、あやめは親父に会ったことあるのか?」


 親父の家に向かう道中でも、あやめは一緒についてきた。まああんな様子のお袋と一緒に居るくらいなら、兄貴に付いていったほうがマシか。


「いやない。晩年の親父はすっかりおかしくなったからな」

「なんで病院に入院しなかったんだ?」

「自活ぐらいできるさ。時々お袋が様子を見に行ってたし」


 不思議な夫婦だ。お袋はそんなにも、あんなにおかしな親父を愛していたのだろうか。


「着いたぞ。ここが親父の家だ」

「……なんか普通の家だな」


 何も驚くこともない、普通の日本家屋だ。一人で住むには大きすぎるけど、家族で住むには小さい。


「とりあえずはここで一泊してくれ。泊まる用意はしていたんだろう?」

「いや、実家に帰るからそんなもの用意してねえよ」

「しかたねえな。ほれ、これでなんか買え」


 財布から万札を二枚取り出し、俺に差し出す兄貴。

 昨今の不景気でも、公務員は儲かっているらしい。


「こんなには要らねえよ」

「電車代と仕送り代わりだ。普段はやれてないからな」


 俺は一応礼を言って、それから家に入ろうとした――


「待って。入らないほうがいい」


 凛と響く声に振り返ると、あやめが俺を見つめていた。

 何の感情も込められてない目だった。

 だけど、意思ははっきりしている。


「うん? どうしたんだあやめ……」

「嫌な感じがする。叔父さん、入らないほうがいい」


 兄貴の声を無視して、俺に向かって警告するあやめ。

 ――警告?

 どうして俺はそう思ったんだ?


「あはは。オバケでも出るのか? 安心しろよ。そんなもん居ない」

「そうだぞ。出るとしたら親父の幽霊かもな」


 俺と兄貴は不謹慎なジョークで笑いあったが、あやめはにこりともしなかった。


「……分かった。もう言わない。でも叔父さん、これだけは約束して」


 あやめは俺に近づいて、服の裾を掴んで引っ張った。なんだろうと思って、俺はしゃがんであやめと向かい合った。


「決して、怖いからって家から出ないで。約束して」


 俺は「あ、ああ。分かったよ」とあやめの迫力に圧されて、つい約束してしまった。

 ていうか怖いからといって家から出るとか子供かよ。いや、子供は家から出ないのか?

 兄貴は不思議そうに俺たちのやりとりを見ていた。



◆◇◆◇



 俺はとりあえず、近くのスーパーで食料品を買って、親父が住んでいた家に戻ってきた。そして兄貴から貰った鍵を開けて、中に入る。

 中は意外と清潔に保たれていた。普段から掃除をきちんとしていたみたいだ。


「さてと。まずは親父の遺品の整理でもするか」


 兄貴に貰ったダンボールや紐を持ちながら、俺はとりあえず部屋を見て回った。

 玄関の脇には電話。台所に居間、それにトイレと使われていない部屋が二つ。

 使われていない部屋は何も家具などがなかった。兄貴が片付けたのか、それとも元々なかったのか。判別できなかったが、片付ける手間が省けた。


 二階に上がる。寝室とこれまた使われていない部屋が一つ。これじゃあ片付けのし様がない。俺は拍子抜けした気分で最後の部屋の扉を開けた。


「……なんだこの部屋」


 部屋は本棚で占められていた。外が見える窓はあるけど、もう夕方だったので申し訳程度に光が差し込んでいるだけだ。

 そして、部屋の奥には机と椅子が置かれていた。何かを書くためだろう。


「他にも使っていない部屋があるのに、どうしてこの部屋にだけ本が置かれているんだ?」


 疑問を口にする。しかし答えてくれる人は当然居なかった。

 不思議に思いつつ本棚の本を紐にまとめようと、テキトーに取り出した。


「よく分からないな。こりゃ」


 蔵書は日本語だったり英語だったりするけど、ある共通しているものがあった。


「邪神? 邪教? 異端? なんだ、親父はオカルトマニアだったのか?」


 そう。蔵書は全て怪しげなものばかりだった。まあ素人目にも希少だと分かるものばかりだったけど、こんなものを集めて親父はどうするつもりだったんだ?

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