第18話 天羽征乃

「いやぁ、もういやなのぉ! みんなみんな、きらいなのぉっ!」


 子供が駄々をこねるように、泣き叫ぶユキノ。

 そんな彼女がどこにも行ってしまわないように、僕はしっかりと抱きしめた。


「大丈夫だ、僕が何とかするから!」


 具体的なアイデアも根拠も何もない。

 だけど僕は叫んでいた。


 僕は今まで、ユキノ、ノア、ファニという三人の美少女といわゆるハーレム状態だった。

 もちろん、本来なら誰か一人を選んでその人を愛する、というのが筋だと言うのは分かる。だけど、ハーレムと言うのは男の夢だし、日本にいた頃はハーレム物の漫画やラノベなんかを読んで憧れることもあった。


 だから、ハーレム状態でいる事を受け入れてしまった。


 ユキノもノアもファニも、それについて何も言わなかったから僕も次第に気にしないようになる。だけど先日レティシア様に聞かれたみたいに、誰と付き合っているのかとか、誰が本命なのかと言われることはしばしばあった。

 だけど、その度に考えないようにしていた。


 僕はそのことを、今ひどく後悔していた。


 今のこの本心をさらけ出し泣き叫ぶユキノを見て、僕の中では、なんとかしてあげたい、ユキノのそばにいてあげたい、という気持ちが広がっていた。

 みんなの気持ちをあえて聞かないようにして、ハーレムを享受していた僕がユキノと正面から向き合えるのだろうか、という疑問。


「あ…………」


 そんなことを僕が考えていると、今まで泣き叫んでいたユキノが、か細い声を上げた。


「ユキノ?」


 ユキノの顔を覗き込む。

 その瞳にはしっかりと理性の光が灯り、ユキノが正気を取り戻したのが分かる。


「カナト…………」

「ユキノ、良かった。僕が分かる?」


 聞くと、すこし恥ずかしそうにコクリと頷くユキノ。


「もとに戻ったよっ、ユキノが!」


 ファニも、嬉しそうな声を上げる。


「ご、ごめんカナト、ファニ……。わたし、玲華さんの声を聞いたとたん、訳わからなくなっちゃって……」


 照れ臭そうに、そして申し訳なさそうに顔を伏せるユキノ。

 その仕草からは、いつもの飄々とした雰囲気は感じられない。今のユキノが、本来のユキノなんだろうか?


 そんな事を考えながら、ユキノの頭をぽんぽんと撫でる。


「気にする必要は無いよ。僕にだって日本にいた頃の事にはいろいろ思う所はあるよ、仕方ないよ」

「そうだよっ! ぜんぜん気にしてないよっ!」


 そんな僕とファニを見て、ユキノの表情がすこし和らいだ。


「ありがと」


 言葉少なにお礼を言うユキノ。

 そしてユキノは、日本の事を途切れ途切れだけど話してくれた。


「玲華さんにも聞いたと思うけど、わたしのママは変な宗教にハマってお布施だとかいってすごいお金を献金してたの。だからうちにはいつもお金が無かったし、わたしは中学のころからずっとバイトしてたの……」


 中学?

 そんなころからバイトしてたのか?


「だけど学校は嫌いだったしバイトで疲れて寝てばっかりだったから、勉強はぜんぜんだったの。わたし頭悪いから割のいいバイトは出来なくて……時給の安いバイトばっかり。学校では友達もいなかったし付き合いも悪かったから、貧乏な子だとかいろいろ言われてずっと虐められてた……。バイト先の店長はセクハラオヤジだったし、もうなにもかも嫌で嫌で仕方なかったの……」


 暗い顔で言うユキノ。

 その内容は取り乱したユキノから聞いた事とほぼ同じだったけど、改めて聞くと衝撃だった。中学のころから親に顧みられずバイト三昧で、学校では虐められバイト先ではセクハラに会う。しかも友達もおらず親も相手にしてもらえないから、相談できる人もいない。


 それは、なんという地獄なんだろう。


「学校が、わたしを産んだ親が、そんな世界が、憎くて憎くて仕方なかった。ずっとずっと死にたいと思ってた。だけど死ぬ勇気も無かったの。だから、むかしママが笑顔でいればみんな優しくしてくれるよ、と言ってたから笑顔を絶やさないように頑張った。だけど、それもキモイだとか言われて虐められた……」


 ユキノの口から語られるのは、思わず耳をふさぎたくなるような話。

 だけど、僕は聞かなければいけないと思って黙って聞く。


 でもそこで、ユキノがすこしだけ明るい顔になる。


「だけどね、わたしはこの世界に生まれ変わることが出来たの。こっちの両親は優しいし、カナトと会うことも出来たし友達も出来た。ずっとずっと頑張って耐えてきたわたしへの、神様のご褒美なんだって思ったの」


 えへへ、と朗らかな笑顔で言うユキノ。

 確かに前世でそこまで酷い目に遭っていたのなら、この転生は嬉しかっただろう。


「だから――」


 ユキノの瞳がすこしだけ昏い光を放つ。


「だから、わたしは絶対に帰りたくない。そのためなら、なんだってする」


 ……そう、ユキノが日向さんをいきなり殺したのも、日本へ帰ろうと言ったノアを攻撃したりしたのも、その日本でのつらい体験があったから。神様のご褒美、とまで言うこの異世界での暮らしを、ユキノは絶対に手放したくないと思っているんだ。


 俯いていたユキノが、不安げに僕を見上げながら言う。


「……カナトは、日本へ帰りたいの?」


 どきり、とした。


 その言葉は日向さんに会った時の、まるで問い詰めるような口調とは違う。不安げに僕の顔色を窺うような問いかけ。

 だからこそ、どきりとした。

 もちろん、僕も日本には帰りたくないって思ってる。だけど、親への感謝の気持ちは全く無いって訳じゃないし、ユキノのように、この世界にとどまるためになんだってする、とまでは思えない。


「帰りたくない、とは思ってるけど……」


 どうしても『けど』が付く。

 僕は日本に帰ることに未練があるんだろうか?


