第17話 慟哭

「あ、熱っ?!」


 噴き出した炎の熱さに、思わず数歩後ずさる。

 しかしその炎は家具や床に燃え移ることは無い。ベッドや机を通り抜け、溶けるように消えていく。


「ユキノのギフト? もしかして、ギフトが暴走しているのか?!」


 目の前のユキノはまるで悲鳴のような叫びをあげ、その全身は渦巻く炎に包まれているように見えた。

 物体には燃え移らない炎は、ユキノのギフト滅殺生獄・邪焔眼の炎に間違いない。だけど、誰かに向かって炎を放つのではなく自分自身を炎で包むような使い方は見たことが無い。


 その炎がギフトによるものである証に、ユキノの瞳はたしかに燃えるような赤い光を放っていた。しかしその瞳はどこも見てはいなかった。ここではないどこかを見ているような、焦点の合わない昏く落ちてゆく様な瞳。


「大丈夫なの? カナト様?!」


 ファニが心配してくれて、ベッドから降りてくる。

 「大丈夫だよ」と返事をしながら、視線はユキノから離せない。


「ユキノ、玲華さんの事は今からみんなで対策を考えよう! だから落ち着いて!」

「あああああああっ! いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだあぁっ!!」


 ユキノを落ち着かせようと声をかける。


「もうあそこには戻りたくない、戻りたくない戻りたくないぃっ!!」


 だけどユキノの耳には入らない。

 ユキノは宿の天井を見上げたまま叫びをあげ、吹き出す炎は収まる気配を見せない。


「くっ、仕方ない……ちょっと強引に行くしかないのか……?」


 肩を揺するとか、頬かどこかを軽く叩くかすれば正気に戻るかもしれない。


 そう思って手を伸ばすけど――


「熱ッ?!」


 近づけない。


 燃え上がるギフトの炎は、物には燃え移らないけど人には効果がある。

 このままでは近づけない。ユキノの気が収まるのを待つしか……。


 そんな事を考えた僕の脳裏に、いつものユキノの笑顔が浮かぶ。

 いつも明るく飄々としていて自分勝手で、だけど日本では辛い事があって、そこには帰りたくないという気持ちを抱えていたユキノ。肌を重ねたことは数知れないけど、ユキノはいつも僕にとって手が届いているようで届かない、不思議な女の子だった。


 その女の子が今、苦しんでいる。


 なのに僕は見ているだけなのか?


「くそおっ! ユキノーーッ!」

「カ、カナト様?!」


 気が付けば身を乗り出していた。

 炎の中に手を突っ込み、ユキノの肩に手をかける。炎が腕や身体に絡みつき、襲って来る刺すような痛み。


「ぐぐぐぐぐぐっ……!」


 だけど、ここで引くわけにはいかない。

 なんでこんな事をしているのか理由は分からないけど、僕はそんな衝動に突き動かされていた。


「無茶だよっ?! カナト様っ! ウォーターボール!」


 叫んだファニの前に、大きな水の塊が現れる。

 水の塊がとぷんと僕を包み込み、その瞬間すこし痛みが和らぐのを感じる。


「ありがとう、ファニ!」

「びっくりしたよっ! カナト様っ!」


 怒るファニに軽く手を上げて謝ると、ユキノへと向き直る。


 ユキノの目を覗き込んだ瞬間、ぞくり、とした。


 その瞳は僕の方を向いてはいたけど、僕を見てはいなかった。

 光を失い、焦点の合わない目。以前感情のこもらない目で僕を見ていた時は、瞳の奥に昏い感情の炎が灯っているのが分かったけど、確かに僕を見つめていた。

 だけど今は、なんの感情も見えない。

 どこを見ているのか分からない。

 焦点の合わないどこを見ているのか分からない瞳と、そこからぽろぽろとこぼれ続ける涙。


 絶望という鎖に捕らわれた者の姿がそこにはあった。


「ああああああああっ! いやだいやだいやだぁっ、ノアァーーーーッ!!」

「ぐうっ……?!」


 ユキノが叫び、炎がさらに強くなる。

 ファニの魔法に護られているとはいえ、暑さはしっかりと感じるし、このままだと耐えられなくなるかもしれない。


「いやだいやだいやだ、かえりたくないかえりたくないかえりたくない! もういやだ、こんなせかいっ!!」


 叫びをあげるユキノ。

 そんな彼女から感じたのは、このままだとユキノがどこかへ行ってしまうのではないか、という感情。前世では僕も散々嫌な思いもしたから、ここではないどこかへ行ってしまいたい、という気持ちはよく分かるから。


 だから、気が付くとユキノを抱きしめていた。

 ユキノがどこにも行かないように。ここにいてくれるように。


「大丈夫、なんとかする! 僕がなんとかするから!」


 自然と、叫んでいた。

 だけどユキノの叫びは、慟哭は収まらない。


「いやだいやだいやだ、こんなせかい! みんなみんなみんな、しんじゃえぇぇぇぇっ!!」


 さらなる勢いで噴き出す炎。

 まるで、思い通りにならないこの世界そのものを破壊してしまえとでも言うように。


「ユキノ、落ち着いてっ!!」


 だけど、僕はユキノを抱きしめるしか出来ない。


 ユキノがどこにも行ってしまわないように。

 僕はここにいるんだと、訴えるように。


 どれだけそうしていたんだろう?


