第10話 両親たち
結局、屋台でミノタウロスの串焼きを買って全員で食べることにした。
ミノタウロスの肉というのはまぁ牛肉なんだけど、とろけるような舌触りが絶品の高級品だ。ミノタウロスってのはそうそう現れる訳じゃないから、値段もそれなりに高くなる。それをみんなで広場の噴水のふちに腰かけて食べている。
「これは美味いな。高級和牛にも引けを取らんのではないか?」
「そうですな、舌触りもいいですし、脂が乗っていて美味しいであります」
玲華さんも剛也さんも、気に入ってくれたなら良かったと思う。
それからしばらくはみんな無言で串焼きを堪能していた。
……そうだ、この機会に気になっていた事を聞いてみようかな?
「ねぇ、玲華さん。聞きたいことがあるんだけど」
「うん? 何だ?」
「仮に僕たちが玲華さんに付いて日本に帰ったとして、またこっちに戻ってくることって出来るの? 日本政府が許可してくれるのかっていう問題はあるだろうけど、そういう事を置いておいて、技術的に可能なの?」
「ふむ――」
玲華さんは串焼きを食べる手を止めると、何事か考え込む。
「日本政府でも異世界への転移はまだ数回しか試したことは無いし、そもそも異世界とその転移に関してはまだ分からない事の方が多い。あくまで仮説である、という前提で聞いて欲しいのだが――」
玲華さんはそこで言葉を止め、僕たちの顔をぐるりと見回す。
頷く僕たち。僕やノアはもちろん、ユキノも気になる話題ではあるのか、じっと玲華さんの次の言葉を待っていた。
「今ここにいるエルフェンである『カナト・ロアン』君が、私達について日本に帰ったとしよう。すると日本の病院のベッドで寝ている、日本人『神木奏友』として目覚めることになる」
そこまでは分かる。
「そして、ふたたび私たちの設備で再びこちらに来たとしよう。その時はエルフェン『カナト・ロアン』ではなく、日本人『神木奏友』として来ることになるだろう」
「……え?」
「つまり、申し訳ないが一度日本に戻った時点で今のエルフェンとしての若い肉体は永遠に失われる。奏友君たちがこちらへ来たのは、原理は全く分からないがいわゆる『転生』、生まれ変わりだ。だが、我々が実現したのはあくまで『転移』だ。『神木奏友』君をふたたび『カナト・ロアン』君として転生させることは出来ないし、また『カナト・ロアン』君のまま日本に連れて帰ることも出来ない。日本に連れて帰った時点で、君の魂は本来の器である『神木奏友』の肉体に引っ張られ、『神木奏友』として目覚めることになるだろう、と考えられている」
思わず、手に持った串焼きを取り落としそうになった。
一度日本に戻ったら、もう二度と今のカナト・ロアンとして生きることは出来ない?
正直、日本に戻って両親に挨拶でもしたあと、説得して再びこっちの世界に戻ってくる、みたいな事を漠然と考えていた。そうすれば、両親に対する申し訳なさもある程度解消できるし、僕は再びいまの理想的な生活を続けることが出来る。全て丸く収まるんじゃないか――みたいな甘い事を考えていた。
僕は日本に戻ったら55歳のオッサンで、ふたたびこっちの世界に戻って来れたとしてもそれは変わらない。
それがお前の本当の姿なのだと言われればそれまでだけど、今のずっと若々しい肉体とユキノ達との理想的な生活は永遠に失われる――。
僕は、どうしたらいいんだろう?
「玲華さん、あの……私の向こうの両親って今どうしてるんでしょうか?」
そんな中ノアがおずおずと玲華さんに問いかけた。ユキノの方をちらちらと窺っている所から、この前ユキノに問い詰められたことを気にしているんだろう。
「ふむ、そうだな。それも話しておかないとな」
玲華さんは残っていた串焼きを一気に頬張ると、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。そしてファイルか何かを探すような仕草をすると、スマホを見ながらゆっくりと話し始めた。
「早乙女望愛さんのご両親は、お父上は現在67歳でお母上は66歳で、どちらも健康そのものだ。望愛さんの弟くんが現在43歳で、同い年の妻と、中学生の息子に小学生の娘がいる」
「英雄、結婚したんだ……」
英雄、というのは弟の名前だろうか、ノアはぽつりと呟いた。
「ご両親は、まぁなんというか、孫を連れて一家全員で旅行やレジャーに出掛けるのが楽しくて仕方ないようでな、週末はたいていどこかへ出かけているようだ」
「そうですか、両親らしいと思います」
ノアが、ふふっと懐かしむ様に笑う。
「病室で昏睡状態となっている君のお見舞いにも、最初は週に一度程度は訪れていたようだ。しかし、すぐに病院のスタッフに任せっきりにして来なくなったらしい。けしからんことに、孫との旅行の方が大事らしい」
「そうですか……、確かにそれはあの両親らしいと思います」
玲華さんが若干怒ったように言うと、ノアがまた笑う。
その表情には懐かしむ様な感情も感じられたけど、それはどうにもならない現実に対して自嘲するような笑いだった。
ノアの両親は子供よりライブやパーティーが大事な『ウェーイ系』のようなイメージだったけど、玲華さんに聞いたノアの両親の話はまさにそんな感じだ。病院で寝たきりの娘よりは、自分の遊びに付き合ってくれる息子夫婦と孫のほうが大事らしい。
「他の者のご両親についても話しておくか。次は天羽征乃さんだが……」