 僕が言葉に詰まっていると、ファニが不思議そうに首を傾げる。


「帰らなくていいんじゃない? 帰りたくないなら。よく分からないの」


 ファニからすると、帰りたい帰りたくないで僕が迷っているのが理解できないんだろう。

 でも、そのファニの様子を見て僕も気付かされた。僕の中に『日本に帰らないといけない』『年老いた親の面倒をみなければいけない』という固定観念があったという事に。


 ユキノにはそういう感情は無いんだろう。

 彼女は前世、日本、親、そういった物を完全に見限っている。それらを完全に切り捨てて、自分が幸せになる為にのみ行動している。


 それは、ある意味で強さでもあるんだろう。


「大好きだよ、カナト様が、ファニは。だからここにいて欲しいの、ファニは」


 ファニも心細そうに、こちらを見つめる。


 そうだ、僕は僕のこととユキノのことで頭がいっぱいになっていた。

 だけど日本に帰るという事は、ファニを置いていく事になる。ファニの初めてを犯すように奪って、仲間に引き込んでしまったのは僕だ。その責任を放棄して、ファニを置いて日本に帰るのか?


 次の言葉が出てこない僕に、ユキノが不安そうに問いかけを重ねる。


「カナトは……ノアのことが……好きなの?」


 僕は今まで、ユキノのそんな不安そうな表情を見たことが無かった。

 いつも気ままにやりたいことをする猫の様なユキノの、まるで見捨てられることを恐れているような表情。


 だから


「ちがうっ!!」


 反射的に叫んでいた。


 突然の大声にびっくりして、少しのけぞるユキノ。


 たしかに僕はノアとも何度も肌も重ねたし、仲もいいし、好きか嫌いかと問われれば好きだって自信を持って言える。だけど、いまユキノに感じているような、側にいたい、護ってあげたい、という気持ちになったことは無い。

 僕にとって一番必要な人はユキノなんだって、僕は唐突に理解していた。


「僕が好きなのは……ユキノだけだっ!!」

「うむっ……?!」


 ユキノを抱きしめ、キスをする。


「おおぉ~~?!」


 ファニがびっくしたような声を上げるけど、僕は気にならなかった。

 ユキノの柔らかい唇を貪るような口づけを交わし、唇を話す。


「ぷはっ――」


 二つの唇の間で、唾液が糸を引く。

 見ると、ユキノはまるい目をしてこっちを見つめていた。


「な、なんで…………?」


 思えば、僕はユキノにもノアにもファニにも、ちゃんと好きだと言ったことは無い。

 セックスの間にうわごとの様に言ったことはあるかもしれないけど、目を見てちゃんと言ったことは一度も無い。


「情けないけど、ずっと僕は自分の気持ちを曖昧にしていた。だけど、気が付いたんだ。僕が好きなのはユキノだけだって」

「――――ッ?!」

「おおぉ~~~~!」


 一瞬でぼっと赤くなるユキノ。

 そしてそんなユキノの様子を見て、囃し立てるような声を上げるファニ。


 だけど、ユキノは真っ赤になって俯いてしまう。

 その形の良い唇は固く結ばれて、一言も発さない。


 そんな様子を見て、心臓がどくどくと早鐘を打つ。

 前世と今世で合わせて55年生きて来たけど、告白するのなんて初めてだ。こんな時どうすればいいのか、分からなくて不安が頭をもたげてくる。今までさんざんセックスだってしたけど、別に好きじゃない、なんて言われたらどうしよう。立ち直れるかな、僕。


「えっと……ユキノを好きだって言うのが僕の気持ちなんだけど……ユキノは、どうかな……?」


 頬をかきながら聞いてみる。


「わ、わたしだって! わたしだって、カナトの事が……好き……だよ。カナトが、そんな風に言ってくれるなんて……思ってなかった……から…………」


 そう言うユキノの視線は左右にきょどきょどと彷徨い、両手の指を絡めたり離したりと落ち着きがない。

 そんなユキノの恥ずかしそうな様子は、とても新鮮で、そしてとても嬉しかった。


「きゃっ――?!」


 思わずユキノを抱き寄せていた。


 僕はずっとユキノと一緒にいたい。

 いま、僕は心の中でそう深く思った。日本には帰らない、ずっとこの世界で、ユキノと一緒に生きていく。両親には申し訳ないけど……僕はユキノと同じように、なんとしてでもこの世界にとどまる。その為にはなんだってする、そう決意した。


 ユキノも、僕をそっと抱きしめてくれる。


「……だけど、なんだか恥ずかしい。取り繕ってたいつものわたしじゃなくて、弱いわたしも、取り乱したわたしも、みんな見られちゃった……。明日からどんな顔とか態度でカナトに会えばいいのか……分からないよぉ」


 すごく恥ずかしそうに、ユキノが言う。

 そんな様子に、くすりと笑いが漏れる。


「どんなユキノでもいいよ。みんなユキノだし、どのユキノでも僕は大好きだよ」


 そう、どんなユキノもみんなユキノ自身だし、僕はどんなユキノでも大好きだ。


 そんな可愛らしいユキノを見ていて、僕は決意した。今までハーレムだなんだと言って三人の女の子とセックスしていたけど、もうユキノ以外とそういう事はしない。僕はユキノだけを愛し続けるんだって。

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