 少しの間だったような気もするし、酷く長い時間だったような気もする。


 気が付けば、ユキノから噴き出す炎がずいぶん弱まっていた。


「あ…………」


 疲れ果てたのか、ユキノがぺたんと座り込む。

 一時は荒れ狂うようだったギフトの炎は、もうほどんど見えなくなっていた。


「ユキノ! 大丈夫?」


 声をかけるけど、ユキノは答えない。

 暴走は止まったけど、ユキノの瞳には何も映っていなかったし、ぽろぽろとこぼれる涙も止まってはいない。


 僕がなんと声をかけたらよいのか迷っていると――


「う、うわああああああんっ!」


 泣きだした。


「ええっ?!」


 まさに号泣だった。

 しくしくと泣く、という感じじゃない。子供が号泣するような、そんな泣き方。へたり込んだユキノは、僕たちの目なんか気にならないという感じで、涙をぼろぼろ零しながらわんわんと泣いていた。


 さっきまでは怒りのあまり叫び声を上げながら暴走していたのに、今度は号泣。

 ふ、不安定すぎる……。


「いやだ……もういやだ……、ずっとがんばってきたのに……またあそこにもどるの……いやだぁ!」


 泣きじゃくるユキノ。


「やっと、わたしらしくなれると、おもったのにぃ……。カナトたちと、わたしらしくいきていけると、おもったのにぃ……!」


 そのユキノの声は、僕の心の奥に突き刺さった。

 

 玲華さんに聞いた、ユキノの家庭のことが思い出される。

 ユキノの家庭は母子家庭で、しかも母親が怪しい新興宗教に傾倒していた事。母親から相手にされず、貧しい家庭を助けるためにバイト三昧の日々、しかもそのバイト代さえも新興宗教へのお布施代に消えて行っていたという。


 そんな暮らしでは、ユキノがユキノらしく自分のやりたいことをする、という事はほどんど出来なかったんだろう。


「まいにちまいにち、バイトばっかりぃ……。ともだちともあそべないし、ふくもかえないし……。ままも、あいてしてくれないしぃ……!」


 ユキノは、わぁわぁと泣きながら心の奥で思っていたことを吐き出していた。

 毎日毎日つらい事ばっかりで、ずっと我慢していたんだろう。でも、この世界に転生し僕たちと出会って、居場所が出来た。自分のやりたいことを出来るようになった。それはユキノにとっては、夢の様な出来事だったんだと思う。


「びんぼうにん、びんぼうにん、っていじめられて……。でも、ままも、かまってくれなくて……。わたし、ばかだから、どうしてそうなるのか、わからなくて……。ままが、むかし、わらっていなさい、わらっていれば、いいことがある、っていってたから……ずっとずっと、わらっていたのに……。ばかだ、ばかだ、ってみんな、ばかにしてくるしぃ…………わああああああんっ!」


 ユキノの言葉に、思わず顔をしかめる。


 ユキノは、虐められていたのか……。今のユキノからはあんまり想像できないけど、家が貧乏でお金がない子供がいれば確かに学校なんかでは虐められるかもしれない。でも、ユキノはむかし母親から「笑っていなさい」と言われたことを覚えていて、それを守っていたんだ。


 いつもにこにこと笑顔のユキノだけど、それにそんな理由があるなんて想像もしていなかった。


 ユキノがそんな辛い思いをしていたなんて知らなかったし、知ろうとしなかった。

 僕が自分の事をあんまり話したくなかったのもあって、ユキノ達の事も自分から聞こうとはしていない。なんか楽しい事はなかったみたいだし聞かれたくないよね、なんて勝手に決めつけて、聞こうとしなかった。

 もしかしたらユキノは聞くだけでも聞いて欲しかったのかもしれないし、そうすれば少しは気が晴れていたかもしれない。


 そういった事を、僕は少しも考えていなかった。


「みんなみんな、わたしをいじめるし……バイトばっかりだし……バイトじゃ、てんちょうは、いつもあちこち、さわってくるし……もういやぁ! なにもかも、いやなのぉっ! みんなみんな、きえちゃええぇぇぇぇっ!!」


 大きな声を上げ、わんわんと泣くユキノ。


 ユキノは、自分の事も周りの事も、なにもかも嫌で嫌で仕方なかったんだろう。

 彼女ほどじゃないけど、僕もその気持ちは良く分かる。ブラック企業と、僕という人格を認めてくれない両親に挟まれて、毎日嫌で仕方がなかったから。


 でも、成人して30を超えていた僕と違って、前世ではユキノは女子高生だ。


 年頃の女子高生にとって、たった一人の親には振り向いてもらえず、学校では虐められ、毎日バイト三昧でバイトではセクハラ――なのか?――に遭う、っていうのはそれは絶望するだろう。

 世界そのものを憎むだろう。


 まるで子供の様に泣きじゃくるユキノを見ていると、なんとかしてあげたい、という気持ちが膨らんでくるのを感じる。


 酷く辛い思いをして傷付き、それでも笑うユキノを、こんな僕が少しでも力になれるのなら、なんとかしてあげたい。


 そんな気持ちが僕の中でどんどん膨らんでいく。

 そして気が付けば、ふたたびユキノを抱きしめていた。

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