「べつに聞きたくないんだけどぉ?」
「まぁそう言うな。征乃さんのご両親は……」
そこで言葉を切ると、玲華さんはスマホを見つめたまま表情を歪めた。
「これはまたなんと言うか……酷いな」
そう言う玲華さんに聞いたユキノの境遇は驚愕だった。
ユキノはいわゆる母子家庭で、父親は愛人を作って離婚したため、今どこでなにをしているのか不明だと言う。
母親は一人でパートなどして家庭を支えていたが、寂しさから怪しい新興宗教に傾倒。貧しい家系からお布施代を捻出して、新興宗教へ足しげく通う毎日。転生前学生だったユキノはほどんど母親から顧みられず、放置されていたらしい。生活を支えるためバイト三昧で、しかもそのお金もほどんどがお布施代へと消えていく……。
そんな悲惨としか言いようのない学生時代を送っていたらしい。
「ユキノちゃん……」
「ユキノ……」
ノアと僕がなんと言えばよいのか分からず視線を向けるけど、へらりと笑うユキノ。
「わたしのパパはルドアン・フォイアンで、ママはフィアンナ・フォイアンだよぉ? そんな人は親でも何でもないし、他人だよぉ、他人」
そう言って右手をふって否定するユキノ。
ルドアンさんとフィアンナさんはこの世界でのユキノの両親で、ルドアンさんは男爵家当主でもある。僕は今の両親が大好きだし、前世の両親も思う所はあるけど僕の両親だと思っている。だけど、ユキノは前世の母親を他人だと笑顔で斬り捨てた。
その様子に胸が締め付けられる。
「思い出したくない事を思い出させてしまったか? 申し訳ない。だが、これを伝えることも私の任務に含まれていてな、すまない」
玲華さんはそう言うと話を続けた。
そして語られたことは、また僕たちを絶句させるに十分な内容だった。
僕たちが日本で遭遇した、魂が抜かれるという状態は世界的に見ても非常に珍しいものだ。そのため僕もノアも日本での身体は、病院に入院し経過観察とされているらしい。それには当然お金もかかるけど、政府から補助金が出ているため、非常に格安な――家計にとって負担にならない程度のお金で入院させてもらっているという。
しかしユキノの母親はそのお金を出すのを拒否した。
そのためユキノの身体は家に寝かせられているらしい。
しかもそれは放置、といえる状態なようで、様子を見に行った国の職員が言うには見るに堪えない状況であったという。
玲華さんが悔やむような表情で目を伏せ、ずり落ちた眼鏡をくいと上げた。
「すまんな、この様な状況であったなら、戻りたくないと考えたとしても責めることは出来ない。先ほど弱者だ何だと言った事、あらためて謝罪しよう」
「べつにいいよぉ~~。他人だからどうでもいいし~~」
律儀に再び頭を下げる玲華さんだけど、ユキノの他人だから、というスタンスは変わらない。
それは両親だけではなく日本での自分さえも『他人』だと、本当の自分ではないと切って捨てるような言い方だった。
「なにやら話を続けにくくなってしまったが、奏友くんのご両親の事も話しておこう」
気まずげな表情の玲華さんが、こちらに顔を向ける。
僕の両親の事は日向さんから聞いてるけど、それを言う訳にはいかないので大人しく聞いておく。
「お願いします」
「ふむ、奏友くんのご両親は……」
そして語られたことは、日向さんから聞いた事と同じだった。
父親が痴呆の症状が出ている事、両親の足腰が弱っていて日常生活に困難を感じているため、息子の僕が戻ってきて面倒を見て欲しいと考えている事。ようするに、元の世界に戻れば僕は無職で親の介護が待っているという事だ。
「そうですか……」
なんとも言えない気持ちで相槌を打つと、玲華さんが「ふむ……」と何か考えるような仕草をした。
「親の介護は……嫌か?」
「嫌というか……やりたくてやっている人はいないんじゃないかと思うけど」
答えると、「確かにそうかもしれん」と頷く玲華さん。
「しかしな、今の日本――君たちの感覚では20年後の日本は酷い高齢化社会でな。身寄りがなく面倒を見てもらう人がおらず蓄えも無く、苦しく大変な生活を余儀なくされている高齢者が大勢いる。高齢者が増えたにもかかわらず、労働人口が減ったせいで介護施設の数は昔と比べてむしろ減っているからな。どうなるかは自明の理だ。
面倒を見てもらう子供がいる高齢者は幸せな部類だ。ならば子供はいままで育ててもらった恩を返すためにも、親の介護をするべきだと私は思う」
「それはそうかもしれないけど……」
子供は育ててもらった恩を返すために、親の介護をするべきだ。
言ってることは分かる。
だけど、それがスッと僕の中に入ってこない。
今のこの、ユキノやノア、ファニたちとの男として理想的な暮らしを捨てて親の介護に戻るのか? ユキノやノアとは日本に戻っても会うことは出来ると思うけど、戻れば僕は55歳だ。彼女たちに今のように好意を向けてもらえるとは到底思えない。
僕がなんと言うべきか迷っていると、玲華さんは珍しく黙って話を聞いていたファニに視線を向けた。
「ファニエさん、だったか? 君はどう思う?」
それは大した意味は無かったんだろう。
僕たちが黙り込んでしまったから、話を進めるために現地の人にも意見を聞いてみよう、程度だったんだと思う。
だけど、ファニは不思議そうに首を傾げると言った。
「親の介護、ってなに?」
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